episode.141 模索した、けれど
私は模索した。
ロクマティスと穏やかな関係を取り戻す、そのための道を。
けれどもそれは容易く見つけられるものではなくて。オーディアスと向かい合い言葉を交わす中で、平和的解決は無理なのかもしれないと思えてきた。それほどに、オーディアスは折れる気がなかったのだ。彼はとにかくひたすらに我を貫き通すつもりでいるようだった。
予想してはいたけれど、やはり、平和的な道を行くことはできそうにない。
残念なことだ。けれどもあちらがその気なら仕方ない。向こうが一切歩み寄ろうとしないなら、こちらだけが努力しても無意味。そんな状態で理想的な未来を掴み取ることは不可能に近い。
「悪いが、そのような甘い理想論には付き合えぬ」
「どうやらそのようですね」
結局、希望を抱けるような道はなかった。
それはもう変わらない。
「もう良いだろうか。話はそろそろ終わりにしよう」
「はい。ですが、少しだけ……お願いがあります」
「お願い、だと? 何だそれは。敵国の王にそんなことを言うなど馬鹿げている」
馬鹿げている。それはその通りだ。私だってそう思う。本当は、分かり合えるはずもない敵にお願いなんてしたくない。そんなものは馬鹿な行為でしかないと、自分でも分かっている。
「少し……構いませんか?」
私は座っていた椅子から立ち上がり、オーディアスの方へ数歩分足を進める。
あくまで冷静に。落ち着いて、感情を顔に出さず、微笑んだままの顔面を保ちながら。警戒されてはならない。ゆっくりとした足取りで、彼に近づいてゆく。
「うぬ……?」
「少しだけ失礼します」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟き——手袋から手を抜いて彼の顔面に触れた。
ごつごつした岩肌のような顔面が指先に独特の刺激を与える。そんなことを考えている場合ではないのに、他者の顔に直接触れるなんていつ以来だろうか、などと意味のないことを考えてしまう。
かなり久々に触る他人の顔。
それが敵国の王のものであるなんて、残念だ。
「……ぐ!」
手のひらを当ててから数秒。
オーディアスは低く詰まるような声を発した。
この手の力は効いている。
反応を見て、そう確信した。
これまでこの力を無力化した者はいなかったので、オーディアスだけが例外ということは考え難い。が、彼が凡人でないことは察していたので、万が一効果がなかったらという不安は完全に消えはしなかった。けれども、この反応の感じを見ると、効果がないということはなさそうだ。
「き、きさ……ま……!」
オーディアスは冷静さを欠いていてすぐには対処できない。
睨まれると凄まじい恐怖感を感じてしまうけれど、そこに意識を向けさえしなければダメージはない。
視線など気にするな。視線は所詮視線だ、刺さっても何も起きない。胸が痛む気がするのはそちらに意識を向けすぎるから。そういうことになる原因は、こちらが意識してしまうから。ただそれだけ。何も、視線が直接悪さするわけではない。
「すみません。……これがこの国の答えです」
睨まれるなら、それに勝つくらい冷ややかな視線を向けてやる。
どうせオーディアスとは味方にはなれない。歩み寄ることはできない。それならば、もういっそ、思いきって敵と捉えよう。どうせ、プレシラたちとみたいに理解し合うことはできないのだから。
「ぐ、あぁぁ……!」
その時、扉が開いてファンデンベルクが入ってきた。
「ご無事ですか」
「ええ!」
オーディアスは両手を乱雑に動かして逃れようとする。しかし、私の手によって目もとが押さえられているということもあって、まともには動けていない。動かす手も虚しく宙を掻くのみ。
二十秒、三十秒、四十秒……時は確実に刻まれてゆく。
時間が経てば経つほど彼の脳は壊れていく。どんな強靭な肉体を持っているとしても、この力による破壊には逆らえない。
手の先に力を込め、さらに強く押し当てる。
オーディアスは獣の雄叫びのような叫びを放つ。大地が揺れるような声が室内の空気を激しく揺らす。声とは別にびりびりという変な音が聞こえてくる。それほどの叫びだ。
ここは地獄か?
そう思うような時間が過ぎていった。
「あ……あ——」
やがて、オーディアスの身体は崩れ落ちる。
動かない。脱力している。狩られた熊のように、大きな肉体が力なく床に倒れ込む。
「相変わらず凄まじいですね」
オーディアスが崩れ落ちたのを見届けて、ファンデンベルクが静かに感想を述べた。
「……化け物よね」
どう考えても、この力は禍々しすぎる。
もっとも、それに救われている部分があることは確かなので、責めることはできないのだけれど。
「いえ。そうは思いませんが」
「……気を遣わなくていいのよ?」
「気は遣っていません」
妙に真面目な顔でそんなことを言うものだから、何だかおかしくて、少しばかり笑みをこぼしてしまった。
人が倒れている前で笑うなんて不謹慎だと思いはするけれど。
「それ、本当に言ってる?」
「はい」
「……そう。ありがとう」
オーディアスは終わった。
彼はもう息をしていない。
絶対的な王だったわりには、あまりにあっけない最期だった。
「お父様……」
オーディアスの死を医師に確認してもらった後、結果をプレシラたちに伝える。
既に心の準備をしていたのだろう、プレシラは取り乱しはしなかった。
「さようなら、お父様……」
父親の亡骸にそう告げるプレシラの表情は明るくはなかった。が、絶望の海に落ちているというほど暗いものでもない。憐れむような瞳をしていた。
一方、リトナはというと、まったく悲しそうでなかった。
プレシラは諦めつつも残念そうな顔をしている。しかしリトナはどうでもいいというような顔をしていた。悲しいとか嬉しいとか、そういう範囲からはかなりはみ出ている。
「まーたこれから厄介なことになりそーう」
「コラ。やめなさい、リトナ」
「えー、何が駄目なわけー?」
「そんなことを言うものじゃないわ。王女でしょう」
プレシラは今日もひたすら真面目だった。
「そういうのー、かたーい。面倒臭ーい」
そしてリトナも平常通り。
いろんなことを面倒臭がる面も健在だ。