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あざらし奥さん・改

作者: カラスウリ



「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。

 声の主はくりくりとした大きな黒目をまたたかせ、小首をかしげている。最大限の愛らしさアピールのつもりなのであろうが、ウシヲには全く通じなかった。むしろ邪悪にさえ思える。

「チャンスなんていらない」

 シッシ。犬猫を遠ざける為の仕草をしてみせたが通じない。そうだ、コイツはものすごく鈍感なのであった。図々しくも他人様の家に上がり込み、居座り、しまいには我が物顔でくつろいでいる。そのうえ、チャンスだと? どういう思考回路をしているのだろう。できればその、まっしろふわふわ頭をかち割って調べてみたいくらいだ。

「そ〜ですかあ。三回では自信ありませんか。しょうがないですね。ウシヲくん結構不器用ですし。譲歩してあげても良いですよ」

 ニコニコ。にっこり。と奴が微笑む。

「いらない。三回どころか、一回もいらないから、帰って」

 言った!

 言ってやった!

 自他ともに認める温和なウシヲは、相手を拒否する言葉を口にするだけで、ちょっとしたストレスだ。だがこの時ばかりは違った。怒りのパワーがストレスを凌駕していた。

ワタクシを追い出すと? おおっと、これはまた意外な選択ですね」

 奴が豊満なしろいボディーをくねんくねんと、くねらせる。そして喉の奥から「きゅうきゅう」と、なんとも言えない愛くるしい鳴き声をもらす。

 なんだか自分が大変いけないことをしている気にさせる、卑怯な手だ。ウシヲも最初は騙された。

「出て行くんだ」

 学生向けアパートの、安っぽいドアを開ける。春のやわらかな日差しがウシヲを包み込む。風にのって近くの小学校からは、子供たちの歓声が聞こえてくる。平和な真昼の光景に、ウシヲは目を細めた。

 俺は日常を取り戻すのだ。

 覚悟を決め、振り返ろうとした瞬間。ウシヲの背中に衝撃が走った。

「ていっ」

 奴がウシヲの背に乗って来たのだ。潰れるほどではないが、加速がついたぽっちゃり体型は危険だ。「ぐえ」ヒキガエルのような声はでたものの、ウシヲはなんとか踏ん張った。

「お前に選択権があると思うのか? 愚かしい人間めがっ」

 背中で偉そうにふんぞりかえる奴を、ウシヲは肩越しに睨みつけた。

「ふざけるな!」 

 こうなったら、やってやる。主義には反するが、暴力に訴えてやる。

 奴を全体重をかけて潰すために、ウシヲは背中越しに倒れこんだ。


 一週間前。雨の降る火曜日であった。

 クール宅急便で奴は来た。

「北海道からです」

 配達員の言葉に、実家だと即座に思ったウシヲは送り主を確認もせずに受け取った。彼の母親は息子の大学入学と同時に、益体も無い荷物をせっせと送りつけてくるからだ。

 剥がすのが面倒なほど幾重にもなったガムテープを取り除き、開けた先にあったものは、米でも肉でもましてや現金でもなかった。一頭の。ましろにふわふわのあざらしがいた。

 大きめの枕ほどのサイズで、目を閉じ、直立不動の格好であった。

 腹の辺りに乗せられた正方形の紙に、『あざらし奥さん降臨!』妙ちきりんな謳い文句が書かれていた。

「何、これ?」

 ウシヲの母親は、年甲斐もなくファンシーなものが好きだ。

 居間の本棚には、ぬいぐるみが綺麗に並べられている。母親の推しぬいぐるみかもしれない。大学生の息子に送るには不向きであるが、更年期障害を経て、にわかに元気MAXとなっている母の頭の中など、ウシヲには到底理解不可能だ。

 有り難迷惑100%の贈り物に、ウシヲはやさぐれた気持ちで、あざらしの腹を力まかせに突いてみた。指先を跳ね返す柔らかな弾力は、なかなかに癖になる感触だ。近所の野良猫を触った時と大変似ている。

 すげえなこの頃のぬいぐるみ。興がのり、何度も突いていると「やめてくなさい」弱々しい声がウシヲを遮った。

 音声付きぬいぐるみか。箱から取り出しあざらしを上下左右と眺めるものの、スイッチらしきものは見当たらない。なので振ってみた。

「やめてくなさい。やめてくなさい。やめやめやめ」

 振動を与え過ぎたせいか音声がおかしい。壊したかと改めて真正面から眺めると、「やめろ、このたわけめがっ」

 いつの間に見開いたのか。真っ黒な目を尖らせ、あざらしはくわっと口を開けた。ぞろりと歯が現れる。すげえ、クオリティ! 胸踊り、感心したのも束の間。ウシヲは指を思いっきり齧られた。

