episode.22 唯一の策
「あらあら、貴女ってもしかして……?」
蝶の仮面で顔を隠した女性は、両手を自身の胴に巻き付け、色っぽい表情でリーダを見つめる。
だが彼女は「ただ見つめているだけ」ではないようだった。
というのも、何かに気づいたかのような雰囲気を醸し出していたのだ。
「こんなところへ押し入った罪は償ってもらう。覚悟しろ」
リーダは低い声でそんなことを述べる。が、威圧効果はあまりないようだった。
「あら、ごまかされてしまうなんて」
「すぐに仕留める」
リーダは侵入者の女性を睨んでいる。その目つきは、一般人とは思えぬようなものだ。まるで勇ましい戦士の目つきのよう。けれども、相手は相手で素人ではなかった。それゆえ、鋭い睨みにも少しも怯まない。侵入者の女性は余裕のある表情を保ち続けている。そのことだけで、彼女がただ者でないということを察することができた。
凡人でない者同士がぶつかった時、何が起こるのか。
ただの平凡な人でしかない私には欠片ほども想像ができなかった。
だが、私の脳が追いつくまで待っていてくれるほど、時の流れというのは呑気なものではない。時、それは、この世において確実で絶対的なもの。それは、誰のことも待たない。もし時に待てと命じられる者がいるとしたら、すべてを操る神ぐらいだろう。
リーダは赤い光の鞭のようなものを出現させ、勢いよく振る。私が寝ているベッドにかすった。が、仮面の女性はそれを軽く回避していた。しかも、ただ回避しただけではない。宙返りで後方へ下がりつつ避けていたのだ。
身のこなしが華麗過ぎて、戸惑わずにはいられない。
「あらあら、そんなものかしら」
「舐めない方が良いと思うが?」
「まぁそうね。忠告ありがとう。……なーんて」
片側の口角を持ち上げ、いつの間にか手にしていた細いナイフを数本投げつける。
素直になったのかと思ったら違った。女性は反撃の隙を見計らっていただけだったようだ。
だが、その程度でやられるリーダではない。既に所持していた赤く輝く鞭のようなもので、飛んできたナイフをすべてを弾いていく。結果、ナイフはすべて床に落ちた。
しかし、次の瞬間。
仮面の女性は誰も気づかぬくらいの速度でリーダに接近していた。
もう一メートルも離れていないくらいまで距離を詰められている。リーダもさすがにこれに対応することは難しい。
肉付きの良い脚で蹴りを繰り出す女性。
リーダは咄嗟に体を捻り、蹴られると危ないところを蹴られることだけは回避した。
「あら、いまいち当たらなかったわね」
両足の裏が床につくより早く、女性はニヤリと笑みを浮かべる。
その笑みを目にした時、私はなぜか恐怖のようなものを強く感じた。それは、相手の心が読めないという意味での恐怖だろうか。己の心とはいえ、短時間で細かいところまで分析することは難しい。が、女性の怪しげな笑みが恐ろしく感じたことは確かだ。
刹那、仮面の女性の手のひらがリーダに向く——そして、青く輝く光線が放たれた。
光線は体勢を立て直しきれていないリーダに直撃する。
「リーダさんっ……!」
鋭い光に視界が白く染まる。眩しすぎて何も見えない。そのうちに眩しさに耐えられなくなって、目を閉じてしまう。直後、風に襲われる。髪がすべて宙に浮かぶくらいの風圧。誰かが私の体を支えてくれたおかげで飛ばされはしなかった。が、その誰かを目で確認する余裕はない。
やがて、風が止む。
私は恐る恐る瞼を開いた。
「飛ばされるところでしたね、王女」
「えぇ……びっくりした」
私が瞼を開いた瞬間に話しかけてきたのはファンデンベルクだった。
恐らく、私の体が飛んでいかないよう支えてくれていたのも彼だったのだろう。
「さ。これで邪魔者は片付いたわね」
女性の声に、私は直前の状況を思い出す。そして、即座に視線を動かす。仮面の女性の方へと目をやった。彼女は勝ち誇ったような顔をしていた。
「味方が役立たずで残念だったわね、王女様」
「え……」
女性の言葉を聞いた瞬間、湧き上がったのは正体不明の気持ち悪さ。
その後に気づく。
リーダが床に倒れていることに。
力強かったリーダの面影は、もうない。リーダは力なく床に横たわっている。ある程度離れているから物凄く細かいところまではっきり見えているわけではないが、手指にすら力が入っていないように見える。意識を失ってしまっているのか、意識はあるが動けない状態なのか、その辺りははっきりしない。
「何てことを……!」
私は思わずそんな声を発してしまう。
「王女様が大人しく従ってくれれば、誰も傷つかずに済むわ。けれど、王女様が従ってくれないなら……そこの二人も同じようになるわよ?」
女性が言っている『二人』とは、リーツェルとファンデンベルクのことなのだろう。
でも、そんなことはさせない。フライが世話になっていた二人に、これ以上手を出させるつもりはない。二人とも護る。私に敵と戦えるような力がないことは承知しているが、それでも、大切な人が傷つくところを見たくないから戦う。私なりのやり方で。
「さぁ、大人しく同行してちょうだい」
「……お断りします」
リーツェルとファンデンベルクを後方へ下げる。
私は長手袋の一番上にある厚みのある部分を緩める。もちろん、なるべく目立たないように。
「あら、そう。素直に従ってはくれないってわけね」
仮面の女性は優雅さのある足取りで歩いてくる。仮面と似た模様のついたヒールがあるショートブーツを履いているにもかかわらず、足音はほとんどない。歩く際に足音を鳴らさないのは、一種の技術なのだろうか。
「ど、どうしますの……? セルヴィア様……?」
「王女、僕が出ます」
リーツェルとファンデンベルクはそんなことを言ってくる。
でも二人に任せる気はない。
「平気。二人はもしもの時にだけ力を貸して」
策はある。
殴れずとも、光を放てずとも、私にだけできることがあるから。
「どうしちゃったの? 固まって。可哀想に、怖くて動けないのかしら」
女性は着実に近づいてくる。私を狙っている。けれども、リーダと対峙していた時とは違う油断の欠片のようなものが、今の女性にはある。
「……乱暴なことをしないで下さい。話し合いを望みます」
「じゃ、大人しくしてちょうだい?」
女性はもうかなり近くにまで来た。私と彼女の体は二メートルも離れていない。けれど、私が策を発動するのはもう少し先。極限まで引きつけて、この手を使う。
「ほら、恐れないで——」
今!
長手袋を脱ぎ捨て、右の手のひらを女性の顔面に当てる。




