episode.119 プレシラの幼馴染み
あれからは特に何も起こっていない。
忙しい日は時折あるが、穏やかな時間が流れている。
変化というと、プレシラがキャロレシアに滞在するようになったことくらいか。城内の修繕も順調に進み、今のところ大きな問題は発生していない。
そんな平凡な朝、自室の鏡の前でリーツェルに髪を結ってもらう。
「ごめんなさいね、いつも頼んでしまって」
「いえ、構いませんわ。すぐに終わりますわよ」
「ありがとう」
ただ髪を結うだけなら自力でもできないことはない。ただ、綺麗に髪型を作ろうと思うと、自力では難しいのだ。自分で結うとどうしても大雑把さが滲み出てしまう。
「ねぇリーツェル」
「何ですの?」
「ええと……何というか、平和ね」
よく分からないけれど何でもないことを言いたくなってしまった。
「平和? そうですの? 面白いことを仰いますのね」
リーツェルは手を動かし続けながらも会話に参加してくれる。
「だってそうじゃない。戦いも起こっていないし」
「それは、そうかもしれませんけれど……でも、気を抜くにはまだ早い気がしますわよ?」
「……確かにね」
すべてが終わってくれていたなら、どんなに良かっただろう。
もう嵐は去ったのだと無理にでも信じたい私がいる。
「貴女の言う通りだわ」
きっとまだ終わらないのだろう。都合良く、話が丸く収まるはずもない。今は平和でも、それは一時の休息でしかなく。いずれまた嵐がやって来るのだろう。
「いつになったら終わるのかしら……」
「誰にも分かりませんわ」
「そうよね。……その時が来るまで」
その日の昼下がり、私はプレシラと顔を合わせた。
「申し訳ありません。唐突に」
「え。いえいえ! そんな! 気になさらないで下さい」
プレシラには少年がいつも同行している。もちろん今も例外ではない。少年は常にプレシラと行動を共にしている。しかしながら、でしゃばってはこない。こうしてプレシラが私と喋っている時も、彼はじっとしている。
「その、プレシラ王女」
「何でしょう」
「もし良ければ、普通の喋り方で喋りませんか?」
「……普通の?」
プレシラは目をぱちぱちさせながら戸惑ったような顔をする。
「ええと……つまり、もう少し親しげな話し方にしませんか? ということです」
説明が難しくてすぐには上手くは言えなかった。が、思いつける範囲で言葉を紡ぎ、それらしい説明をしてみる。上手な説明とはとても言えないけれど。
「あぁ! そういうことですね!」
「失礼なことを言ってしまっているかもしれませんけど」
「いえ! 構いませんよ。では、改めて、よろしくお願い致します」
無茶なことを言ってしまったわりには温かく受け入れてもらえた。
どう思われているだろう? もしかして引かれている? つい余計なことを考えてしまう。それが余計な思考であると分かっているというのに、捨ててしまうことはできない。いきなりおかしなことを言い出した、と、思われてしまってはいないだろうか?
「これからもよろしくね、セルヴィア女王。……なんて、こんな感じでしょうか?」
言ってみてから少々恥ずかしそうな表情を浮かべるプレシラ。
まるで可憐な少女のよう。
「あっ、はい! そのような形でよろしくお願いします!」
それに比べ私の情けないこと。
自分で提案しておいてオロオロしてしまうなんて、情けないし、恥ずかしい。
「ではそういう話し方にさせていただくわね。ところで、セルヴィア女王は丁寧語のままなの?」
「はい」
「まぁ……! そうなの……! それは驚いたわ」
「ややこしいことを言ってしまい、すみません」
何だか妙な感じになってしまった。でも、プレシラに対して丁寧語を外して話すというのはどうもしっくりこない。変えようとしてもすぐには変えられないと思う。
「こちらも崩してお話しする方が良いでしょうか?」
「私は……どちらでも構わないわよ? ……って、この感じ、慣れないわね」
どうやらプレシラも違和感を覚えているようだ。
それはそうか。彼女が自ら変えたのではなくこちらが急に無理を言って変えてもらったのだから、彼女が違和感を覚えないはずもない。
「私は特に希望はないから、セルヴィア女王が話しやすい感じで構わないわ」
プレシラはそう言って微笑む。
「はい。では、私はひとまず今のままにしておきますね」
恐らく向こうの方が年上、こちらが丁寧語を使うのは何も不自然なことではないだろう。
「そう? 分かったわ」
「ではよろしくお願いします」
「こちらこそ」
私たちが話している間、プレシラの後方に立っている少年は何一つ発さなかった。ただそこに立っているだけ。人形を置いているのかと錯覚するくらい、彼は静かだった。
「そうだった。話があったの」
「お話が?」
「えぇ。後ろにいる彼のことで」
プレシラはそう言って、少年の手首を掴んだ。一瞬戸惑ったような顔をする少年。しかしそんなことは欠片ほども気にせず、プレシラは少年を私の前へと連れ出す。
「彼はムーヴァーというの」
ムーヴァーと呼ばれる少年は緊張したような面持ちでいる。
「いつもプレシラ王女に同行なさっている方ですよね」
「そうよ。実は私の幼馴染みでもあるの」
ムーヴァーという人物に関する説明はすべてプレシラが行う。ムーヴァー本人はというと、少し強張ったような面持ちでその場に立ち続けているだけ。
「幼馴染み! そうだったのですね」
主従のような関係ないのだと思い込んでいたけれど、幼馴染みということは、完全な主従関係ではないのかもしれない。それより近しいというか、個人的な繋がりというか。
「えぇ。少し頼りないところはあるけれど、悪い人ではないわ。……本当に悪い人ではないの」
「……え」
少しばかり違和感を感じて。
「あら、どうかなさった?」
違和感は私の気のせいだったのかもしれない——プレシラの晴れやかな表情を見ていると、そんな気がしてきた。
「いえ。ただ、先ほどの言い方が、少し違和感があるなと……」
「そういうことね。ごめんなさい、妙な言い方になってしまって。でも何でもないのよ。どうか気になさらないで」