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episode.83 訪れた朝

 セルヴィアに噂について伝え、キャロレシア王妃メルティアは娘たちの前から去る。

 王の間から出ていってから、彼女は薄暗い中で小さな溜め息を漏らす。もっとも、その溜め息が噂を伝えられた安堵ゆえか憂鬱さゆえかは不明なのだが。


「こんばんは」

「まぁ! こんばんは。貴方は確か……」

「カンパニュラです」

「あぁ、すみません、忘れてしまっていて。そうでしたね」


 メルティアに声をかけたのは、王の間へと続く扉のすぐ外側で見張りをしていたカンパニュラだった。


「珍しいですね、夜に」


 カンパニュラはセルヴィアやリーツェルたちと話す時のようなぶっきらぼうな話し方はしない。声自体はあまり感情を含んでいないようなあっさりしたものだが、選ぶ言葉は丁寧だ。


「娘に少し用事があって来ていました。でも、もう帰るところです。次の用事がありますので」

「分かりました。夜は危険です、お気をつけて」

「ふふ。ありがとうございます。カンパニュラさんは意外と紳士な方なのですね」


 微笑ましい空気で二人は別れる。


 人の目の前から去るメルティアの表情は、決して明るいものではなかった。彼女は薄暗い道を行きながら「危険、ね……」と独り言のように呟く。もっとも、その意味を知る者はいないのだけれど。


 やがて、メルティアは昔から付き合いのある人物と合流する。


「娘さんとのお話は終わられたのですか?」

「えぇ。もう済みました」


 合流した人物は、何も、個人的な関係がある人物ではない。ただ、メルティアの目的のためには、その人物の助力が欠かせなかったのである。それゆえ、今はこうして、共に道を歩んでいる。


「王妃様、最後にもう一度確認させて下さい」

「構いません。何ですか」

「貴女様が無事でいられる保証はありませんが、それでも問題ありませんか?」


 明かりの少ないその通路で、メルティアは淡々と答える。


「問題ありません。……すべてはセルヴィアを護るため。そのためならできることは何でもします」



 ◆



 朝が来る。いつもと何も変わらない朝。誰も何もせずとも陽は昇り、穏やかな光が地表に降り注ぐ。静かに、静かに、また新しい日が訪れる。


「おはようございます、セルヴィア様! ハーブティーをお持ちしましたわ!」


 陽の光のような黄色寄りの色みの水面に、自分の顔が映り込む。


「おはよう。でも、どうしてハーブティー? 唐突ね」

「実は使ってみたいと思っていたんですの! でもなかなか機会がなくて。せっかくですから、今、淹れてみましたの!」


 少し酸味を感じる柔らかな味わい。

 何というハーブティーかは知らないが、味はなかなか悪くない。


「美味しい……!」


 口に含むと、陽だまりで昼寝しているような気分になってくる。


「良い味でしたの?」


 リーツェルが興味深そうに尋ねてきた。


「えぇ。何だか元気が出るわ」

「元気が出る味……ですの? それは……謎ですわ……」


 リーツェルは、よく分からない、とでも言いたげな顔をする。

 そんな彼女に、私は提案。


「一口飲んでみる?」


 同じカップで何人もが飲むというのは、衛生的に良い行動ではないかもしれない。けれども、私としては、リーツェルが相手ならそれほど気にはならないのだ。リーツェルのことを不衛生な人とは思っていないから。もちろん、彼女が嫌ならば無理に飲めとは言わないけれど。


「ええっ!? わたくしが!?」


 予想外の大きなリアクション。


「嫌なら嫌と言って構わないわよ」

「そ、そんな! 嫌なんて言いませんわ!」

「じゃあどうぞ」

「あ、ありがとうございます……! 一口いただきますわ……!」


 ハーブティーの心地よい香りに包まれること、心を通い合わせることのできる人と過ごせるということ。それらが、私の胸の内に光を射し込ませてくれる。凍り付いた、というのは、さすがに大層かもしれないけれど、細やかな幸せはいつも凍り付いた心を溶かしてくれるのだ。


「確かに美味ですわね……!」


 お茶を少量口腔内に含んだリーツェルは、飲み込むや否や感想を述べた。


「でしょ?」

「えぇ! 本当に!」


 そんな風にして、呑気な朝を迎えていた……のだが。


「王女、失礼します」


 リーツェルとの楽しい時間を遮るように現れたのはファンデンベルク。

 表情自体に大きな変化はない。が、単にやって来ただけにしては少し様子がおかしい。雰囲気が、普段の朝とは心なしか違っているような気がする。


「王妃様がいらっしゃらない、とのことで、外は騒ぎになっているようです」

「え。……どういうこと?」


 すぐには理解が追いつかなかった。

 昨日はあんなに普通に存在していたではないか。あれが幻だったはずはない、それは確信できる。私たちは偽者と話していたわけではない。

 でも、だからこそ、ファンデンベルクの発言についていけないのだ。

 何もかもが理解不能。


「今朝係の者が部屋に入ると、姿がなかったそうです」

「ええと……家出?」

「分かりません。ですが、昨晩の王妃様は、家出なさるような精神状態には見えませんでした」


 それは彼の言う通りだと思う。

 思いついておいて何だが、いい年して家出するとは考え難い。


「用事があると仰ってましたわ。その用事で外出なさっているのでは?」


 リーツェルは首を傾げながら述べる。


「しかしリーツェル。それならば誰かが説明を受けているものと思われます」

「丁寧さが逆に鬱陶しいですわよ!」


 ファンデンベルクに対するリーツェルの態度は相変わらず。平常時と何も変わっていない。けれども、何となく落ち着かない。母親だって人間だから出掛けることもあるだろうに、今はどうしても悪いことばかり考えてしまいそうになる。


「よく分からないわね……可能性があるとしたら、誘拐?」


 深い意味はないが言ってみる。

 するとファンデンベルクは、しばらく黙ってから、発した。


「考えたくはないですが」


 どうやら、彼の脳内にもその案は存在したようだ。


「もしかしたらそうかもと思っている、ということね」

「はい。ですが、それはあくまで一つの可能性。根拠があるわけではありません」

「そうよね……」

「何か対処しますか?」

「もう少し様子を見ても良いのではないかしら」

「そうですね」

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