episode.140 放棄はしない
この道を進もう、と決意して。けれどもまた迷って。迷宮に入り込んでしまいそうになって、気づけばまた最初の地点に戻っている。
私の人生はいつもそんな感じだ。
そして今も、現在地にたどり着くまで、そういうことを繰り返し続けてきた。
進むことと退がることを何度も何度も繰り返して、周囲に頼り、地味ながら少しずつ前へ進んで。そうやってここまで歩いてきて、今がある。
けれどももう戻りはしない。
ロクマティスとの因縁を断ち切る——その目的を達成するためには、迷っている暇はない。
私はロクマティス王を招く日を迎えた。
リトナやプレシラたちの父親でもあるロクマティスの王。名は、オーディアス・ロクマティス。ロクマティスにおいて絶対的な権力を手にしている人。
実際に対面するのは初めてのことだ。
正直、迫力で負ける気しかしない。
長年王座に座り続けてきた彼と、事情で仕方なく王座に就くこととなった私では、器が違い過ぎる。それは誰の目にも明らかなこと。私自身にだって分かるくらい分かりやすいことだ。
それでも私は彼を迎える。
きっと圧倒されるだろう。器の違いを見せつけられるだろう。ただ、それでも、いつまでも逃げ回ることはできない。一度は逃げたが、二度も逃げるつもりはない。今度こそ向き合う。そして、場合によっては戦う。
「はぁー、緊張してきましたわねー」
「大丈夫? リーツェル」
「わたくしはそれほど酷くないですわよ! でもセルヴィア様は? セルヴィア様こそ、かなり緊張なさっているのではありませんの?」
それは、見たことがなかった海に飛び込むようなもの。生まれて初めて海というものを目にした人が、無防備に突っ込んでいくようなもの。私は今、それほどに無謀なことをしようとしている。しかも、その自覚があるにもかかわらず。
「そうね。緊張はするわ。でも負けない」
私には父や弟のような戦闘能力はない。けれど、彼らにはなかった力を私は持っている。それを上手く利用できれば、何とかなる可能性もないことはない。思考と工夫次第だ。
「手を取り合う未来がないと判断した場合は……」
「この手の力を使う」
「……まだその気でいらっしゃるのですわね」
「そうよ。私はその気でいるわ」
まずは一度話してみよう。互いに顔を向け、お互い納得できるような妥協策がないか、一旦考えてみたい。だが、都合の良い道が簡単に見つかるとは考え難い。だから、もしどうしても選べる道がなかったなら、その時はこの手の力を使う。
これは大きな賭け。
上手くいく保証もない。
「もう逃げない」
その気なら、馬鹿なことを、と嘲笑えばいい。
もうじき約束の時間。
私は身支度を済ませ、城内の一室にて彼がやって来るのを待つ。
オーディアスは言葉が通じる相手か。話す気にもなれないような野蛮人か。それすらも分からない。プレシラらから聞いた話によれば、裏切り者には容赦なく怖い人物だとか。けれども、私に対する態度がプレシラたちに対する態度と同じとは考え難い。となると、ますます予測できない。
ただ、いずれにせよ、私がすべきことは決まっている。
何も変える必要はない。
頭に叩き込んだ手順に従い、淡々と進めればそれでいい。
「女王陛下、失礼致します」
「はい」
「オーディアス様がお見えになったようです」
こうも素直に訪問してきてくれるとは思わなかった。唐突なことだったので警戒されるかと思っていた。だが、警戒して嫌がられる、なんてことはなく。ただ、これを順調と捉えて良いものかははっきりしない。少なくとも、現時点では。
「お連れして下さい」
「承知しました」
もうすぐ運命の時が来るのか。そう思うと、何だか感慨深くもある。いろんなことをたくさん考えて迎える瞬間、だからこそ、私にとって特別なものなのだ。
それから数分。
数回のノックの後に、ゆっくりと扉が開いた。
「こちらになります」
「うむ」
視界に入った男性は、大柄でがっしりして、かなり迫力があった。
例えるなら、背の高い熊。
ただ熊とは似ていない部分もある。高価そうなガウンを着用しているところだ。豪快にふさふさしているので、その点においては、熊とはイメージが違う。
「呼んだのはお主か」
地鳴りのような重厚感のある声。
いやに肌がヒリヒリする。
「はい。セルヴィアと申します」
軽い笑みを崩さないように。けれども豪快な表情になりすぎないように。あくまで慎ましく、控えめに。
「うむ。オーディアス・ロクマティスという」
「お会いできて嬉しく思います」
「そうか。嬉しいなどと言い出すとは、実に面白い女だ」
面白い女? いきなり馬鹿にされている? 相手の意図が掴めない。嫌みなのか? あるいは、単に思ったことを口にしただけなのか? それすらはっきりしない。
「ありがとうございます」
ひとまず礼を述べておいた。
「それで、話、とは」
「我が国とロクマティスの今後の付き合いについて。それがお話ししたい内容です」
オーディアスの迫力は凄まじい。人間のそれを遥かに超越している。この人をよく裏切ったなプレシラたち、と言いたい気分だ。それほどに恐ろしさがある。現時点では彼は怒っていない様子だが、それでも得体の知れない恐ろしさを放っている。
その恐ろしさは槍のよう。
ただ正面に立っているだけでも、突き刺されているかのようだ。
「そうか。では話を」
「感謝します」
この圧力に負けてはならない。
キャロレシアの未来のためにも、ここで屈するわけにはいかない。
以前の私であれば即座に逃げ出していただろう。きっとこんな風には向き合えなかったと思う。怖い怖いと言って、閉じこもっていたに違いない。
だが今は違う。
私は王位に就く者であり、キャロレシアを護るべき地位にいる——だからこそ、向き合うことを放棄はしない。