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episode.76 険悪

 雨降りの日は何とも言えない気分になる。

 それが良いものなのかそうでないのか、私にはよく分からないけれど。


「セルヴィアさん! 来ーちゃった!」

「リトナ王女!?」


 この日、私に会いにやって来たのは、リトナだった。

 何の連絡も予告もなくやって来たから、彼女の姿を見た時私は驚かずにはいられなかった。彼女の顔を見るのはそれほど久々ではないけれど、それでも落ち着いてはいられない。


「どうしてここに!?」

「退屈だったからー、連れてきてもらっちゃったー」


 リトナはなぜかおめかししている。


 前面を金ボタンで留めるようになっている紺のブレザーに、白色のワンピース。ベルトはブレザーに近い色で、花の飾りがついている。脚には白に近い色のタイツを履き、靴は紺の少しだけヒールがあるサンダル。


 斜め後ろに立っていたリーツェルとファンデンベルクが身を固くするのが分かった。


「そうだったの……」

「安心していーからっ。もう余計なことをする気はないからっ」


 そんなことを言われても、リーツェルやファンデンベルクはきっと安心できないだろう。


「っていうか、リトナさっきから睨まれてるー。ねぇセルヴィアさん、どうにかして?」

「え」

「ほら、後ろの男の子!」


 リトナに言われて振り返ると、ファンデンベルクが眉間にしわを寄せていることが分かった。


「ファンデンベルクのことね?」

「多分そう! そこの黒髪の人!」

「ごめんなさい。でも気にしないで、彼はいつもこんな感じよ」


 失礼な嘘をついてしまったかもしれない。でも、ごまかそうとしたら、自然とそんなことを発してしまったのだ。だから仕方ない。


「えー、ホントー?」

「本当よ。彼は少しばかりミステリアスなの。でも安心して、悪い人ではないわ」


 ファンデンベルクはピリピリした空気をまとっている。リトナが言っているのも、恐らく、そのことなのだろう。だが、うっかり余計なことを言ってしまって現状が悪化したら大変。何とかごまかさなくてはならない。しかし、ごまかす言葉を器用に言える私でもないので、なかなか難しい。


「何か用があったの?」

「ううん、べつにー」


 即答されてしまった。

 用があったのでないのなら、なぜわざわざここへ来たのか。


「遊んでいっていーい?」

「申し訳ないけれど……それは無理な話だわ。せっかく来てもらったのにごめんなさい」


 リトナのことが嫌いなわけではない。でも、多分、彼女と遊んでいる暇は私にはない。恐らく今日も用事がたくさん来るだろうから。リトナが相手だと、用事に協力してもらうわけにもいかないし。


「謝らなくていいからー、遊べるようにしてー?」


 両手を背中側で組み、前のめりになるように体を倒して、上目遣いの技を使ってくる。

 リトナはとても可愛らしい人だから、男性受けは良さそうだ。もっとも、ことあるごとに嫌みを交えてくる性格に男性が耐えられるかは謎だが。


「それは無理なの」

「えー。ぶーぶー。無理とか断言するとか、あり得なーい。遊んでー」


 子どもか! と突っ込みを入れたくなってしまう。


「あ。じゃあ、カンパニュラさんと遊ぶというのはどうかしら」

「えー何それー? どういうことー?」

「彼に相手をするように頼むわ」

「嫌! おっさんは鬱陶しいから嫌!」


 リトナが「不愉快極まりない」とでも言いたげな表情で述べた、その時。

 王の間に一人の男性が入ってきた。


「失礼する」


 入ってきたのは、いつもと変わらないグレーのスーツを着ているカンパニュラだった。


 このタイミングで入ってきたということは、まさか、私たちの話を聞いていた? ……でも、扉越しに話が丸聞こえになっているとは考え難い。だとしたら、偶然? 本当に、偶々、このタイミングになっただけ?


 ただ、何にせよ彼が現れてくれたことはありがたいことだ。


 ……リトナを押し付けられるから。


「カンパニュラさん。ちょうど良かった、お願いしたいことがあったんです」

「何だ、いきなり」


 カンパニュラは元から存在している眉間のしわをさらに深くする。


「リトナ王女と遊んでくださいませんか?」

「馬鹿を言うな」


 即座にそんな風に返されてしまった。


「セルヴィアさん話聞いてないの!? リトナ、おっさんは嫌!」


 リトナから追撃がきた。

 いや、もちろん、分かってはいるのだ。リトナとカンパニュラが仲良く遊べないことくらいは。でも、リトナの相手を私がするわけにもいかない。ファンデンベルクたちに任せるのも申し訳ないし。


「この辺で勝手に遊んどくからー。それでいい?」

「ごめんなさい。秘密を漏らすわけにはいかないから、それは無理なの」

「えー。やっぱりー、セルヴィアさんー、リトナのこと怪しんでるー。ひーどーいー」


 リトナが不満そうに頬を膨らまして言った、その時。

 私より後ろにいたリーツェルが急に口を開いた。


「酷いのはそちらですわよ!」


 リーツェルがここで噛み付く、というのは、少々意外だった。


「聞いていれば、先ほどから滅茶苦茶なことばかり! 少しは配慮というものを学べばどうですの!」


 リトナは王女。敵国の人間ではあるが、高い身分の人であることもまた事実である。そんな彼女に向かってリーツェルがこうも強く出るというのは、予想外だった。


「何それ。リトナがロクマティス王女と知って言ってるの?」


 それまでは、不満げではあっても怒るところまでは至っていないようだった。だが、リーツェルの言葉に対しては、リトナはそのままの意味で腹を立てているようだ。


「存じ上げておりますわ。けれど、わたくしは、王女なら好き放題して良いとは考えていませんわ」

「黙ってなさいよ! 侍女風情がリトナに意見するとか、百年以上早いから!」


 リーツェルの袖をファンデンベルクがさりげなく掴む。


 恐らく、彼女が今以上リトナに寄っていかないようにしているのだろう。ここでは色々言いづらいこともあって言葉では伝えないが行動で伝えている——そういうことなのだろうと思われる。


 だが、ファンデンベルクの配慮も効果はなかった。

 リーツェルは彼の手を振り払い、リトナの方へと進んでいってしまう。


「貴女は、命があるだけ我々に感謝すべきですのよ」

「ちょっと。何様のつもり」

「セルヴィア様が寛容であられるから、貴女は生きているのですわ。本当なら、とっくに殺されていたことでしょう」

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