episode.4 弟に近い人 ☆
ファンデンベルクの案内に従い、上り坂を歩く。
私とて足が悪いわけではないので、初めのうちはそれなりに歩けていた。ファンデンベルクから大きく遅れることもなかった。
だが、徐々に疲れてきて。
今やもうファンデンベルクについていけていない。懸命に歩いてはいるのだが、彼からはかなり遅れてしまっている。
他人を待たせるようなことはしたくないけれど、これはさすがに無理。慣れているファンデンベルクと同じペースで歩くというのは、完全に無理な話だ。
「早すぎましたか」
「え、えぇ……。ファンデンベルクは凄い体力ですね……」
「慣れているから、というだけです」
「そうですか……。それで、いつになれば目的地へ到着するのでしょう……?」
とにかく息が荒れる。
肺が痛い。
運動不足だからという理由もあるのかもしれない。けれど、運動不足でなかったとしても、この坂道登りはきついものがあるだろう。
「もうじき到着しますので」
「はぁ……はぁ……あ、ありがとうございます……」
お願い、早く終わって——今はそれしか思い浮かばない。
「こちらが目的地になります」
ファンデンベルクが足を止めた時、私は既に疲れ果てていた。坂道を登るという、これまで経験したことがないような激しい運動によって、呼吸は荒れるわよろけるわでどうしようもない状態になってしまっている。
「やっと着いたんですね……」
「はい。中の者を呼び出しますので、暫しお待ち下さい」
目の前にあるのは、自然の中に埋もれた建物。どうやら二階建てのようなのだが、崖のようなところに建っていて、植物に包まれている。言われなければ建物の存在に気づかなかったかもしれない、というような、自然によって隠された木造建築だ。
待つことしばらく、一人の少女が建物の中から出てくる。
その少女は、とても愛らしい雰囲気を帯びた人物だった。柔らかそうな金髪は肩甲骨の辺りまで伸びていて、サイドの髪はピンク色のリボンでまとめてある。ちなみに、サイドの髪をまとめているリボンは、正面から見てバツ印が上下に二つといった形になっている。見慣れない結び方だ。
「遅かったですわね、ファンデンベルク」
その少女は意外にも高圧的な話し方をする人物だった。まだ彼女はこちらを見ていない。それゆえ、私にどう接してくるかは不明だ。ファンデンベルクにだけ高圧的なのかもしれない。が、多少警戒しておく必要があるかもしれない。可愛いらしい女の子だと見た目で勝手に決めつけるのは、良くないことなのだろうから。
「……うるさいですね」
少女に偉そうな声のかけ方をされたファンデンベルクは、渋い味のものを食べてしまったかのような顔をする。
「あら! そんなこと言いますの? アンタがわたくしに?」
「もういいです。それより、彼女の案内を」
二人はあまり仲が良くないのかもしれない。
いや、こういうタイプの仲の良さなのかもしれないけれと。
「は!? なぜにわたくしなんですの!?」
「高貴な方には高貴な者が対応するべきなのでは」
「……ふ、ふん! そうですわね! そういうことなら、アンタは下がってて大丈夫ですわよ。このリーツェルが特別に許可しますわ!」
自分のことをリーツェルと言っていた少女は、胸を張ってそんなことを言い、それから体の向きをくるりと変える。その時、偶然、私は彼女と目を合わせてしまった。私は一瞬気まずさを感じたが、意外にも向こうから微笑んでくれて。敵意を持たれていないことが判明して、心が急に柔らかくなった気がした。と、その時、少女が駆け寄ってくる。
「初めまして! セルヴィア様ですわね!」
満面の笑みで声をかけられ、戸惑う。
「はい。そうです」
「わたくしの名はリーツェル。そのままリーツェルと呼んでいただけると嬉しいですわ」
「ありがとうございます、リーツェル」
ファンデンベルクと話していた時とは別人のよう。今のリーツェルは、私が最初目にした瞬間に抱いたイメージに、限りなく近い。上品、可憐、そんな言葉が似合う。
「では、案内しますわ。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
ファンデンベルクはいつの間にやら消えていた。恐らく、私の意識がリーツェルの方へ向いていたうちに、建物の中にでも入ったのだろう。
今度はリーツェルに案内されることになり、私は木造の建物の内部へと進んでゆく。
その時でさえ、家族のことをふと思い出すことがあった。忙しくしていても、体力を消耗して疲れていても、その残酷な現実が脳内から消えることはない。が、じっとしているよりかは動いている方がましな気がすることは確かだった。
入り口から入ってすぐ左手側に警備室のような狭めの部屋があり、ファンデンベルクはその中にいた。というのも、前面の一部がガラス張りになっていたのだ。それゆえ、部屋の中にいる人を簡単に見ることができた。
「こんなところが……あったんですね……」
私は自然とそんなことを漏らしていた。
初めて訪れた場所だ、色々なところが気になって仕方がない。
「ここはあまり知られていませんわ」
「そうなんですか?」
「限られた人しか知らない、いわば秘密基地ですわ! ……なーんて」
リーツェルは楽しい人のようだ。
私が王女だと知ってはいるのだろうが、それでも、こうして軽やかに喋ってくれる。
「それと、セルヴィア様! これからは丁寧語じゃなくて問題ないですわよ!」
襟がついたブラウスとスカートが合体したような白いワンピースがよく似合うリーツェルである。
「ええと、それは……普通に話すように、ということですか?」
「もしよければ!」
「そ……そうですね。では。普通に話させてもらうわね」
「それが良いですわ!」
小さい時、親から「他人に対しては丁寧に話すように」と言い聞かされていたので、これまでは基本的に丁寧に話すようにしていた。普通に話すのは家族に対してだけ。それで通してきた。
けれども、向こうから言ってくれるのならば話は別。
向こうが望んでくれているなら、ある程度崩した話し方をしたからといって大きな問題はないはずだ。
「ところでリーツェル。私はどうしてここへ呼ばれたのかしら」
「わたくしとファンデンベルクは元々フライ様の従者をしていましたの。で、フライ様が生前、『自分に何かあった時には姉を頼れ』と言って……おられ……て……」
言いながら、リーツェルは泣き出しそうになる。
「あぁ、待って! 泣かないで……!」
フライの従者であったということが事実なら、彼女は今とても辛いはずだ。それほど一緒にはいなかった私ですら、ある程度悲しいのだから。だとしたら、敢えて心の傷を抉るようなことをする必要はない。むしろ、そのようなことは避けるべきである。