episode.31 リトナ・ロクマティス ★
十名ほどの兵を引き連れているのは、永久に少女の姿であることを約束されたリトナ。
彼女と彼女の部下たちに与えられた任務は、キャロレシアと本格的な戦闘を行うことではない。攻めようと進んできている、キャロレシア側にそう思わせることだけが任務だ。
「リトナ様、よろしかったのですか。そのような、可愛らしいお洋服で」
傍らにいた二十代後半くらいの男性が尋ねると、リトナは彼をジロリと睨む。
「どーいうこと?」
声は普段通り高く、愛らしい雰囲気をまとっていることに変わりはない。が、その声の奥には、得体の知れない怖さのようなものが潜んでいるようだった。
「ワンピースじゃ駄目ってこと? お堅ーい」
リトナは青年に対し多少苛立っているようだ。
嫌みを全力で混ぜ込んだみたいな言葉を放っている。
「あ、い、いえ。ただ、汚れてしまうのではと少し心配になり……」
予想外にリトナの機嫌を損ねてしまった青年は、明らかに動揺しているような顔つきをしていた。完全に狼狽えてしまっていて、己のための言い訳に必死だ。
「放っておいて! 関係ないでしょ」
そう述べるリトナは、まさに『わがままなお嬢様』というような印象を振り撒いていた。
「す、すみません……出過ぎた真似を……」
「まぁべつにー。無礼を理解できるなら、許してあげるけどー」
「感謝します……」
男性は坊主頭を下げて謝罪。
リトナはそれで納得したようだ。
「で、状況はどーんな感じ? 作戦は順調?」
「予定通り、キャロレシアは狼狽えているようです」
「そ。じゃ、しばらくはこのままでー」
リトナは背中側で両手を組み、呑気に辺りを歩き始める。当然目的地なんてない、ただの暇潰しでしかない歩きだ。
「あー退屈ー。することなーい」
攻めていっているように見せかけている以上、今リトナらがいるところは安全圏ではない。現時点で戦いが勃発しているということはないけれど、いつキャロレシアが対抗してくるか分からないのだから、絶対的な安全なんてものは存在しないのだ。
それなのに、リトナは気ままにうろついている。
本来あり得ないことだ。
戦場になりかねないような物騒なところに少女がいるというだけでも、滅多にないこと。なのに、そんな危ないところで少女が気ままにうろついているなんて、あり得ないことである。ロクマティスは意味不明な国、と見られても、何ら不自然ではない状況だ。
「リトナ様、さすがに緊張感がなさすぎます……!」
偶然通りかかった三十代くらいと思われる男性兵士が声をかけるが、リトナは嫌みたっぷりな言い方で言葉を返す。
「えー? 緊張感なんて年寄りくさーい」
リトナは敢えて相手を刺激するような言葉を選び、口でさりげなく攻撃する。
「教師でもないのにー。そーんなこと言うとか、あり得ないしー」
実年齢では成人しているものの少女にしか見えないリトナに憎たらしいことを言われ、三十代くらいの男性兵士は不快そうな顔をした。眉間にしわを寄せている。しかしリトナはそのことに気づいていない。そもそも、男性の顔を見ようとしていないからである。
「まったく。わがままな態度取りやがって……」
三十代くらいの男性兵士は思わず愚痴を漏らしてしまう。
それに対し、リトナは反撃。
「おじさんは黙っててー」
「なっ……!?」
じろりと睨まれた男性兵士は、苛立ちを抑えきれずリトナを睨み返してしまう。が、次の瞬間、顔面を青く染め上げた。なぜなら、リトナに物凄い形相で睨まれていることに気づいたからだ。愛らしいという言葉がぴったりな少女にこれほど睨まれたというのは、男性兵士にとってもなかなか刺激的な状況だったようである。
男性兵士は完全に怯んでしまっている。
今や、男性兵士よりリトナが上、というパワーバランスだ。
「王女に『わがままな態度取りやがって』とか言うとか、サイテー」
リトナの睨み方は肉食獣すら撃退しそうなもの。それは、ただの少女の目つきとは到底理解できないような、強烈なものである。それに加えて声も低くしているから、なおさら怖さがある。
「あ、いや……その、言い過ぎてすまん」
さすがにまずいと思ったらしく、男性兵士は謝罪する。
だが、それで許すリトナではなかった。
「は? 何それ、キモーい」
リトナは嘲笑うような表情で男性兵士に向けて言い放つ。
謝罪しても許してもらえない。それどころか、嫌みや悪口を連発される。そんな状況にさすがにもう耐えきれなくなったのか、男性兵士はリトナからぷいと視線を逸らした。何も返すことなく、その場からそそくさと立ち去る。
それをリトナは『逃げた』と捉えたようだ。
「逃げるなら最初から喧嘩売らなきゃいーのにー」
リトナは、周囲に聞こえるような大きめの声で独り言を言う。しかしながら、その声は明るく軽やかで、まるで小鳥がさえずっているかのようだ。
こうしてついに一人となったリトナは、右手を左手で楽に支えつつ、右の手のひらをじっと見つめる。それから数秒が経過した後、彼女はニヤリと笑みを浮かべた。それは、誰かに見せるための笑みではない。ただの自己満足の笑みでしかない。
「この手を使える時が来るのが……たーのしみ」
意味深な言葉を発しつつ、リトナは左手で右手を触る。
人間誰しも、普通に生きている中で己の手を意識して触るということは、あまりないことだろう。もちろん、手洗いやら何やらで無意識に触ることは多いのだけれど。意識して己の手を触ったことがあるか、となると、話は変わってくるはずだ。
けれど、リトナは今、手を触ることに意識を向けている。
それも、痒いからとか痛いからとかのありふれた理由で、触っているわけではない。
「キャロレシアもー。この国の勘違い男たちもー。リトナがみーんな、一掃してあげちゃう」
その時のリトナの表情は、狂気的と言ってもおかしくはないようなものだった。
少なくとも、少女がするような表情ではない。