 痛い。めちゃくちゃに痛い。

「嘘うそうそうそ、何これ。痛い」

 いらない、こんなリアルさの追求。ここにきて尚、ぬいぐるみ説を捨てきれないウシヲを嘲笑うように、噛む力は強まっていく。その後数十分。「くそ」だの「ばか」だの繰り返すたびに、新たに噛まれ続けたウシヲの指は血まみれになっていた。

 

 あの時に速攻で段ボールに戻し、ゴミ捨て場に放り込むべきだったのだ。それをしなかった自分を、ウシヲは何度呪ったことか。

 やっとの思いで引き離したアザラシは、「だって怖かったんだもん。それに甘噛みだし」と、瞳をうるうるさせながら同情を誘った。

 噛まれた指はじくじくと痛んだ。なのに奴を許す気になってしまったのは、愛らしさと珍しさの為であった。なにせ後ひれですっくと立ち、人語を解す。さらに自分は未来あざらしだと言うのだ。

 大学生ではあるものの、いまだ子供っぽいところがあるウシヲの胸は踊った。何、これ、未来からやってきたあざらし型ロボットなの? そう問いかけると、「なまです」奴は胸を張った。

塩崎潮しおざきうしをくん、君は選ばれし者だ。未来の安寧と人類の繁栄は君にかかっている」

 選ばれし者。このフレーズに惹かれない者がいるであろうか? いや、いまい。

 前のめりになってウシヲはあざらしに問いかけた。

「それって、どういう事? もう少し具体的に」

「これより先。地球には未曾有の災害がもたらされる。私のお願いを聞いてくれたら、君はそれらを回避できる肉体を手に入れられる。さらに特典として壮絶なるモテ男にしてあげよう。どんな可憐な美少女もセクシーお姉さんもよりどりみどり。毎日が女体祭りでわっしょい状態」

 あざらしの言葉にウシヲの脳内は煩悩まみれとなった。

 無論疑問の余地は多いにあった。胡散臭い暴力あざらしが説く眉唾話だ。これが渋谷でキャッチセールスから言われたら、ウシヲとて「まさか」と思うくらいの常識はあった。しかしここは個室。一対一の空間。理性的な忠告をしてくれる第三者はいない。その上で、青少年にとっては誰もが一度ならず二度三度と妄想する禁忌の誘惑。ウシヲはだらしなくも生唾を飲み込んだ。

「で、願いとは?」

 聞くだけ聞いてみようじゃないか。高鳴る鼓動を抑えながらウシヲは問いかけた。

 ここで壺買って下さいと言われたら、さすがに踏みとどまったであろう。だがあざらしの願いは、とてもささやかなものであった。

 可愛らしく前鰭でおねだりポーズをとると「ツナサンドウィッチ、くなさい」要求した。

 ツナサンドの見返りで、美女ゲット。しかも複数可。これに躊躇する男がいるであろうか。ウシヲが財布片手に近所のコンビニへと走って行ったのは言うまでもない。そこが人生の分岐点であったのだと、ウシヲは忸怩じくじたる思いで、繰り返し後悔する羽目になるのであった。

 

 起死回生の背面からの攻撃は上手くいった。背中の痛みを堪えつつ確認すると、真っ白ふわふわ毛皮がペシャンコになっている。

 ついに。あの腐れあざらしを俺は倒した! 

