春 その①
二年前、僕は一人の後輩と出会った。
四宮あやめ。高校3年にもなってダラダラと部室に入り浸っていた僕を見て、彼女は開口一番こう言ってきた。
「先輩って、一人ですか!?」
失礼極まりないやつだった。
バン! と大きな音を立てながら四畳半くらいの部室に入ってきて、ちら、と部屋のはしに鎮座しているMIDI鍵を一瞥し、そして僕のほうに向かってそう言い放ったのだ。
その表情は、どこか楽しそうで。
そして、きれいだった。
これからの学校生活の期待に満ち溢れた、ありふれた一年生の目をしていた。
「……え、誰?」
突然の事態に呆然としていた僕は、気の抜けた声で誰何する。
「あ、えっと……部室ですよね? ここ」
「そうだけど……あ、もしかして入部希望の子かな」
「はい。1年B組18番の四宮あやめです。趣味は……」
と、彼女はそこで言葉を詰まらせた。音研に来るくらいだから、音楽鑑賞とか、まあ少なくとも音楽関係の何かしら(楽器とか、こういうジャンルが好きとか、まあ変わり種で音楽理論が、とかそんなところ)だと思ってなんとなく聞き流していた僕は、あまりにも長い言葉の空白に、思わず身を乗り出してしまった。
「……うーん」
彼女は静かに唸る。
「ああ、そうですね。夢を見ることが趣味です。よろしくお願いしますね、先輩」
「……? いや、まあ、うん、よろしく……え、じゃあなんでこの部に?」
「先輩が一人でこの部にいたからですよ」
ますます意味が分からなくなった。
「私、夢だったんです」
と、そう言いながら、彼女はこちらにゆっくりと近づいてきて。
ずい、と僕に顔を寄せる。
「放課後の部室に、先輩と二人っきり、みたいな。そんなシチュエーションが」
ふ、と。
彼女の吐息が頬に当たる。
思わず、反射的に、僕は彼女を軽く突き飛ばしていた。
手が震えていた。
「……何のつもりだ」
自分の想像以上に低い声で、僕は彼女に問いかけた。
「あれ、嫌でした?」
「嫌とかじゃなくて、初対面だろ、君と僕は」
「別に、ちょっとからかっただけじゃないですか」
半笑いで彼女は答える。そして、僕の前までパイプ椅子を持ってくると、それに深く腰掛けた。
「少しお話しませんか、先輩。いろいろ教えて下さい、学校のこと。ほら、七不思議とか、自殺した生徒の話とか!」
「……いや、知らないけど……」
「えー、知らないんですか? 高校生はみんな知ってるって、兄が言ってましたけど」
「それはお兄さんが特殊な環境にいただけじゃないかな……」
彼女は退屈そうな顔をして、
「じゃあ、先輩は何してるんですか? こんなところで一人で……何書いてたんです?」
机の上に広げたルーズリーフに目をやった。
歌詞だ。
書きかけの歌詞が、五曲ぶんほど。言いたいことがまとまらなくて、ここ数日はずっとそんな調子だった。その傍らには参考にと思って借りてきた文庫本。誰が書いたかも分からないが、タイトルが気に入ったので借りてきたものだ。
「小説ですか?」
「いや、歌詞だよ。<音楽研究部>なんだから」
「ああ……ここってそういう部活だったんですね」
「なんだと思ってたの?」
「てっきり学校の怪異相手に戦ったり校内で起きた不可思議な事件を解決したりするなんでも屋的な部活だと思ってました」
冗談でしょ、と笑い飛ばそうとして、僕は彼女の表情を見る。
しごく真面目そうな顔だった。
「……ウチはそういうのじゃないな、残念ながら」
「え、じゃあそういうのやってる部活とかってあるんですか?」
「さあね。でも、そういうのってひょんなことから、ってもんじゃないの?」
「確かに……じゃあ、この部にもそういうことありますかね」
あるわけないだろ、とは言わなかった。さあねえ、とおばあちゃんみたいな濁し方をする。
そこに、彼女の地雷があるような気がして。
こういうときの僕の勘は、絶対に当たるのだ。