episode.60 喜怒
ファンデンベルクの鳥が帰ってきて数日が経った。
黒い鳥はもうすっかり元気だ。時折宙に舞い上がっては、王の間内を飛び回っている。健康的な飛翔を見ていると、何だか癒やされる。
「華麗に飛ぶわね」
今日は分厚い書類を読んで確認する仕事を与えられている。ちなみに、書類の内容は『今月のキャロレシア国内の経済動向』だ。
正直なことを言うなら、私には少し難しい内容が多い。
文章は読めるのでまったく読めないということはない。だが、書かれている内容をしっかりと理解するというところまで進めようと思えば、かなり時間がかかってしまいそうだ。
ただ、これらの書類を届けてくれた人は「読むだけで良い」と言っていたので、取り敢えず読んでみている。
「まったく、鳥をこんなに飛び回らせて! 注意しますわ!」
リーツェルは早速怒っている。
彼女はいちいち厳しい。真面目というか何というか。もう少し心の広さを持てば良いのに、と、思わないこともない。
「待ってリーツェル。いいのよ。このままにしておいて」
「え? そうなんですの?」
「元気な飛翔に元気を貰っているの。だからこのままでいいのよ」
「そ、そうでしたの……。分かりましたわ」
私とリーツェルがそんな風に話をしていた時、誰かが扉をノックした。乾いたノック音にすぐに気づいたリーツェルは、速やかに扉の方へと駆けてゆく。
軽やかな足取りで扉の方へ歩いていったリーツェルが、重みのある扉をゆっくり開ける。
その時、隙間から見えたのは、見覚えのある顔。
久々に見る知っている顔に少し嬉しい気持ちになる。が、それは私だけだった。リーツェルは私とは真逆の心理状態にあるようで、凄まじく不快そうな顔をしていた。
やって来たのは、カンパニュラだったのである。
「なぜいきなりそんな顔をされなくてはならないのか」
嫌いさを全力で滲ませた表情で出迎えられたカンパニュラは、顔をしかめていた。
「あーあ、最低ですわー」
「用がある。通せ」
「はーいはいはい。分かってますわよー」
簡潔に言われたリーツェルは、はぁーっと大きな溜め息をつく。一応、扉を開けてカンパニュラが室内に入ることができるようにするけれど、嫌々な感じを隠そうとはしない。むしろ、わざとらしいくらい派手に嫌さを露わにしている。
「カンパニュラさん、お久しぶりです」
彼とこうして直接顔を合わせるのはいつ以来だろうか。刺された事件以来それほど会えていなかったので、少し新鮮な気分だ。
「遅くなってすまん」
グレーのスーツを緩めに来たカンパニュラはもうすっかり元気そう。
一時はどうなることかと思ったが、案外さらりと復活してくれたので、良かった。
「いえ。それより、もう体調は良いのですか?」
「あぁ、もう問題ない。最初の予定よりか遅くなってしまったが、本日より戻る」
「ありがとうございます! でも、どうか、無理はしないで下さいね」
カンパニュラが戻ってきてくれれば心強い。
リーツェルとファンデンベルクが傍にいてくれるだけでもありがたいこと。でも、敵襲のことを考えれば、カンパニュラもいてくれる方が安心だ。彼がいるのといないのとでは、安心感が大きく違う。
「ところで。先日倉庫で襲われたそうだな」
ズボンのポケットに手を突っ込みながら、カンパニュラはそんなことを口にする。
「あ……はい。そうなんです」
「聞いた話によれば、負傷したとか。相変わらず、王子の従者どもは役に立たんな」
刹那、リーツェルが「うるさいですわよ!」と叫んだ。
それに対し、カンパニュラは睨みだけを返す。
「威勢がいいのは口だけ、か」
「お願いです。あまり刺激しないで下さい」
リーツェルは元々カンパニュラのことが嫌いだ。だからこそ、カンパニュラにはなるべく黙っていてほしい。絡まれるのが不愉快なのは分かるけれど、それでもどうか、敵意を膨らませるような言動は慎んでほしいのである。
「刺激してなどいない。真実を言ったまでだ」
「それが困るんです……」
「本当のことを言って何が悪い。王子の従者どもが役立たずであることは事実だろう。なんせ、二人もついていながら王女を怪我させたのだから」
私のことを心配してくれているからこその言葉なのだろうか。だとしたら、一概に悪とは言えない。むしろ、私から見れば善の色をはらんだ言葉と捉えることもできるかもしれない。けれども、今はどうか場を刺々しい空気にする発言はしないでほしい。それが私の願いの一つだ。
「盾にも剣にもなれんやつは使えん」
「そんな言い方をしないで下さい、二人は私の大切な……」
「ただの子どもに従者は務まらん。それは事実だ」
きっぱり言いきられてしまった。
カンパニュラの言うことも間違ってはいない。それは認める。でも、どうして本人たちがいるところでそんなことを言えるのか、そこは全然理解できない。正しいことを述べるにしても多少配慮すべきではないのか、と言いたくなる。
「女王という地位なのだろう。周りに置く人間を見直すべきだ」
「……それ以上何も言わないで下さい」
私とて、何も分かっていないわけではない。従者二人だけでは戦力に不足があるということも、理解はしている。それでも、私は二人を捨てる気はない。既に大切な人になっているからだ。傍に置く人を選ぶ基準は戦いの強さだけではない。
「そう怖い顔をするな」
貴方に言われたくないです、と言いたいような心境になる。
「私は何も責めているわけではない。いざという時に主人が戦い傷を負うようでは話にならん、と言っているだけだ」
「いい加減にしていただきたいですわ!!」
突如金切り声に近いような声を発したのはリーツェル。
ファンデンベルクは鳥と静かに戯れている。
「さっきから聞いていれば、何ですの! 余計なことばっかり!」
リーツェルはつかつかと歩きカンパニュラに接近していく。その顔面には、怒りやら何やらを混ぜたような色が濃く浮かんでいた。
「騒ぐな、いちいち」
カンパニュラはわざとらしく溜め息をつく。
いちいち相手の神経を逆撫でするような態度を取らなくて良いのに、と思いつつ、私は行く末を見守る。口を出すのはもう少し先にしようと考えている。
「そんなにわたくしたちが気に入らないんですの!?」
「弱すぎる」
「それでも! 貴方みたいな感じの悪いじいさんよりはましですわ!」
「図星だから怒るのだろう」




