episode.5 不快かつ気になる人
愛らしいリーツェルが涙目になってしまったことに気づき、焦る。
いきなり泣かせてしまうなんて。
「お、落ち着いて。落ち着いてちょうだい。無理に話さなくていいから……ね?」
「わたくしったら……お姉様の前で、情けないですわ……」
フライをこれほど想ってくれている人がいたなんて、と、私は密かに驚いた。
彼のことを人望のない人だと思っていたわけではない。ただ、彼は自分の周りの話をしないから、私はこんな繋がりがあることを知らなかったのだ。
その直後、ふと思いつき、手にしていた小さなバッグからハンカチを取り出した。
いつか親から貰った、淡い青のレースのハンカチ。
新品ではないが一度くらいしか使ったことのないものだ、貸しても問題はないだろう——そう考え、リーツェルに手渡す。
「いいのよ。そうだ、このハンカチを使って? 少しは涙が拭けるわ」
「え……で、でも……申し訳ないですわ」
「袖で拭くわけにもいかないでしょう。遠慮せず使ってちょうだい」
「あ……ありがとうございます。お姉様もお優しいですのね……」
しばらく受け取ることを躊躇っていたリーツェルだが、数回言葉を交わした後に、ようやくハンカチを受け取ってくれた。
彼女の柔らかな頬に、青みを帯びたレースが触れているのが見える。
「気を取り直して。話をしますわ」
リーツェルがそう言ったのは、彼女の涙が止まって二分ほどが経過した時だった。
「えぇ。それで、話って?」
「セルヴィア様。貴女にこの国を護る役をしていただきたいんですの」
聞くや否や、私は低い声で「えっ……」と発してしまった。
素の極みとしか言えないような声が出てしまい、若干恥ずかしい。
「ご存知とは思いますけれど、この国は常に敵に狙われていますわ。この国が食い荒らされないためにも、貴女の力を貸していただきたいと考えているのですわ」
その時のリーツェルの顔つきは、真剣そのものだ。
聞いた瞬間は聞き間違いかと思いもしたが、その顔を見ていたら、とてもそうは思えなくなった。
「……待ってちょうだい。いきなり……そんなことを言われても」
なぜ私に頼むのか、そこが分からない。
「私には戦いの才能なんてないわ。申し訳ないけれど、私では力にはなれないと思うの」
王女であっても武の才を持つ者なのであれば、こういう依頼を受けることもあるのかもしれない。そういう人も、広い世の中には存在するのだろう。
けれど、私には特別な戦いの才能なんてない。
坂道を行くことすら必死の私に、『国を護る』なんて不可能なことだ。
「けれど、セルヴィア様の手には力があるのでしょう?」
立ったまま話が始まるとは意外だった。
「力、なんていうほどのものじゃないわ。触れた相手の思考をおかしくしてしまうだけのことよ」
「それこそ! 求められている力ですわ!」
リーツェルは片目を閉じてウインクのような形を作りつつ、片手を鉄砲のような形にしてこちらを撃つアクションをしてくる。
……何だろう、このテンションは。
笑うか何かした方が良いのだろうか? それとも、何事もなかったかのように流した方が、彼女としては助かるのか? どちらが正解なのか確認してみたいが、わざわざ尋ねるというのも野暮だろう。
「そのお力、どうかこの国のために!」
「えっと……その、私の力はそんな役立つものではないわよ?」
「いえ! 役立ちますわ!」
「そう言われても……」
リーツェルは迷いなく「役立つ」と言うけれど、私にはそうは思えない。他人をおかしくしてしまう力が誰かの役に立つなんて、あり得ないことだ。
「目標をピンポイントで狙え、上手くいけば再起不能にすることだってできる! その力、実は凄いものですのよ!」
リーツェルがそんな言葉をかけてくれていた時だ、聞き慣れない声が耳に飛び込んできたのは。
「ここで騒ぐな。うるさい」
驚いて、声がした方へと視線を向ける。するとそこには一人の男性が立っていた。
これまた知らない人だ。
青年と表現するには年老いているが老人という感じでもない年代の人物である。
身長はあまり高くなく、私より数センチ高いという程度。私が大体一六◯センチくらいなので、一七◯センチは超えていない気がする。私が人生でこれまで見てきた男性の中では、比較的背が高くない方だと感じる。
だが、その顔面から溢れる威圧感のようなものは、とてつもなく強い。
悪の大魔王か何かか? と言いたくなるような雰囲気を漂わせている。
「えっ……」
「ちょっと! いきなり何ですのっ!?」
私は戸惑いに満ちた声を発することしかできなかった。が、リーツェルはそうではなかった。彼女は、親の仇でも見るかのような目を、男性に向けていた。サイドの髪をまとめているリボンと同じ色をした丸い瞳には、憎しみの色が濃く滲んでいる。
「ここで騒ぐな、と言っただけだ。それすらも分からないなら、それは馬鹿だ」
「うるさいですわよ!」
リーツェルは男の人には厳しいのかな? なんて考えたり。
「王子が王子なら従者も従者か」
男性は、はぁ、と、わざとらしい溜め息をつく。
さすがにこれは感じ悪い。
「あーっ! フライ様のことを悪く言いましたわねっ!」
リーツェルの怒りは最高潮に達した。彼女は今にも噛みつきそうな顔をしながら勢いよく男性へ近づいていく。そして、ヤンチャ男子のように顎を持ち上げ、男性を睨み付ける。
「それ以上余計なことを言ったら許しませんわ!」
「ふん。べつに馬鹿げた喧嘩をする気はない」
リーツェルと男性の睨み合い、それは厄介な結末にたどり着きそうだと、どことなく感じていた。しかし現実には案外そんなことはなかった。男性が対抗しなかったからだ。
「騒ぐなと言いたかっただけだ」
男性は灰色のズボンのポケットに両手を突っ込んだ体勢で離れていく。
私のこともリーツェルのことも、もう、ちらりとさえ見ない。
「あーもう! 本当に最悪ですわ!」
「……気難しそうな人ね」
「あの男はいっつもあんな感じですのよ! わたくし、耐えられませんわ!」
「……仲良くなれるかしら」
「無理ですし! 仲良くしなくて! 結構です!」