episode.21 蝶
紫色と黄色が際立った蝶のデザインが華麗な印象を与える仮面を目もとに着用した女性。
その人は、目を凝らしてよく見ると美しい人だった。
ブルーグレーの髪は肩付近までの丈で、ガラスの器のようにてかりがある。鼻は高く、恐らく美人だろうと思われるような目鼻立ちだ。
無論、目鼻立ちはあくまで想像でしかないが。
それにしても、彼女はなぜこんなことをするのだろう。そこがどうしても理解できない。整った容姿の持ち主だし、それなりにボリューミーな肉体にも恵まれているのだから、生き方なんていくらでもあっただろうに。こんな汚れる仕事をせずとも、生きてゆく道は見つけられたはずなのに。
「残念ね。見捨てられて。じゃ、お命ちょうだいするわ」
女性は刃物を握る手を高く上げ、そこから一気に振り下ろす。
このままではファンデンベルクが刺される。
「待ちなさい!」
私は思わず叫んでいた。
何年もの付き合いがあったわけではないけれど、それでも、ファンデンベルクを見捨てることはできない。
たとえ危険が伴うとしても、出ていくしかない。
「貴女が王女様……かしら?」
「そうよ。遅くなってごめんなさい」
「あら、可愛らしい」
どんな未来が待っているのかなんて知らない。だが、それでも前へ出る。ファンデンベルクやリーツェルが危険な目に遭うかもしれない時に一人引きこもっているなんていうのは、この心が許さないから。
「まずは彼から離れて下さい」
「それは後よ?」
「いいえ! 話すのは後です。先に彼を自由にして下さい」
譲れるところと譲れないところがある。それは世の常であり、今の私もまたその通りだ。
どうでもいいこと。どうでもいいことはないが柔軟に対応できること。そういった、比較的相手に合わせてゆけるようなことも、少なくはない。
でも逆に「ここは譲れない!」というところもある。そして、今がそのパターンだ。
「まずは離れて下さい。それから話をしましょう」
「悪いけれど……ここで話をする気はないわ」
「そこの彼は関係ないでしょう。なのになぜ、そのようなことをするのですか。貴女には人の心というものがないのですか」
目的のためなら手段は選ばない。
そんな人に思い通りにさせる気はない。
「そのとぉーっりですわ!」
「……リーツェル」
「セルヴィア様の言う通りでしてよ!」
リーツェルが急に強気に出てきた。なぜこのタイミングで、という感じだ。
「さっさーと離しなさーいですわっ!」
リーツェルは片手の人差し指を突き出して、胸を張りつつ言い放つ。
「王女様じゃない方は余計よ。黙っていて?」
「は!? 何ですの! その言い方はっ!」
「貴女みたいな小娘に用はないのよ。分かったら、大人しく下がっていなさい」
何やら妙な雲行きになってきた。女性とリーツェルの間でちょっとした口喧嘩が勃発している。だが、ファンデンベルクはというと、いまだに女性の下だ。首にめり込んでいた刃は少しだけ浮いたようだが、危険な状態であることに変わりはない。
ファンデンベルクが平気そうなのが唯一の救いか。
「小娘じゃないですわ! 失礼にもほどがありますわよっ!」
「あーいやいや。うるさいのは嫌だわ」
「んもーっ! いー加減にしてほしいですわーっ!」
リーツェルはどんどんヒートアップしていく。
このままではさすがにまずいと思い、宥めることにする。
「落ち着いてリーツェル。怒る必要はないわ」
「……セルヴィア様……でも!」
「どんな時も冷静さを欠いたら負けよ。今こそ、ファンデンベルクを見習うのよ。ほら、彼なんて、敵に押さえ込まれていても冷静じゃない」
「あれは鈍感て言いますのよ、セルヴィア様」
ファンデンベルクが冷静か鈍感かなんてことは、正直、今はどうでもいい。必要なのは、誰も傷つかない形で事を終わらせること。ただそれだけ。
「王女様が来てくれれば誰も傷つかずに済むのよ? ね?」
「……帰って下さい。それだけを望みます」
「あらー、残念。王女様も理解能力が低いのね」
さりげなく侮辱されている気もするが、そこはさほど重要なところではない。
それより重要なことが、今はたくさんある。
「仕方ないわ。なら実力行使で——」
刹那、王の間へと続く扉がある方から赤いものが飛んできた。
紅の光の弾。それを目にした瞬間、リーダのことが脳内に蘇った。以前彼女は赤い光を使っていた、ということは……と思う。
仮面の女性は、その場から咄嗟に離れて、赤い光の弾をかわす。
光による攻撃は命中しなかった。が、ファンデンベルクは自由の身となることができた。それだけでも良かったかもしれない。
「王女様! 無事かい!」
視界に現れたのはリーダ。
やはり、私の予想は間違っていなかった。
「リーダさん!」
「良かった。無事みたいだね」
「は、はい!」
緊張感が一気に和らぐ。
隣にいるリーツェルを一瞥すると、彼女も私と同じように安堵しているのが分かった。
「そこにいてくれればいい。あとはあたしに任せて」
「気をつけて下さい!」
「王女様は相変わらず優しいね」
華やかな仮面をつけた女性とリーダが向き合った時、私はふと、二人の共通点に気づいた。
髪の色である。
両者共に、ブルーグレーの髪。これまで私が出会ってきた人たちは黄色や橙色に近い色の髪の人物が多かったが、目の前にいる二人はどちらも灰色と青を混ぜたような色をしている。
……単なる偶然だろうか?
そんなことを考えていたら、いつの間にか近くへ来ていたファンデンベルクに声をかけられた。
「王女。すみません、お騒がせして」
「……大丈夫?」
彼は落ち着いていた。何事もなかったかのような顔をしている。が、喉元に浅い傷ができていて、その付近が少しだけ赤くなっていた。もっとも、見た感じはうっかり引っ掻いてしまった時の小さい傷と大差ないのだが。
「はい。ただ、お茶が一回分無駄になってしまいました」
気にすべきなのは、そこじゃない。
「それは気にしないで。無事で何よりよ」
「ありがとうございます。しかし、茶葉が無駄になってしまいました」
「いいのよ、茶葉は。一回分だし。気にするほどのことじゃないわ」
まだ何も終わってはいない。リーダは敵と向き合っている。それなのに、私たちは後方でこんな会話をしていて良いのだろうか。
ふと、そんなことを考えてしまったりする。




