episode.12 王となる
王の座に就く者のみが身につけることができる冠。私はそれを目にしたことがある。あれはいつだったか、王であった父が見せてくれたのだ。その時の私には、冠の価値なんて欠片ほども理解できなかった。でも、とても美しいと思ったことを、今でも覚えている。当時の私は、金色の輝きに満ちたそれを、素敵なアクセサリーのような感覚で捉えていたのだ。
だが、今はもう、その冠の意味を知っている。
次は私が被るのだから、知らずにいられるはずもない。
新たな王を認め知らしめる会は、城の近くにある建物の広間にて執り行われることとなっている。今日は快晴。祝いの日にはもってこいの天気だ。
「ねぇ、リーツェル。おかしいところはないかしら」
「いきなりどうなさいましたの?」
「深い意味はないけれど……」
「そういうことでしたら問題なしですわ! 何もかも完璧ですのよ!」
私はもうじき人前に出るのだが、心臓がいつになく激しく脈打っている。しかもそれだけではない。体のあちこちから汗が滲んでくるのに、口腔内は乾いたような感覚。呼吸は平常時より加速し、胃が握られているような感じがする。
これらの症状は、多分、人前に出ることに慣れておらず緊張していることによるものなのだろう。
「セルヴィア様、そう難しい顔をなさらないで?」
「ありがとうリーツェル」
「わたくしもファンデンベルクも近くで見守っていますわ」
「ありがたいわ。感謝しているから」
この凄まじい緊張感は、耐え難いもの。けれど、精神的に寄り添ってくれている者がいると思えば、ほんの少しだけだが心が軽くなる気がする。決して一人ではない。その事実が、私をどこまでも強くしてくれる。
髪は完成しているし、まとうべき服もきちんと着た。小さいところの確認も、自室にいるうちに何度も繰り返した。
もう大丈夫。
今はただ、前へ進もう。
ゆっくりと広間内へ進み出る。周囲には人々がいた。といっても、大勢が乱雑に入り込んでいるというわけではなく、きちんとした雰囲気で並んでいる。それも、設置されている簡易椅子に着席しているのだ。それゆえ、広間内はきちんと整頓されていて、私が通る道は確保されている。
そんな道を私は歩く。
一歩。一歩。転ばないよう慎重に進んでゆく。
幸い、着慣れない服というほど大層なものは着ていない。そのため、裾を踏んで転倒する危険性なんかはない。ただ、それでも慎重にならねばならないのは、いつになく緊張しているからだ。緊張している時ほど人は失敗しやすいもの。だから、意識して進む必要がある。
広間内は厳かな雰囲気に包まれている。
本当ならフライが通るはずだった道を私が——そう考えると、胸がちくりと痛んだ。
いつか王となるため努力してきたフライがこの道を通ることなく落命し、もはやただの引きこもりに近かった私がこの道を歩く。
なんという、切ないことだろう。
広間の一番前のステージへと続く階段をのぼる。段は五つほどで、そう時間をかけずに上がりきることができた。そうしてステージ上へたどり着いたら、いよいよ式が幕開ける。
「キャロレシア王女、セルヴィア・キャロレシアを、今日この日をもってキャロレシア国王とする」
新たな王に王冠を差し出す大切な役割の者がそこまで言った時。
静まり返っていた空間に、銃声のような乾いた音が響いた。
「え……なに……? 何の音?」
「ちょっとちょっと! 音したよね!?」
「したした」
「この部屋の中……?」
突然のことに参加者たちが動揺する。驚いた顔で硬直する者、悲鳴を漏らしてしまう者、反応は人によって様々だ。ただ、誰もが冷静なままではいられなくなっていたことは、一つの事実だろう。
そして、私もまた、心を乱されていた。
音の正体が分からないことが何より恐怖を掻き立てる。
——刹那、着席していた人々の中の一人が立ち上がり、ステージの方へと駆けてきた。
「おらららららら!」
その男は奇声を発しながら接近してくる。
全身が恐怖に染まるのを感じた。
突然立ち上がった男がステージへの階段を駆けのぼり接近してくるその恐怖といったら、もう、言葉にならないようなもの。全身が毛羽立ちそうな恐怖の波に襲われ、足一本さえ動かせない。
「仕留めてやるうううう!」
「やめ……」
その時だ、一羽の鳥が広間に入ってきたのは。
見覚えがある鳥。そう、ファンデンベルクが可愛がっていた黒い鳥だ。それは信じられないほどのスピードで飛んできた。その瞳が捉えているのは、不審者の男。
「うっ!? あわ!? あはわわっ!?」
たった一羽の鳥に何ができるのか。そんなことを考えている方が馬鹿だった。というのも、黒い鳥はしっかりと男の動きを妨害していたのである。男の頭や肩に留まったり飛び上がったりすることを繰り返して、男の動作を確実に制限している。
そのうちに警備の者が駆け込んできた。
そして、奇声を発する男を、二人掛かりで取り押さえる。
「離せ! 離せええ! はっなっせえええ!」
あと一歩というところまでいったにもかかわらず目的を達成できなかった男は、悔しさのあまり大声を出している。じたばたして拘束から逃れようとしているが、二人掛かりで押さえられているので何もできないようだ。
「神聖な場を穢すとは!」
「大人しくしろ!」
警備の者たちはそんなことを言いながら男を拘束し、連れ去っていった。
再び広間内に静寂が戻る。が、今さら元のような厳かな雰囲気を取り戻すことはできない。皆、心を乱されていたからだ。誰もが心なしか落ち着かないような顔をしている。
けれども、具体的な脅威は取り除かれた。
王冠を与える儀式は継続されることとなり、私は続きから参加する。
私は王冠を授けられている間、それとは関係のないことを考えてしまっていた。先ほどの不審者について、である。
彼は何者だったのか?
彼は本気で私を殺めるつもりだったのか?