episode.48 きっと死にはしないから ☆
セルヴィアがリトナと通話していた頃、カンパニュラは母親であるオレイビアと共に城内にいた。
品のある老婦人は城内で心なしか浮いている。というのも、城内で働いている女性たちは若めの人物が多いのだ。もちろん、皆が少女ではない。けれども、年老いている人というのは少ないし、いてもオレイビアほどの品を漂わせている人物はほとんどいない。
「これからはどうするのか? 母」
片手はズボンのポケットに突っ込み、もう一方の手は腰に当てている。重心は下げ気味で、心なしか気だるそうな立ち方。そんな、きっちりした感じは低い立ち姿で、カンパニュラは母親と話す。
「ええと……今夜は、城内の客室に泊めていただくことになっているのよ」
偶然横を通りかかった侍女に会釈しつつ、オレイビアは問いに答えた。
「そうか。ならいいが」
「ふふっ……相変わらず優しいのね、ティマト」
「人前で恥ずかしいことを言うのはいい加減にしてくれ」
「あらあら、照れているのね。可愛いわね……」
オレイビアは軽く握った片手を口もとに添えて慎ましく笑った。
その後「そろそろ部屋に帰るわね」と言って、歩き出そうとしたのだが——その手首をカンパニュラが掴んだ。
「待て」
突然手首を掴まれたオレイビアは一瞬驚いたような表情を作ったが、すぐに微笑む。
「……どうしたの? ティマト」
カンパニュラは自身の母親に鋭い視線を向ける。
「さっき言っていた男の子とやらは何者だ」
鋭い視線を向けられ、低い声で問われても、オレイビアはちっとも気にしていないようだった。彼女は、恐怖を抱くどころか、自らカンパニュラに歩み寄る。そして、その右手の手のひらで、カンパニュラの頭部をそっと撫でた。
「ただの男の子よ。心配しなくていいわ。……ティマトが心配するようなことじゃないの」
「その男の子とやらの正体が気になったので、確認しておきたい」
「もしかして……嫉妬してる?」
「いや、そうではない。少し気になっただけのこと」
何か言いたいことがあるような顔つきをしているカンパニュラを、オレイビアは微笑んだまま見つめる。彼女の眼差しは、聖女のような眼差し。この世の闇も穢れも何もかもを包み込み消し去ってしまいそうな、そんな清さをまとっている。
「ふふ。そう。なら良かったわ。ところで……どうしてここにい続けているの?」
オレイビアは面に笑みを浮かべたまま尋ねた。
これに対し、カンパニュラは少しだけ目を細める。
「気になることがあるからだ」
「……気になること? もしかして……男の子のこと?心配しないでティマト。何でもない人よ」
笑みを崩さず軽やかに述べるオレイビアに、カンパニュラは顔面を近づける。
「そうじゃない」
妙に厳つい顔面を急激に近づけられる。こんなことをされたら、普通、誰もが驚き戸惑うことだろう。恐怖感を抱いたとしても不自然ではない。
けれど、オレイビアはこういうことに慣れているようで、落ち着いていた。
驚きも戸惑いもしていない。直前と変わらぬ柔らかい表情を浮かべたまま、何もかもを受け入れるかのようにじっとしている。後退することすらない。
「じゃあ……何?」
「少し怪しいと思ってな」
「どういうこと?」
「いきなり例の鉱物の話をし始める輩が怪しくないわけがない」
「……そういうこと、ね。ティマトはそれで……男の子のことをそんなに気にしているのね」
ひと呼吸おいて、オレイビアは続ける。
「でも、本当に何でもないの。怪しいという感じでもなかったわ。だからティマト、そんなに心配しないで?」
「そう言うなら。だが、もし何か異変があったら、すぐに言うようにしてくれ」
「えぇ。それはもちろ——」
オレイビアが笑顔でそこまで言いかけた時。
どこからともなく見知らぬ人物が現れた。
突如現れた人物は、体型からして男性のよう。ただ、男性にしては比較的華奢な体つきだ。筋肉が目立つようなことはないし、背もそれほど高くない。しかし顔面が見えない。顔全体を隠す被り物を被っているのから。そのため、カンパニュラもオレイビアも、その者が何者であるか特定できない。
だが、突然現れたその人物が不審な人物であることには、カンパニュラは気づいていた。
手に刃物を持っていたからだ。
それほど派手なものではない。野菜や果物を切ったり料理に使ったりするような、ありふれたデザインの刃物だ。世の中で武器と呼ばれているようなものではない。
とはいえ、刃物は刃物。
人を傷つけるには十分な危なさをはらんでいる。
「下がれ、母」
「え、えぇ……」
カンパニュラは母親を庇うようにして片足を一歩分前に出す。
不審な人物は躊躇いなく突っ込み、刃物を持った手を大きく振る。しかしカンパニュラは対応。片手の甲を器用に使って、不審な人物の刃物を握っている手を受け流した。
その対応力に、刃物を持っている人物は怯んだ。その隙を逃さず、カンパニュラは相手の腕を掴む。刃物は手から落ちる。
武器を失わせ腕の自由も奪えば、もはやカンパニュラの思い通りだ。刃物を持って襲いかかった不審者は、そのまま、何の抵抗もできず地面にねじ伏せられた。
戦闘はカンパニュラの勝利で終わったかに思われた——のだが。
「な……」
カンパニュラが不審者を床に押さえつけた直後、何者かが彼の背中を刺した。
「……母!?」
背中を刺したのは、オレイビア、その人だった。
彼女は不審者が落とした刃物をいつの間にか拾っていて、それでカンパニュラの背中を刺したのだ。
「ごめんなさい……。こんなことをして……」
「なぜ」
「でも仕方がなかったの……ティマト、貴方のためよ」
「わけが分からん」
「貴方の無事を祈るばかりで生きるのは……辛すぎて、もう無理……」
カンパニュラは「何もかも理解できない」とでも言いたげな顔でオレイビアを見る。一方、オレイビアはというと、瞳からひとしずくの涙をこぼしながらカンパニュラを見つめていた。
「こうするしかなかったの……」
オレイビアは震える声で述べる。
「貴方を取り戻せるなら……他にはもう、何もいらないわ……」
「待て、話がおかしい」
背中を刺されたカンパニュラは、青い顔をしながらも、不審者を床に押さえつけていた。
が、意識と視線は完全にオレイビアに向いている。
「安心して、きっと、死にはしないから……」