 歓喜のアドレナリン放出と共に、見かけだけは愛くるしい動物を死なせてしまった己の所業に、胸がちくりと痛む。人間、なんだかんだ可愛いものには弱くできている。

「なむなむ。きちんと成仏してくれ」

 拝みながら玄関に引っ付いている毛皮をめくって、ウシヲはフリーズした。おかしい。いくらなんでも、ぺったんこすぎる。

「気づくのが遅いわっ、この痴れ者が。尊いあざらし様を手にかけようとした重罪で、お前の子孫は3代にわたって獄中行きだ!」

 声はウシヲの頭上から響く。

 まさか。そんな。信じたくない思いで仰ぎみると、そこには天井に張り付いている灰色のあざらしがいるではないか。

「え、忍者? え、皮は?」

 ウシヲの手の中にあるのは、真っ白ぺたんこの皮だけ。中身は天井で、ふふんとほくそ笑む。

「愚か者め。それは着脱可能の毛皮なのだ」

「なんで、そんな手間かけてんだ」

「だって白くてもふもふだと、かわいいじゃない〜」

 張り付いた姿勢のまま、器用にくねくねと身体をゆする。

「女子受けばっちしなのだ」

「じゃあ、張り付くのはどうやってる」

 特撮番組などでは主人公の質問に悪役は最後まで付き合ってくれる。しかし未来あざらしに、そのような武士道精神や温情はなかった。

「全てを晒すと思うのか、たわけっ!!」

 天井から舞い降りると、いっぺんの躊躇もなく、あざらしはウシヲの眉間目がけて鞭を振るった。どこから出したのかツッコミたかったが時すでに遅し。ウシヲはノックダウンしたのであった。


 血の滲む包帯姿で、ウシヲは正座をさせられている。土下座でないだけマシではあると思うものの、屈辱であることに変わりはない。ちなみに鞭だと思ったものは、蛸の足であった。棘がぎっしりついている吸盤は10センチもある。未来あざらしはクラーケン牧場でも経営しているのであろうか。痛いのなんの。ウシヲは抵抗する気力を失った。

 敗北を受け入れた結果。家主で人間のウシヲは、靴の散らかる三和土で正座。

 一方のあざらしは畳+ウシヲの羽布団を二つ折にしたものの上でふんぞりかえって、食料兼武器となる蛸足を齧っている。蛸の断片とあざらしの涎が布団を濡らす。

 何この身分格差。惨めさに涙が滲みそうになるが、ウシヲはぐっと堪える。狼狽したり泣いたりすると、あざらしは喜ぶ。性格が悪いのだ。

「はい、ここでおさらいをしましょう。この契約書。君のサインと血判がありますね」

 得意げな顔であざらしは契約書をかざす。初日にコンビニから意気揚々と帰ったウシヲが、そそのかされるままに記入したものだ。

「甲は乙との契約がはたされない場合には、違約金として300万を支払うとあります。甲とは誰かな〜?」

「……俺」

「では、乙は?」

「おまえ」

「あざらし奥様と呼べやっ! この債務不履行男がっ!」

 くわっとあざらし奥様が大口を開け、犬歯を見せつける。

 奥いう名称はワイフの意味ではなく、苗字である。あざらし奥さんの説明を鵜呑みにするならば、未来のエリートあざらしは苗字帯蛸みょうじたいしょうなのであった。

「でも、俺にはもう無理なんだ」

「だ〜か〜ら〜。ウシヲくんが不器用さんなら、チャンスはまだ与えるって言ってるじゃない。ぐだぐだ言わずにちょちょいのちょ〜い、ってやっちゃってよ」

「何枚提供したと思ってるんだ!」

 ウシヲは叫んだ。

「はて?」

「75枚。一週間ツナサンド三昧でうんざりだ!」

「だってダメダメなんだもん」

 あざらしは頬を膨らませる。正体を知らない女子から黄色い声で「可愛い♡」ともてはやされそうな仕草が癇に障る。

「そんなに欲しかったら、星5のパン屋に行ってくれ! 俺にこれ以上ツナサンドは無理だ」

 ウシヲの咆哮に、「合格点のツナサンドウィッチが無ければ聞けぬ話しですな」あざらしはにべもなかった。

「そんなにサンドイッチが好きなのか?」

「まさか!」

 あざらしは鼻先で嗤った。あまつさえ、肩をすくめてみせた。

「あんなパッサパサの食事などするものか」

「だったら、いらないだろう。俺を自由にしてくれ」

「契約が有効なうちは無理ですな」

「じゃあせめて、どんな感じのサンドイッチが欲しいのか教えろよ!」

「なんと嘆かわしい!」

 芝居がかった様子でのけぞると、「人間は考える葦と言うではないか。すなわち思考こそが人間の証。レッツ、シンクですぞ。ウシヲくん」

「ああああ”。もうやだ。シンクでもシングでも、なんでもかんでももう嫌だ」

「ええい、泣き言ばかりを言うな、この絶滅危惧種めが!」

 あざらしが覇権を握った未来。人類は絶滅危惧種認定されているという。

「嘘だ! 信じない」

 無論ウシヲは反論したものの、目の前には動かぬ証拠。知恵を持ち、人語を操る着ぐるみあざらし。しかも証文を振り翳す悪魔。

「嘘じゃないも〜ん」

 あざらしは得意げに鼻先を蠢かす。

 モテに乗せられた結果がこれだ。

 あらゆるコンビニ。美味しいと評判のパン屋さん。スーパーのパンコーナーも試した。ランチパックも。それら全てが却下の嵐。ならばと料理は得意ではないが、動画を参考にツナサンドを作った。正直自分ではかなり旨いと思ったものの、あざらしは納得しない。もはやサンドイッチ作りは口実で、人間相手に憂さ晴らしをしたい突然変異腹黒あざらしなのではないか。ウシヲはそう睨んでいる。

