episode.132 遠慮がない
数秒が経過、人影を視認できるようになる。黒い影でしかなかったものは一人の男性へと変化した。が、知らない人だ。生まれてこれまでに出会ったすべての人を記憶しているわけではないが、見覚えがない。
だが、彼が危険な人物なのだろうということは、何となく読み取ることができる。
なぜなら、手に武器を持っているから。
こんなところへ来る時に刃物を持っている人が、まともな人なわけがない。
「女王には当たらなかったかぁ、残念残念」
「何者ですか」
その時になって気づいた。ファンデンベルクの右肩に傷のようなものができていることに。そして、地面に一本のナイフが刺さっていることにも。
理解が追いつかないが、ナイフは恐らく男性のものなのだろう。
「不審者なら容赦はしません」
男性と対峙するファンデンベルクの表情はとてつもなく固い。
どうやら彼は男性が敵だと確信しているようだ。
「偉そうな口の利き方をするなぁ」
「名乗りなさい。……名乗れる人間であるのならば」
男性はへらへら笑いながら窓から室内へ入ってきた。それにより緊迫感がさらに高まる。だがそれも無理はない、今まさに敵が侵入してきているのだから。
「動かないで下さい。そこで止まりなさい」
ファンデンベルクが鋭く言い放つ。
少し離れたところにいたリーツェルが私の方へ駆け寄ってきた。不安げな表情を浮かべている。
男性は一旦停止。しかし真剣な面持ちではない。楽しくもないはずなのにどことなく笑っているような、不気味な表情のままだ。
しかも、手にしている刃物も一切隠そうとしていない。普通、警戒されないためにも、武器はいざという時まで隠しておきそうなものなのだが。
彼の感性は少々独特なものなのかもしれない——なんて呑気なことを推測している場合ではない。
不安の深海に沈んでしまいかけているリーツェルは身を寄せて腕を掴んでくる。その華奢な指先は微かに震えていた。口を開きはしないけれど、かなり恐怖を感じているみたいだ。
大丈夫よ、心配しなくていいの——そう言ってあげたい。
リーツェルを怖がらせたくない。できるならかっこよく励ましたいし、なるべく心穏やかにあってほしいのだ。可能なら、いつも笑っていてほしい。
いざとなったら手の力を使う! ……そう覚悟を決めておこう。
「去りなさい、怪しい者」
ファンデンベルクは淡々とした調子で命令した。
だが男性は従わない——どころか急に突っ込んでくる!
ファンデンベルク絶体絶命のピンチかと思われたが、高い辺りのどこかへ潜んでいた黒い鳥がいきなり登場。急降下し、男性の眉間へと突撃する。鳥の動きに気づかない男性ではない。が、対応が間に合わず、男性は眉間をくちばしで刺された。
「うぐぁ!」
男性の眉間から赤いものがこぼれる。
痛々しいが同情はできない。侵入するのみならず攻撃を仕掛けてきた向こうが悪いのだから。それに、こちらは狙われる身。時には卑怯な手を使うことだって躊躇ってはいられないのだ。この状況では正々堂々なんて言っていられない。
狼狽える男性に向かって駆け出すのはファンデンベルク。
いつの間にか抜いていた短剣を男性の喉もとにあてがう。
「静かにして下さいね」
「ぐっ……」
「武器を捨て投降なさい。従わないのであれば命の保証はできません」
男性の顔面から笑みが消えた。少し前までのような気味の悪い笑みはもう浮かんでいない。跡形もなく消え去っている、という表現が相応しいだろうか。
リーツェルが掴んでいた私の腕を離した。
ファンデンベルクが有利になってきつつはあるかもしれないが、まだ油断はできない。向こうが奥の手を使ってくる可能性も否定はできないから。
「あ、あの……セルヴィア様、人を……呼んできますわね?」
「その方が良さそうね」
今のところ男性が新手を繰り出してくる様子はない。男性がファンデンベルクと睨み合っている今なら、リーツェルを行かせることも不可能ではないだろう。
「行って参りますわ」
「ありがとう」
リーツェルは扉の方へと歩き出す。だが男性は動かない——いや、動けないのだろう。戦闘能力が抜きん出て高いことはないファンデンベルクが相手でも、それを押し退けてリーツェルを狙うというのは至難の技。
「武器を置いていただけますか」
「……ふん」
男性はその時になってようやく刃物を捨てた。
そんな簡単に捨てるものか? 一人敵地に乗り込むという危険な任務の最中にそんな妥協をするものだろうか。もしかしたら命が惜しいと感じたのかもしれない。が、そんなまともな思考を持った人が刺客になるものだろうか? 疑問が尽きない。唯一の武器を手放すなんて、どう考えても不自然な話だ。
その時、扉が勢いよく開いた。
「呼んできましたわよ!」
響くのはリーツェルの活き活きした声。
それまでとは違う、華やかな生命力を感じさせる声質だ。
「ここへ侵入するとは工夫がないな」
「潰しちゃえばっ?」
リーツェルが連れてきたのは、カンパニュラとリトナだった。
二人も呼んでくるとは。少々意外だった。けれども、どういう敵か分からない以上、味方は一人でも多い方が良い。一人より二人。その方が安心できる。
「武器を所持する不審者に情けはかけない。拘束する」
ファンデンベルクと男性がいる方へすたすたと歩いて接近していくのはカンパニュラだ。
「そこまででいい。後は任せろ」
「……はい」
ファンデンベルクは男性の身柄をカンパニュラへと渡す。そしてカンパニュラが男性の両手に拘束具をつけた。両腕の自由を奪われると、男性は諦めたように頭を前へ倒した。
「ねぇねぇ今どんな気分っ? 恥ずかしい? 恥ずかしいっ?」
リトナはニヤニヤしながら男性に対してそんなことを言い放つ。
遠慮がない。