episode.58 久々の笑み
「ねぇねぇ、ファンデンベルク。紅茶とか飲まない?」
リーツェルが淹れてくれた紅茶が入ったティーカップを持ち、差し出すようにしながら、ファンデンベルクに声をかけてみる。
既にあれから一日ほどが経過した。しかし、ファンデンベルクはまだ元気を取り戻していない。王の間内にある椅子に腰掛けて、ずっとじっとしているのだ。
そんなファンデンベルクが気の毒で仕方がなくて、私は時折声をかけてみる。
だが、今のところ状況を改善できていない。
「美味しいわよ、このお茶! リーツェルが淹れてくれたの!」
私がらしくなく明るい声を出したからか、びっくりしたような顔をされてしまった。
「……いえ、不要です」
びっくりしたような顔をしてから数秒、ファンデンベルクは静かにそう返してきた。
テンションはあり得ないくらい低い。
「もう。鳥が心配なのは分かるけど、ずっとそんな感じじゃ駄目よ」
「しばらく放っておいていただきたいです」
「紅茶が嫌なら、お菓子にする? あるいはおもちゃ?」
「お菓子もおもちゃも結構です……!」
ファンデンベルクは口調を強める。
嬉しいような、嬉しくないような、複雑な心境。
「ごめんなさい。でも、ふざけているわけじゃないのよ? ただ、貴方に元気になってほしいだけなの。悪気はないの。それは分かって?」
「……責める気はありませんが」
「ありがとう! じゃ、お茶をどうぞ!」
「はぁ……はい、ありがとうございます」
何とかティーカップを受け取ってもらえたけれど、押し付けるに近いような渡し方になってしまった。
でも仕方がなかったのだ。だって、押し付けるように渡さなければ、受け取ってもらえそうになかったのだから。そんな風にするしか渡す方法がなかったのだ。
「そのお茶を飲み終わったら、少し散歩でも行かない?」
幸い、今日は片付けなくてはならない仕事が少ない。腕の負傷のこともあり押し付けられた書類が少ないからだ。そのため、時間に余裕がある。散歩くらいなら問題なく行けるだろう。
「刺客に襲われるリスクがあります」
「それはそうだけれど……でも、じっとしてても退屈じゃない?」
ファンデンベルクはティーカップの中の水面をじっと見つめている。
「……わざわざ危険な目に遭いにいくおつもりで?」
「そ、そうね。ごめんなさい。駄目よね」
迂闊な行動が危機を招く。それはこれまでも経験してきたこと。危機から逃れるための最良の方法、それは結局、慎重に行動することだ。
「ならお菓子にしましょう? それが平和的でいいわ!」
小腹も空いてきているし、何かつまみたいような気分。
「ですから……僕のことは放っておいて下さい。構わないで下さい」
そう言い放つファンデンベルクは、まだティーカップに唇をつけていない。赤茶の水面を凝視しているけれど、まだ飲む気にはなっていないみたいだ。彼の瞳を一つ映す水面は、微かな空気の動きによって時折揺れていた。
「申し訳ないけれど、それは無理だわ」
「なぜそれほど構うのですか」
「構わずにはいられないからよ。貴方って何だか放っておけないの」
まとまりはないが本心を言葉にしてみた。
しかしファンデンベルクは戸惑ったような顔をするだけ。
「どういうことですか。よく分かりません」
こんなこと言うのは変かもしれないが、同感だ。
私だって、私の心がどうなっているのか把握しきれていない。
「とにかく元気になってほしいの。貴方が弱っていると悲しいわ」
物理的なダメージが完全に回復するまで、となると、ある程度日数がかかってしまうだろう。それは当然のことだから仕方ない。早く回復させる魔法なんてないのだから、手当てが済めば後は本人の治癒力頼みだ。
でも、精神的なダメージは、周囲の気遣いで多少どうにかできるかもしれない。そう思うと、放置する気にはなれなくて。それで、私はつい絡んでいってしまうのである。
もっとも、精神的なダメージを癒やすのも厳密には時の経過なのだろうけど。
翌日の午後、サインする必要のある書類が届く。
少々久しぶりな感じがする。
書類を持ってきてくれた男性は「急ぎません」と言っていたが、書類に貼り付けられていたメモには『本日締め切り予定』と書かれていた。
係の人が言っていることとメモの内容が真逆で混乱してしまう。が、敢えて深く考えないことにした。いずれにせよ今日中に仕上げれば問題なし、と捉え、速やかに作業を進めていく。
ファンデンベルクはやはり元気がない。
窓の外を眺めては、悲しそうな顔をしていた。
次の日は雨降りだった。
しとしとと降り注ぐ雨。派手な音は立てない。それゆえ不快感はないのだが、灰色の雲に覆われた空を目にすると、心なしか切ない気分になったりする。
午前は国民の意見の報告を受けることになった。
基本穏やかな意見が多いが、中には辛辣なものも混じっていて、少し悲しくなってしまう。しかし、報告が終わった後にリーツェルが励ましてくれて、元気を取り戻した。
午後は書類の内容のチェックと確認したことを示すサインを書き込む作業。途中目が疲れて頭痛になりかけたが、リーツェルが持ってきてくれた温かいタオルを目もとに当てたら楽になった。
天気のせいもあってか、ファンデンベルクは今まで以上に憂鬱そうだ。
あの黒い鳥はどうなったのだろう?
怪我していたが、一命を取り留めたのだろうか?
なんにせよ、早くどうなったのかを知りたい。あの鳥が無事だと知れば、ファンデンベルクもきっと少しは元気になるだろう。
その次の日、ファンデンベルクの鳥に関する情報が入った。
私が受けた報告によると、鳥は助かったらしい。傷が深めで、搬送された当初はやや危ない状態だったそうだが、既に処置は済んでいるとのこと。また、命を落とす可能性も低いそうだ。
「良かったわね! ファンデンベルク!」
報告が終わるや否や、大きめの声を発してしまった。
「はい……安心しました」
その時、ファンデンベルクは久々に笑みを見せた。
胸の内に急激に安堵感が広がる。それと同時に、体から力が抜けるような感覚さえあった。長らく暗い顔ばかりしていた彼が明るい表情を見せたことにホッとして、ついよろけてしまいそうになる。
何とかこらえて転けずに済んだけれど。
「嬉しそうね」
「はい。嬉しいです」
ファンデンベルクは日頃と大差ない淡々とした調子で言うけれど、表情を見れば喜んでいるのだと簡単に分かる。
「貴方が嬉しそうだとこちらも嬉しくなってくるわ。鳥さんと早く再会できると良いわね」
「お気遣い、ありがとうございます」
「これで少し元気になったんじゃない?」
「そうですね……はい」