 だとしたら、この状況は無限地獄じゃん。

 堪えていた悔し涙がついに流れた。

(父さん母さんごめん。こんなことするために、北海道から東京の大学に入ったわけではないのに。地元の数倍の家賃に食費に学費が、こんなあざらしのせいで無に帰すかもしんない。俺って、めっちゃ親不孝。これも全ては10代男子の性欲のせいだ。滅べ! すけべ心なんて滅んでしまえ!!)

 胸中で拳を高くかかげ、叫ぶウシヲに、

「大丈夫。それらは全て滅びますから」

 あざらしはしゃらりと言い放った。

「え?」

「ウシヲくん、今の心の声だと思っているのかもだけど、独白になっているから」

「ええ!?」

「いじめるつもりないですから。人間いじめる為にタイムスリップするほど、私、暇じゃないですから」

「いや、ソッチよりもすけべ心の方が、気になるっつーか」

 テヘヘと、ウシヲは頭を掻いた。学習しない男である。

「じゃあ教えますが、22世紀後半には人間オスの性欲もすけべ心も、精子さえも全部まるっと消滅していますから」

「……嘘」

「こんな嘘を吐いて、私に何の利益があると言うのです」

 眉間に皺を寄せ。グッとシリアス口調であざらしは語る。

「元はといえば人間が蒔いた種。ウシヲくん、これから半世紀で地球温暖化は急激に進みますぞ。結果、永久凍土は溶け、多くの大地は海の下となっていきます。さらに溶けた凍土から発生する古代のウィルスにより」

 言葉を切ると、あざらしはフッと遠くを見る目つきをする。

「もしや人類全滅のパンデミック!? WHO何やってんだ!!」

 叫ぶウシヲへ、

「いえ、全オスの性的不能社会となります。人間限定で」

 あざらしがジッとウシヲを見つめることしばし。ウシヲは絞り出すように、「そんな、男が全員インポになるなんて……」呟いた。滅亡パンデミックルートより、ある意味衝撃であったのだ。

「歴史は変えられません。しかしそこで君が必要となるのだ、ウシヲくん」

 あざらしは、項垂れるウシヲの肩にいたわるように前鰭を置いた。

「袋小路となった人類の未来を変える、選ばれし者。それが、君。だからサンドウィッチ作って。早急に」

 あざらしはどこまでいっても、ブレなかった。


 男の重要なあれやこれやの消滅。突きつけられた未来はウシヲを奮い立たせるどころか、意気消沈させた。 

 なにその地獄。

 だから人類は滅ぶの? だからこんな変なあざらしが幅をきかせるの? 

 どうせ滅ぶんなら、もうどうなったっていいじゃん。300万。踏みたおしでいいじゃん。

 開き直ったウシヲは事務的にサンドイッチを作った。

 パンは賞味期限を3日過ぎてから慌てて冷蔵庫に入れて、さらに2日たっている。黴てはいないものの、ウシヲの気持ちとシンクロしているような硬さだ。それを包丁で三角形にざくりとやる。

 ツナは缶詰から汁ごとぶちまけた。マヨネーズもバターもチーズも。トッピングのレタスもキューリもトマトも。ましてや大盤振る舞いのハムもなし。ナイナイずくしのやる気ゼロサンドだ。

 これを差し出す。そして却下されたら、奴の顔に投げつける。それから外へ猛ダッシュし、ゴールは保健所だ。危険な未確認野生生物に襲われたと報告するのだ。

 出まかせではない。頭ぐるぐる巻きの包帯を見よ。滲んだ血糊。そうだ可能ならば脱いだ皮も提出しよう。これら動かぬ証拠を盾に、行政に訴えてやる。

「はい」

 ウシヲはサンドイッチをあざらしへ渡し、いつでも逃げ出せるようにドアの鍵をこっそり開けた。スマホと財布は調理の前に、ジーンズのポケットに入れている。ランナウェイ準備OKだ。

 ある意味、初回と対を張るウキウキ感で、あざらしを見つめる。

 あざらしはサンドイッチを前鰭で摘んだ。なめらかな動作は、敵ながら感心する。

 そしてパサパササンドを鼻面でバッサバッサと振りまわした。かなりのしかめ面だ。

 さあ来い。文句たらたらサンドイッチを返すのだ。根性まがりあざらしめ!!

