episode.23 禍々しき力
手のひらが顔面に触れた瞬間、女性は目を大きく開いた。白目に浮かぶ非常に細い血管すら視認できるくらいの開き方。日常ではあり得ないくらい目を開き、言葉にならない声をこぼす。
効いている——そう確信した。
触れたのが数秒であっても与えるダメージは大きい。すぐに戦闘に戻ることができるような小さなダメージではないはずだ。脳への攻撃のようなものだから、少し触れるだけでもダメージは確実に入る。
けれど、私はまだ彼女から手を離さない。
女性はもはや会話にならないような動物的な声を発している。それが苦しみによるものか否かは分からない。ただ、たとえ一時的であるとしても、人間として成り立たない状態になっていることは確か。
私は指を滑らせ、手の内側をより一層密着させる。
女性の鼻から顎にかけて、大量の汗が溢れ出していた。
なんて禍々しい力だろう、この手の力は。
この手に秘められた特殊な力。それは、一瞬にして人を人でなくしてしまう、とてつもなく残酷なものだ。あまりに禍々しい、呪いのような能力。
……なぜこんなものが私に宿ったのだろう。
この手に宿るものは、人を遠ざける。
べつに離れていった人たちを責める気はない。こんな奇妙な能力を持った人間と積極的に関わりたい人なんていない、ということは、私にだって理解できるから。
ただ、こんなもののせいで人々が離れていったことは、寂しかった。
こんな力がなければ。
何度も自身の生まれを呪った。
どうせなら化け物のようなものとして生まれる方が良かった。それならまだ諦められるから。
そんな風に思ったことだってある。
でも、私は今、初めてこの手の力を憎まず——むしろ、感謝さえできるような気分になった。
「……ごめんなさい」
蝶の仮面の女性はその場に崩れ落ちた。
外見は何も不自然な点はない。手で触る直前と何一つとして変わらない、綺麗なままの姿。傷が増えているわけでもない。ただ、魂だけが引っこ抜かれたような状態で転がる彼女は、捨てられた人形のようだった。
私は崩れ落ちた女性だったものを見下ろす。
ほとんど何もしておらず、ただ相手の顔面を触っただけ。それなのになぜか呼吸が乱れる。さらに、時間の経過と共に、得体の知れない気持ち悪さが込み上げてくる。
「セルヴィア様……」
リーツェルの甘い声によって、私は少し現実に引き戻された。
それが良いことが悪いことかは不明だが。
だが、いつまでも思考の海に溺れているよりかは良かったのだろうと思う。根拠はないが、そんな気がする。
「その……お力、凄いものですわね」
目の前で起きた非現実的な現象に戸惑いつつも褒めてくれるリーツェルを目にした瞬間、急に足から力が抜けた。
その場にへたり込んでしまう。
立たねばと思うのに立てない。足を動かすよう脳は指示しているというのに、体は少しも反応しない。
「セルヴィア様!? ……どうなさいましたの? 平気ですの?」
なかなか立てずにいると、リーツェルが駆け寄ってきて顔を覗き込んできた。
「え、えぇ。平気よ。ただ少し、気が緩んでしまっただけ」
「それなら良かったですけれど……」
「心配かけてごめんなさい」
「謝らせてしまって何だか申し訳ないですわ……」
何度考えても、この手の力はやはり恐ろしい。人をものの数秒であそこまで豹変させてしまうのだから、恐怖以外の何物でもない。しばらくこの手の力を使ってしまうことはなかったから忘れていたけれど、この手は今でも怪物だ。改めてそう感じた。
ただ、その力によってリーツェルたちを護ることができたというのは、決して変わることのない事実。生まれて初めてかもしれない、この禍々しい力にも良い面があると思えたのは。
「そうだ! リーダさんを手当てしなくちゃ!」
「は、はいっ。行って参りますわっ」
ふと思い出し述べる。
するとリーツェルは素早く頷き駆け出した。リーダが倒れている方へと。
私も彼女と同じように動きたかった。だが足に力が入らない。足の感覚がないというわけではないから足の機能が壊れたということではなさそうだが、立ち上がることはできそうにない。そんな奇妙な状況に戸惑っていると、ファンデンベルクがすぐ近くにしゃがみ込んできた。
「王女、どうなさいました?」
青い瞳でじっと見つめられると、妙なときめきを感じずにいられな——って、そうじゃない!
「どうもしないわ」
「ではなぜ立たれないのです?」
「……立てないの、なぜか」
ファンデンベルクはしばらくの間おかしなものを見たかのような顔をしていた。が、少しして、「手をお貸しします」と述べつつ私の手を握る。刹那、彼はぎょっとしたような顔をした。それを目にした瞬間、私は気づいた。
「駄目よ!」
握られていた手を無理矢理引き抜く。
「ごめんなさい……でも、この手に触れては駄目」
少々無理矢理なことをして嫌われたとしても、傷つけることになるよりかは良い。嫌がられても、心の距離が離れても、この場合は仕方ない。
「貴方も見たでしょう、さっきの現象。触れ過ぎると……貴方もあんな風になるわ」
「それは危険ですね」
予想以上にはっきり言われてしまった。
「けれど、数秒であれば問題ありませんよ」
「駄目! 触らないで!」
「先ほどは失礼しました。心配なさらずとも、もう勝手に触れたりはしません」
「……なんというか……ごめんなさい」
その時だ、リーツェルの声が室内に響いたのは。
「どうしてですの!?」
私とファンデンベルクはほぼ同時にリーツェルの方を見る。
「どうして反応がないんですの!?」
リーツェルは、倒れているリーダの体に触れたまま、悲痛な声を発する。
「どうしたの……? リーツェル、もしかして……」
嫌な予感が脳を駆け抜けてゆく。
真実を理解したくない。理解してはならない気がする。でも真実から目を逸らすことはできない。目を向けるべきか、目を逸らすべきか、それすら今は分からない。判断できない。
「セルヴィア様……。この方、もう……」
あぁ、そうか。
やはりそうだったのか。
今にも泣き出しそうなリーツェルの顔を目にした瞬間、私はすべてを悟った。




