episode.3 馬車に乗り込み
まずはクローゼットの前へ行き、その扉を開ける。指を挟まないよう気をつけながら。すると、ハンガーにかけられたいくつもの服が視界に入る。
どれを着よう?
こういう時はどのような服が良い?
外出することに慣れていないので、すぐには決められない。
歩いたり走ったりすることを想定すれば、動きやすい服を選ぶ方が良さそうだ。けれども、スポーティーな衣服は持っていない。ズボンなんて一つもない。ワンピースやドレスが多く、他は部屋着。つまり、動きやすそうな服は部屋着くらいしかないのである。
数十秒考えてから、私は一着のワンピースを取り出した。
七分袖の桜色のワンピース。襟には中央に引き寄せたようなしわができていて、胸の下辺りには左右から伸びてきているリボンの結び目がある。丈は膝の辺りまであって、裾にはレースがあしらわれている。ちなみにレースも桜色。
ワンピースを着てから、クローゼットの脇にある姿見で状態を確認する。
しばらく着ていなかったので、こうして改めて見ると、多少違和感があったりする。が、そこまで不自然ということはないはずだ。
次は、背中を覆うほど伸びた金の髪を結う。
ただし、結うと言っても、大層なことをするわけではない。既に緩い三つ編みになっているので、それを綺麗な状態にやり直すだけのことだ。数分で済む。
身支度が済んだので、私は再び扉を開けた。
「お待たせしました!」
勝手に外出して良いものかどうか。
でも、どさくさに紛れて出ていくのも悪くはない。
「いえ、それほど待っていません」
黒髪の男性は待ってくれていた。
助かった、去られていなくて。
「なら安心しました。それと、一つお願いが」
「はい?」
「私はあまり……人が多いところへは行けません。外出したことが国民にばれてしまうからです」
家族を亡くした直後に外出なんてしていたら、国民から「不謹慎だ」と言われてしまうかもしれない。それはできるだけ避けたい。攻撃の的にされるのはごめんだ。
「そこは心配無用です」
私は出掛けることに多少の戸惑いがあったのだが、男性はきっぱりとそう述べた。
「え?」
きょとんとした顔になってしまっていたと思う。
彼の発言について完全な理解はできぬまま、その姿へと目をやる。
黒いスーツに身を包んだ体は案外細く、肉体自慢という感じはしない。どころか、心なしか文化系な雰囲気すら感じられる。
「これからお連れする場所は不健全な場所ではありませんので」
「そうですか、なら嬉しいです。行きましょう!」
今、私の胸はいつになく高鳴っている。
人が死んだというのにワクワクするなんて不謹慎だ、と、そう言われるだろうか? ……でも、言われてしまうならそれはそれでいい。人に注目される立場ゆえ、何をしていようが悪口は言われる。それは避けようがない。ならば、もういっそ、好きにしてしまえ! ……なんて思ったり。
城を出た私を迎えてくれたのは、いつか写真集で見た山小屋のような外観の馬車。
馬車に乗るのも物凄く久しぶりな気がする。
家族の死はどこまでも辛いことであったが、それを転機として、私の道が拓けてきているようにも感じる。当然まだ歩みだしたばかりではあるけれど、でも、進むことで出会える未来が良いものであると今は信じたい。
私と男性を乗せた馬車が進み始めて十数分が経過した頃、馬車は唐突に止まった。
「目的地に到着したのですか? ファンデンベルク」
ファンデンベルクというのは、隣にいる男性の名だ。
私は彼のことを何も知らなかったのだが、馬車に乗っている間にその名を聞かせてもらえた。
「そのようです。降りましょう」
「えぇ」
「段があります。どうか、お気をつけて」
「ありがとうございます」
そこは、これまで一度も目にしたことがないくらい、自然に満ち溢れた場所だった。
舗装されていない砂利道、その脇には若草色の雑草が生き生きとその身を伸ばしている。雑草としか呼ばれぬ命でありながら、信じられないほどに誇り高く佇んでいた。
周囲に見えるのは幾本もの木。重厚感のある色みの幹や枝を、華やかな緑の葉が彩っている。その様は、まるで絵画。人の手で意図的に描いたかのような、均整のとれた風景だ。
でも、なぜここに連れられてきたのか分からない。
「このような森に、何の用でしょうか……」
「会っていただきたい人たちがいるのです。これから、その者たちのところへ案内します」
ファンデンベルクは嫌な感じの人ではない。高圧的ということはないし、落ち着いていて、何か尋ねたりしても冷静に返答してくれる。そういう意味では、嫌な人どころか尊敬できる人だろう。
ただ、冷淡な雰囲気がするので、若干接しづらいような気もする。
慣れればどうということはなくなるのだろうが。
「……そう、ですか」
「どうなさいました? 体調に不安があるのでしょうか」
「あ、いえ! そういうわけではありません! ただ、少し……外出に慣れていなくて」
どこへ向かっているのか、そんな基本的なことすら分からない。
頬に感じるのは穏やかな風のみ。
「そうでしたか。それは失礼しました」
「いえ、謝らないで下さい。ファンデンベルクは何も悪くないのですから」
「では案内致します」
「……どこへ?」
「この坂を越えた先にある我々の部隊の基地へ、です」
まただ。また、部隊、なんて言う。何度聞いても理解できない。なぜ私がそんなところへ赴くことになっているのか、とても理解できない。
今になって、母のことが気になってきた。
私は誘いに乗って勝手に出てきてしまったが、母は今頃どうしているだろう。
「このまま同行すれば良いですか?」
「はい。お願いします」
「分かりました。ただ……私、上り坂は速やかには上がれません」
お出掛けということは歩くことも多いだろうと考えて低いヒールの靴を選んでおいたが、正解だったようだ。こんな山道を歩くのだ、高いヒールの靴なんて履いていたら地獄である。想像するだけでも、つま先が痛くなりそう。