「ウシヲくん。これ」

 あざらしはサンドイッチを皿に戻すと、真顔でウシヲに向かい合い、

「これぞ、私達が求めていた究極のサンドウィッチ!」そう叫ぶなり、むっふんと胸を反らせた。

「はあ?」

 またもやどこから取り出したのか、喇叭ラッパを朗朗と吹き鳴らす。ウシヲに音楽の教養は無いが、奏でられる曲が福音であることは想像がついた。

 それにしても、こんなにも味気ないまずいサンドがお好みとは。やはり獣。すでにあざらしに辟易していたウシヲが、恐れをものともせずに己の感想を告げると、「ふん」と鼻を鳴らした。

「我らがこのようなものを食べると? 新鮮美味しい蛸があるというのに。君、バカじゃないの」

「じゃあ、なんでそんなもん俺に作らせたんだ」

 ムッとしたウシヲが聞き返すと「それはシャチ共の餌」

「シャチ?」

「そう、あの無法者」

 口にするのも穢らわしい。あざらしは顔をしかめると、これまたどこから取り出したのか、まっしろなハンケチで口元をぬぐった。

「なんでシャチにサンドイッチ? だってシャチの餌って、たしか」

 そこまでを口にして、懸命にもウシヲは続く言葉を飲み込んだ。

 シャチの餌=あざ◯し。

 決して本人に向かって口にできない。いくらなんでも、ウシヲの良心が許さない。

 しかし根が単純なウシヲだ。さっと変わった顔色に、心中を悟ったのであろう。あざらしは重々しく頷いた。

「まさにあの悪魔の輩は我らを食す。なんという暴挙。野蛮極まりない生命体!!」

 でもそういうあなたも蛸食っているよね? 俺らも喰うけど。今度はしっかりと心の中だけでウシヲは呟く。

「すべての海を制した我らにとっては、あやつらなど歯牙にもかけない相手。されど、我らにも慈悲の心はあり。すなわち食事の改善を求めたのだ」

「で、」

「で、サンドウィッチ。ツナを食するのならば、生かしてやろうというのが全あざらし連盟の出した結論なのですよ」

「……シャチにツナサンド?」

「そう。嫌がらせもかねて。だってサンドウィッチなんて、悪逆非道のあやつらだって、食べたくないじゃ〜ん」

 なんというせせこましい嫌がらせ。ウシヲは呆れた。

「ちょっと聞きずらいんだけど」

「なんですかな」

「マグロとか、カツオの権利は」

「は?」

「だから、あざらしのかわりになるマグロやカツオ的にはどうなのって」

「これは異なことを」

 フォッフォッフォ。あざらしは高らかに笑うと、「人間は哺乳類。ではあざらしは?」ウシヲへと問いかけた。

「え、哺乳類」

「シャチは?」

「哺乳類」

「マグロとカツオは?」

「魚類」

「その通り。あの悪魔のシャチは悲しいことに我らと同じく哺乳類なのだ。ならばいくばくかの情けをかけるのも理解できよう」

「……つまり魚に選択肢はないと?」

「あやつらは、痛覚さえないのだよ」

 やれやれ。という仕草であざらしは首を振る。

「いや、でもマグロの立場は」

「はあ? では君は今まで一度もマグロを食していないとでも言うのかね。鉄火巻きも、マグロの握りも食ったことはないのかね? カツオのたたきを食わんのかね? ああ“あ”ん?」

「いや、好物」

「人間は魚を食する。シャチも今後まずいツナサンドウィッチを食す。それで良いではないか。それにこれらはもはや決定事項なのだ。議論の余地などないのだよ」

 まあ、いいや。

 ウシヲは思う。俺、シャチの未来にあんま興味ないし。そういうのは自然保護とかそういう団体さんの出番であろう。今は全ての話を丸く収めて、さっさとお引き取り願いたい。それだけだ。すまん、シャチ諸君。

