9 索敵と闘伐
この日、昼前に狩った獲物は野兎三羽だけだった。
昨日の林よりさらに奥まで進んだが、大物は見つけられない。
前回と同じ程度の大きさと思われる猪を遠くに見かけたが、接近より早く姿を消し、狩ることはできなかった。
「毎年村に降りてくる猪は、四五頭で徒党を組んでってとこださ。もう一頭ぐれえ狩っておきたいとこだな。そうすりゃ奴らも警戒して、近づいてこねえんじゃないか」
「熊でこれまで見たのは二頭ぐれえだからな。こっちも一頭狩っておきてえ」
歩きながら、マヌエルとオイゲンが説明する。
この山行ですべての殲滅は無理だろうが、いちばん被害をもたらす熊と猪についてはその程度狩れば後が楽になる算段だという。数を減らしておけば、春の畑仕事を始めた後も見張りを気をつけておくことで、大きな被害は防げる予定らしい。
あと気になるのは、作春に若夫婦一家を皆殺しにした魔獣らしい存在だが。これについては正体も居場所も見当がついていないので、現状対処のしようがない。やはり村で見張りを強化していく以外なさそうだ。
そんなことを話しながら山奥へと進む途上、先頭の二人が足を止めた。
「いた!」
「熊だ!」
ほぼ同時にケヴィンとイーヴォが抑えた声を上げ、前方を指さす。
その方向に目を凝らすと、確かにいた。緩く傾斜した林の木陰に、焦茶色の大きな丸み。
全貌はまだ見えないが、人よりは遥かに大きそうだ。
「近づくぞ。油断するな」
「おう」
ライナルトの指示に、重い声が返る。
これまでのものとは桁違いに脅威の相手だ。
手順は、猪の場合と変わらない。弓と魔法で牽制し、相手の動きを抑えておいて、ライナルトの大剣で仕留める。
しかしあの毛皮はほぼ矢を通さないはずだし、魔法も剣もどれだけ通じるかまったく保障はない。
それでも少しでも攻撃に効果のあるように、とライナルトは位置どりを考えた。
平地で走り出すと、熊は人間より遥かに速度を出す。弓矢も魔法も命中は難しいことになりそうだ。
ただこの種類の熊は前肢が短いので、下り坂では比較的走る速度が出ないのが知られている。まずはそこが狙い目だ。
木の陰に隠れ、一行は相手の坂下を目指して移動した。
「よし」
全員の位置を決めて頷きかけると、ケヴィンとイーヴォが弓を構える。
放たれた矢は、焦茶の毛皮に命中。しかし突き刺さることなく、そのまま下に落ちる。
グワア、と熊はこちらに振り向いた。
「来るぞ!」
「おう!」
扇形に広がって、男たちは両手を前に構えた。
まだ雪の残る斜面を、獣の巨体が飛沫を撥ね上げながら駈け降り出す。目論見通り、いくぶん速度は抑えられているか。
「撃て!」というライナルトの号令で、魔法の火が三つ、水が二つ、球形で放たれる。
続けざまに顔面に弾け、熊は不快そうに顔を横向ける。
「続けろ!」
「おう!」
斜面が緩やかになった地点で、熊は大きく前肢を持ち上げた。正面から駆け出し、ライナルトは大剣を抜き放つ。
さらに火が二つ、水が二つ、顔面に炸裂して、大きく前肢が振られた。身を屈めて、ライナルトは低く剣を横に払った。
ガチ、という重い手応え。
二足直立した後肢に、傷もつかない。しかしわずかに、両前肢をもたげた姿勢が揺らいだか。
続けて剣を払い戻し、後ろ臑を打つ。グワア、と吼えて爪立てた前肢が横に振られる。
首をすくめ身を転がして、ライナルトはその攻撃を避けた。
その上へ、熊が向き直る。横方向から、さらに火と水が飛ぶ。
煩そうに獣は首を振った。その臑へ、再度ライナルトは剣を叩きつけた。
グワアーー
ひときわ大きな咆哮。さすがの巨体も、数歩たたらを踏む。
それでも覇気衰えず、熊は前肢を振り下ろしてきた。
辛うじてそれを避け、剣を突き出す。喉元近く、わずかに傷を負わせることができた。
鮮血が滴り落ち、獣は声を高める。
グワアアアーー
剣が通ったことで、ライナルトは気を奮い立て直した。
顔面に、火と水が弾ける。
よたよたと、後肢が雪面を左右する。
さらに喉元を狙って、ライナルトは剣を突き出した。
勢いよく、前肢がそれを横払いした。
思った以上の腕力に、がくりと腰が傾く。
続けざまに、大きな前肢が振り下ろされる。
「危ねえ!」
誰の叫びか。
思う余裕もなく、ライナルトは横に転がってその攻撃を避けた。
やや斜面が下る方向に転がったのが、功を奏したようだ。バランスを取り損ねてか、前肢の爪は宙に大きく空振っていた。
タイミングよく、さらにまた火と水が鼻先に弾ける。
仰け反る顔の下、空いた首元へ、ライナルトは剣を突き上げた。
グワアアアーー!
大きく吼え声が上がり、焦茶色の巨体が傾く。
返す剣を、首横から叩きつける。
鮮血が上がり、獣の身体は丸ごと横に転がった。
「やったか!」
「まだだ、続けろ!」
横倒しになりながら、大熊は必死に前肢を振り続けているのだ。
首から血が噴き出しているが、まだ致命傷にはならないらしい。
さらに、火と水を叩きつける。
前肢を躱しながら、何度も剣で斬りつける。
そうしたくり返し攻撃の末、数ミーダ(分)後。ゆるゆると、太い前肢に力が失われていた。
残雪を赤く染めて、横たわった熊は動きを止めた。
「やった!」
「やった!」
ケヴィンが勝鬨を上げ、イーヴォが頭上に拳を振り上げた。
年輩の二人も、駆け寄ってくる。
「やったぞ、ライナルト!」
「おお」
泥濘に腰を下ろし、ライナルトは汗まみれの顔に笑みを戻した。
その背を、オイゲンがバンバンと叩く。
「大丈夫か、怪我はなかったか?」
「おう、かすり傷程度だ」
「よくやった! 最高の成果だ」
「ああ。みんな、よくやった」
笑い交わし、男たちは拳を打ち合わせて互いを労った。
仲間たちにほぼ負傷はなかったとはいえ、辛うじての勝利だった。下り坂を利用した地の利がなければ、結果はどうなったか分からない。
このグループで、猪狩りは何とかなる、熊狩りはかなりの準備と注意が必要というところか、とライナルトは頭に刻み込んだ。
絶命を確認して、巨体を引きずり山を下りる。
そうして橇で村に運び、凱旋を誇ることになった。
疲れ果てた元魔狩人にとっては、娘の呼び声の迎えが最高の報奨だった。
「焦茶熊の大物だあ。みんなで仕留めたんだぞ。中でもこのライナルト小父ちゃんがその剣で止めを刺したんさ」
「すげえ!」
「すげえ、すげえ!」
イーヴォの言葉に、歓声を上げて子どもたちが獲物の周囲を踊り回る。
そんな大騒ぎに後を任せ、大事に娘を抱いて家に戻った。