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episode.39 医務室

 乗り気でないファンデンベルクを連れて、医務室へ向かう。


 これまでの暮らしの中で医務室へ行く機会というのはあまり多くはなかった。体調を崩した際には呼び出すことが多かったから。自らの足で歩いてわざわざ医務室まで行くというのは稀なことだったのである。


 それでも、そこまでの経路が分からないわけではないので、何とか向かうことはできた。


「大丈夫? ファンデンベルク。まだ歩ける?」

「はい」


 通路を歩いていると、つい、怪我人が共にあることを忘れてしまう。そして、自分のペースで足を進めてしまいそうになる。だから時折ファンデンベルクに声をかけるのだ。そうすることによって、彼の存在を定期的に思い出せるから。


「無理しないでいいから、ゆっくり歩いてちょうだい」

「避難は——」

「一旦忘れて!」

「……承知しました」


 ファンデンベルクは案外普通に歩けている。


 傷を負うのが腕だけで済んだからだろうか? 個人的には、どこかに強い痛みを感じるだけでもまともに歩けなくなるような気がするのだが。慣れれば平気? あるいは、単に私が弱いだけ? 他者の状態を完璧に理解するのは簡単なことではない、と、改めて実感する。


 取り敢えず歩き続けよう。

 医務室という目的地にたどり着くために。


「余裕があるみたいで安心したけれど、自分のことも大切にして」


 怪我人に付き添う日が来るなんて思わなかったな。

 胸の内でだけ、そんなことを呟いたりする。


「……気遣いは不要です」


 そう言って、ファンデンベルクは怪我していない方の手で額の汗を拭う。


「もう。どうして貴方はそんな感じなの」

「おかしかったでしょうか」

「そんな感じだと、素直じゃない人みたいに思われてしまうわよ」

「失礼しました。しかし……事実、僕は素直ではありません」


 その後、歩くこと数分。私とファンデンベルクは医務室の前に到着する。緊張感を覚えつつも、私は思いきってドアの持ち手に手をかける。そのドアはスライド式のもので、左から右へと開けていく仕様になっていた。ドアそのものの重さを感じつつ、私は扉を開ける。


「お邪魔しまーす」


 入った瞬間、凍りついたような顔をされてしまった。

 さすがに少し傷つく。

 今はきちんと手袋を着用しているから、私の手の力が発動されることはない。あれは、肌と肌で触れ合った時に初めて発動される能力だから。それゆえ、そんなに驚き怯んだような顔をする必要はないと思うのだが。


「王女、待遇があまり良くありませんね」


 ファンデンベルクが耳打ちしてくる。

 私が現れたのを目にした瞬間の凍りつくような空気に気づいたのは私だけではなかったようだ。ファンデンベルクもしっかりと気づいていた。


「もしかしたら怖がられているかも……」

「王女が? なぜ?」

「この手の力よ。気味が悪いと思われがちなの」


 ファンデンベルクと少しやり取りをした後、私は近くにいた女性に声をかける。


「申し訳ありません。少しよろしいでしょうか?」


 良く思われていないことが分かったとしても、なるべく笑顔で接すること。それだけが、この身を守る方法だ。笑顔でいれば、多少は嫌がられずに済む。


「はっ……はい! 何でもお申し付け下さい!」


 私に声をかけられた女性は、驚きを露わにしつつも、対応してくれた。


「彼が怪我してしまったのです。手当てをお願いしても構いませんか」


 立場的にはこちらの方が有利な状況。でも、だからこそ、相手を威圧してしまわないよう気をつける必要がある。こういう時こそ、できる限り柔らかな態度で接することが必須である。


「ええと……そちらの男性が、ですか?」

「はい。腕を怪我しているのです。手当てしていただけるとありがたいのです」

「しょ、承知しました……! では、先生に相談してきます……!」


 待っている間にファンデンベルクの様子を目で確認する。


 今のところ生命維持が不可能になりそうという悪い状態ではなさそうだ。

 出血も思ったより酷くない。袖は赤く濡れてはいるけれど、それは傷を負った直後に出たものだ。時間が経つにつれて、流れ出る赤いものの量は減少してきている。


 顔色が悪くなっていないかどうかは——正直私には分からない。


 ファンデンベルクは元々健康的な容姿ではない。前髪のせいで顔の片側が見づらくなっているし。それに、無を表すような表情も、これまでにだって存在していた。怪我したからだと関連づけるのは、短絡的過ぎる。


「立っていて平気?」

「はい」

「座りたかったら言ってちょうだいね」

「はい」


 少し言葉を交わしてみても、ファンデンベルクがどのような状態にあるのかを察することは簡単でない。


「お待たせしました! こちらへどうぞー!」


 予想していたよりかは早く呼ばれた。

 ファンデンベルクの身体に深刻な問題がなければ良いのだが。



 ◆



 ロクマティシスに建つガラス張りのビル、その最上階にあるロクマティス王の執務室に、第一王女プレシラはいた。


「お父様。本当なのですか、リトナがキャロレシアに拘束された、だなんて……」


 プレシラはリトナを可愛がってきた。わがままさに振り回されることはあっても、今も、リトナのことを大切に思っている。だからこそ、リトナがキャロレシアに拘束されたと聞いて、黙っていられなかった。


「事実だ」


 ロクマティスの現在の王、オーディアス・ロクマティス。彼は大柄な男性だ。身長は一九○センチに届くくらいであり、がっしりとした体つき。手足の筋肉は隆起しているが、ガウンを羽織っているためそこまで目立たない。ただ、その全身からは『強者の波動』のようなものが常に放たれている。


「そんな……。出発前、リトナは……直接敵と戦うわけではないと……」

「そうだ。直接は戦わない」

「なのに拘束されてしまったのですか……!?」

「運が悪かったのだろう」


 オーディアスの喋り方は非常に重苦しいものだ。地の底から響いてくるような声で、ゆっくりと、彼は言葉を紡いでゆく。


 その切り捨てるような言い方に、プレシラは何か言い返したげ。けれども、堂々と言い返せる状況ではなく、彼女はぐっと言葉を飲み込む。体の側面に当てている拳は微かに震えていた。


 長い静寂の後、プレシラは小さく口を開く。


「リトナを……助けに行かせて下さい、お父様」


 プレシラはかなり思いきって言ったのだろう。

 だが、喜ばしい答えが返ってくることはなかった。


「許可せん」

「そんな! なぜです!」

「王女がわざわざ行く必要はない」

「……リトナが心配です」

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