episode.37 混ざる色
ようやくまともに話ができそうな雰囲気になってきたので、私はリトナと会話をすることにした。心を落ち着かせてくれるお茶を飲みながらの時間は、意外と悪いものではなくて。徐々に楽しい気分になってくる。また、途中でお茶菓子としてカップケーキが出された。それもとても美味しくて、リトナとの会話は盛り上がる。
「その爪、とても綺麗ね」
「分かる? 爪のお手入れは好きー」
「何か塗っているのかしら」
「先に色を塗ってー、それから艶出しコーティングをしてー」
話し慣れるにつれ私の丁寧語は崩れていく。が、リトナは気にしていないようだった。
彼女は形式にこだわらない人間なのかもしれない。
変に気を遣わなくて良いという意味では、ありがたいことだ。
「セルヴィアさんはネイルしなーいのー?」
「えぇ。そういうことはあまり……」
何というか、もはやただの女子会である。
「そんな感じ! するする!」
「えっ。そ、そう……?」
「そーんな感じ、するするー!」
だが、私の隣にいるカンパニュラとファンデンベルクは、まだ警戒しているような顔をしている。いまだに、最初のような固い表情を保ち続けているのだ。それを目にしたら「さすがに警戒し過ぎではないか?」などとつい思ってしまう。警戒心を失わないことが大切ということは分かっていても、「そんなに警戒しなくても……」と、ついつい思ってしまうのである。
「リトナ王女は服装も髪型も可愛らしいし、素晴らしいわね」
「あー。可愛いって、もしかして馬鹿にしてるー?」
「まさか。そんなわけないじゃない、言葉そのままの意味よ」
発する言葉に嘘偽りはない。事実、リトナの外見はすべてが可愛らしいのだ。私はただ、それを褒めているだけのこと。私にはないものをリトナは持っている。そのことにいろんな意味で感心しているのだ。
「もー、セルヴィアさんったら反応面白ーい。冗談だってばー」
リトナは片手で口もとを隠しつつも、遠慮なくケラケラ笑う。軽やかな笑い方だ。
「あら。そうだったのね」
「冗談通じないんだからー!」
「次からは気をつけるわ」
「まっじめー。セルヴィアさんったら面白すぎるー」
心なしか馬鹿にされているような気もするが、まぁ、こういう時は小さいことをいちいち気にしていては駄目だろう。何か言われても流す能力、それも時には必要だ。
そんなことを考えていると、リトナが急にソファから立ち上がった。
室内に緊迫感が走る。
だが、リトナの表情に鋭さはない。敵意も放っていない。むしろ、楽しいことを考えているような顔をしている。何か思いついたのだろうか。
「……リトナ王女?」
リトナは私の方を見ない。
「きーめたっ」
可憐なリトナは独り言のような雰囲気で言う。
それから、足を動かし始めた。
何をするつもり? どこへ行く気? リトナの考えをすぐに読むことはできず、私はただ戸惑うだけ。しかし、戸惑っているのは私だけではなかった。リトナを見張る役の者も、私と同じように、リトナが理解できず困惑していた。
「おじさま! 遊んであげる!」
リトナが近づき声をかけたのは、カンパニュラだった。
ファンデンベルクではなく。
すぐには信じられなくて、私は言葉を失う。こんな展開、みたいだ。驚きすぎて何も言えない状態になってしまった。
「何の話だ」
カンパニュラは冷静そのもの。淡々と言葉を述べるだけ。リトナの珍妙な振る舞いに対しても、眉一つ動かすことなく対応している。さすがと言わざるを得ない。
「嬉しいでしょ? リトナと遊べたらー」
リトナは躊躇することなくカンパニュラに急接近。その細い腕をカンパニュラの腕に絡め、さらに体を密着させる。そんな体勢のまま、リトナはカンパニュラを見上げた。
「いや、小さい娘に興味はない」
カンパニュラが言った瞬間、リトナは視線を鋭くさせる。
「小さい? なーにーがー?」
リトナは『小さい』と言われたことに刺激されたようだ、急激に不満げな顔つきになった。もしかしたら、リトナには小さいことを気にしている部分があったのかもしれない。
「……若い娘、と言うべきだったか」
カンパニュラは、溜め息混じりに言い換える。
「んー? ホントにそういう意味ー?」
「それ以外に何がある」
「そーもそもー。王女相手に敬語も使えないなんてー、みっともなーい。大人なーのにぃ」
リトナが擦り寄ったまま嫌みを言い放った直後、カンパニュラは棒読みのような調子で返す。
「敬語を強要するなんてー、みっともなーい。王女なーのにぃ」
カンパニュラが発したそれは、明らかに、直前のリトナの発言を意識したものだった。それを耳にした時、私は思わず吹き出しそうになってしまった。一応何とかこらえられたけれど。放っていたら危うく大笑いしてしまうところだった。
「何それ、きもーい。おっさんのくせしてリトナの真似とか、ろんがーい」
「おじさまの次はおっさん、か。それが本性だな」
リトナとカンパニュラの間に漂う空気は、言葉にできないくらい不穏。しかも非常に毒々しい。状況は思わぬ方向に進んでいってしまっている。少し前までは、比較的上手くいっている気がしていたのに。
ここまでの私の努力は一体何だったのか。
悲しくなってくる。
「言い返してくるとか、うざーい」
「知るか」
「何その言い方ー。リトナに偉そうに言うとかー、ろんがーい」
「嫌なら離れろ」
カンパニュラが少し苛立ったような様子で言った、刹那。
「……うざすぎー」
リトナが呟いた次の瞬間、カンパニュラの目が大きく開かれた。これまでずっと冷静さを保っていた彼が急に目を開くなんて何があったのだろう、と、私は驚く。その直後、ファンデンベルクが護身用に持っていたナイフを取り出した。警戒した表情で。
何が起きた? と戸惑っていた私の視界に入るのは、何かが刺さったカンパニュラの腕。
「リトナ王女……何を……!?」
私は思わずそんなことを言ってしまう。
犯人がリトナだという証拠なんてないのに。
「ふふっ。甘すぎー」




