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episode.55 女も男も関係ない!

 くちばしを刺され狼狽えている男性の体に、ファンデンベルクは勢いよく体当たり。迷いのない勢いで、体の側面をぶち当てた。その動きが想定外だったのか、男性は何の対応もできない。その場でバランスを崩し、膝を折って転びそうになる。


 しかし男性のそこからの対応は早かった。

 咄嗟に足に力を加え、転倒する直前で何とか堪えたのだ。


 けれども、男性は意識を向けるところを間違えていた。というのも、ファンデンベルク本人への意識を一時的に欠いていたのだ。何とか堪えたところにもう一発体当たりを食らい、今度こそ男性は完全に地面に崩れる。


 幸運なことに、転んだ拍子に男性の手から刃物がするりと抜け落ちた。

 ファンデンベルクはそれを拾い上げ、尻餅をついたままの体勢の男性に突きつける。


「……動かないで下さい」


 そう述べるファンデンベルクは暗殺者か何かであるかのようだった。まるで人殺しに慣れているかのような、冷酷な目をしている。いつも見ている彼とは違う。日常生活を営んでいる時の彼とは大違いだ。


 リーツェルの手が私の腕を強く掴んでくる。

 これは痛い。彼女は意外と力が強い。でも、この状況では、さすがに払い除けることはできない。今はただ我慢するしかないのだろう。


「お子ちゃまが偉そうに……!」

「そのお子ちゃまに追い詰められているのが貴方です」


 刺激するようなことを言うんじゃない! と少し言いたい。


「ここで一気に全滅させようとお考えだったのでしょうが、そう簡単には仕留められませんよ」

「くっ……」

「戦闘は僕の本分ではないですけど、多少訓練は受けていますから」


 日頃のぼんやりしているファンデンベルクとは別人になってしまったかのようだ。


「ねぇリーツェル、彼って……意外と頼もしいところもあるのね……?」

「あれは馬鹿ですわよ」

「それは酷いわ、リーツェル……」

「嘘じゃないですもの」


 緊急時だというのになぜか妙に落ち着いてしまって、そんなやり取りをしてしまう。

 相応しくない行動をしていると分かってはいるのだけれど。


「退いて下さい。そうすれば殺めはしません」

「ふざけるな……ふざけるなよっ!!」


 男性は突如立ち上がる。そして、防具の内側からナイフを取り出した。どうやら、もう一本所持していたみたいだ。持ち手がラバー製になっているナイフを振り回しながらファンデンベルクに襲いかかる。


「気をつけて! ファンデンベルク!」

「はい……!」


 遠心力を帯びつつ襲いかかるナイフを、ファンデンベルクは着実にかわす。また、時には刃物の刃部分で弾いて距離を取ったりもしている。


 刹那、鳥が再び男性に襲いかかった。


 男性の後頭部めがけてのくちばし攻撃。しかし今度は読まれていた。鳥は男性にナイフで斬りつけられる。体の全面を斬られた鳥は、ふらふらしながら地面へ落ちてゆく。


 その光景を目にしたファンデンベルクは、動揺し、動きを止めてしまう。


 男性はその時を待っていた。意識が逸れたファンデンベルクの体に向けて斬撃を放つ。ナイフの刃はファンデンベルクのスーツについたボタンを弾け飛ばせ、さらに生地を切り裂いた。


 ファンデンベルクは下がるだろうと予想していたのだが、予想に反し、彼は前方へ駆けた。そして、地面に落ちてぐったりしている黒い鳥を、両手で丁寧に拾い上げる。


 男性は意識を向ける対象を変える。

 ファンデンベルクから、私に。


「ちょっとアンタ何してるんですの!? 護るべきはこっちですわよっ!?」


 私の腕にしがみついたままのリーツェルが叫ぶ。が、その声は今のファンデンベルクには届かない。彼の意識が向いているのは負傷した鳥だけ。それ以外の者が何を言おうと、今は無意味だ。


「せ、セルヴィア様! 手を!」


 男性が迫ってくる。余裕はあまりない。どうにか対処しなくてはならないがどうすれば、と迷っていた私に、リーツェルが鋭く声を投げてきた。


「え?」

「手の力を使うべきですわ!」


 リーツェルの言葉を聞いてハッとする。


 そうだ、戦わなくては。死にたくないならば、それ相応の覚悟をしなくてはならない。生きるためなら、使えるものはすべて使う。躊躇っている暇なんてない。


「……そうね」


 右の手袋を左手で掴み、一気に剥ぎ取る。男性は迷いなく突っ込んできている。このまま突き進んできてくれれば、多分、相手の皮膚に手のひらを当てることも不可能ではない。


「死ねぇ!」


 ナイフでの斬撃が来る。刃が迫ってくる。でも回避する時間はない。回避して距離を取ることになれば、大きなチャンスを逃すこととなってしまう。それは惜しい。


 咄嗟に左腕を体の前に出す。

 ナイフの刃が左腕を斬る。けれど皮膚に届くほどの斬れ方にはならなかった。手袋は裂けてしまったけれど。


 男性との距離が限りなく近づいた——ここが狙い目!


 一歩踏み込み、右手を伸ばして顔面に手のひらを当てる。


「ぐっ!? な、何しやが——」


 男性は最後まで述べることができなかった。手の力は効いている、と、私は確信する。だがそれで、すぐに仕留めて終わり、というわけにはいかなかった。というのも、男性がナイフを振ってきたのである。ナイフの刃は私の右腕を斬りつけた。


 腕を駆ける、鋭い痛み。

 それでも手を引くわけにはいかない。


 ここで手のひらを離したら、これまでの努力が無意味になってしまう。そんな結末は避けたい。ここまでの努力を無駄にするくらいなら、痛みなんて少しぐらい我慢する。


「はっ……離せ! 離せぇッ!」


 男性は落ち着きを欠いている。

 これならばいける、そんな気もする。


「お断りするわ!」

「こ、この……っ! 女がふざけやがって……!」

「女も男も関係ない!」


 どんな形でもいい。とにかく時間を稼ぐ。時間を稼げれば、敵は倒せる。

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