「じゃあ。これにて一件落着。契約書返して」

「おお、無論。私が手ずから破棄してしんぜよう」

 くるっくると回りながらあざらしは契約書を破り始める。それ掃除すんの俺なんだけど。まあ、いいけど。出て行ってくれるなら。

「では、私はこれにて任務終了」

「ああ! やったな!」

 ウシヲも何やら爽快な気分でVサインをした。こういうところが、つけ込まれやすい性格なのであろう。

「今後のことはワクチンが届いてから、引き継ぎ担当者と怠りなく遂行してくれたまえ」

「ワクチンって?」

「だーかーらー」

 こいつバカじゃね。みたいな顔つきであざらしは言う。

「さっき説明したオスの性的不能を回避するワクチンです。それでウハウハハッピーライフになるの! 君のひ孫かやしゃごあたりが」

「ひまごおおおお?」

「だって22世紀の話だもーん」

 なんら悪びれる様子もなくあざらしは言った。

「じゃあ、22世紀の子孫のところに行けば良いじゃないか! 俺、全然関係なくね?」

 ウシヲは怒りをあらわにした。それへ、「チッチッチ」前鰭を小刻みに揺らしながら、あざらしは言う。

「甘い! 甘いですぞ、ウシヲくん。君は生物学をもっと学ぶべきだったのです。いいですか、一度絶滅の危機に瀕した生物を復活させるのは、そりゃあもう大変な労力がかかるのです。君、ダーウィンが来た!とか地球ドラマチックとか観て勉強しなさい。あ、別に私、某放送局から何らかの援助とか受けていませんから。あくまで今後の君の為に言っていますから」

 そもそもウシヲはテレビを持っていない。受信料払うのも面倒であった。

「絶滅に瀕し、性欲を失い、気力ゼロとなった人間オスにサンドイッチ製作を依頼できると君は思うのですか? 無理。絶対確実に無理。そこで我らはプロジェクトZARAを立ち上げたのです。今、要約を君のスマホに転送しますね」

 言うなりあざらしは自分の脇をぽちっとした。確かに観た。未来あざらしって、AI機器内蔵なのか。まさか蛸足とか喇叭とか。諸々あそこから出てくるの!? 

 ウシヲの頭はさらなる疑問で満載だ。

 送られてきたデータには目を疑うような内容が、ずらずらずらんと記載されていた。

 関東一帯はまるっと水没するため、大学卒業後は北海道に帰る事。

 そこで指定のど田舎の土地を速やかに購入。購入資金に関しては次の指導者から指示あり。

 まずいサンドイッチレシピは一子相伝で伝えていくこと。

 さらに次世代からは、サンドイッチ工場の立ち上げを視野に資金調達に励むべし。などなど。

「俺の存在意義ないじゃん!」

 ウシヲは叫んだ。

「なんの! 君には子々孫々のウハウハ生活の為、我らが開発したワクチンの被験者になるという壮大な使命が待っておりますぞ」

「無理むりむりむり。絶対むり。俺、受験のためのコロナワクチンの副作用だけで死ぬ思いだったから……」

 そこまで口にして、ウシヲはとてつもなく悪い予感に固まった。

「ちょっと。待って。……まさかそのワクチン開発って」

「無論。我ら」

 あざらしの作った人間用ワクチン。恐ろしすぎる想像がウシヲを襲う。

「まさか、俺って人体実験」

「試練を耐えてこそのご褒美ですぞ」

 さも当然というていであざらしは認めた。ウシヲは全身から力が抜けていく思いであった。

「それなのに、旨味は全てひ孫世代」

「生物として、己の遺伝子を後世に伝えることは本能!」

「俺、人間だから。もっとデリートに物事考えろよ。それにそうだ。俺の遺伝子だけだと色々ヤヴァくなるんじゃ」

「あ、大丈夫。各市町村ごとに選定者が行っていますから。そこんとこは、お気遣いなく」

 えへ、と笑ってあざらしは、来た時の段ボールにヒュルンと入る。

「ではご機嫌よう」

 言うなり、自動的に蓋が閉まる。ピンポーンとジャストタイミングでインターフォンが鳴る。

「しろくま宅急便でーす。ご予約のお荷物受け取りに参りましたー」

 快活な声が外から響いた。

 これからも続くであろう苦難の日々を思い浮かべ、ウシヲは膝から崩れ落ちたのであった。





第3回日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト一次通過作です。

二次選考担当者様からいただいたフィードバックコメントは活動報告に載せています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 奥さんって名前なんですね、かわいい。バイオレンスでキュートなあざらしの次は……しろくま! [一言] ツナサンド好きです。 たまごサンドも好きです。
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