episode.117 面倒臭い女と思われても
これでひとまず、大きな悩みはなくなった。
二国の衝突によって犠牲が生まれたことは事実であり、問題が解決したからといってその事実が消え去るわけではない——そこは受け入れていかなくてはならないと思っている。
生まれた悲しみから目を逸らすべきではないだろう。だが、悲しみが存在しているからといって、生まれてきた喜びや安堵を見てはならないという決まりがあるわけではない。良いことに目を向けてはならない、ということはないはずだ。
良いことと悪いこと、両方を同時に見つめる。
今はそれで構わないのではないだろうか。
安堵すること自体が罪である、と、そこまでは誰も言わないはず。だから、私は私なりのやり方で、目の前の道を行く。
ある昼下がり、王の間にてリトナと対面していた。
いや、対面、なんて言い方は大層過ぎるかもしれない。何もそんなお堅いことではないのだ。ただ向き合っているだけ。
「実はリトナ王女にお聞きしたいことがあって」
「えー? なになにー?」
「リトナ王女の手には銃口があるわよね。それについて聞きたいの」
こういうことは聞くべきではないのかもしれない——思いながらも、私は問いを放った。
リスクの高い問いを自然と放ってしまったのは、リトナの機嫌が良さそうだったからだと思う。
「べっつにーいいけどー、で? 聞きたいことは何?」
問いを実際に口にしてから「やらかしたかもしれない」と少々不安になっていたのだが、リトナは不機嫌にはならなかった。リトナは笑顔を崩さないまま言葉を返してくれる。
「生まれながら……じゃないわよね?」
「手の銃口のことー?」
「えぇ。それは先天的なものではないのよね」
「何それ面白ーい! 先天的に銃口とかー、イミフメイ過ぎるー!」
もし私が彼女の立場であったとしたら、今の彼女ほど自由奔放ではいられなかっただろう。己の肉体が他人のそれと違うことに複雑な感情を抱いてしまっていたに違いない。健康であったとしても、だ。
「リトナはねー、実験に参加させられたの! で、こうなったわけー。でも正直あまり気にしてないっていうかー。むしろ、いつまでも若々しくいられてラッキーかもー?」
彼女は小さなことは一切気にしない。いや、小さくもないことさえも気にせず、気ままに生きている。そして、その強さに惹かれている私がいる。
「リトナ王女は前向きね」
思ったことを口にした。ただそれだけのことだ。けれどもリトナはそうは理解してくれていない様子。どうしてこうも捻くれたような解釈ばかりするのだろう。なぜ、言葉そのままの意味で捉えてくれないのだろう。仕方ないことなのかもしれないけれど。でも、言葉をそのまま捉えれば、何もかもがもっとシンプルだろうに。
「えー。何それ、どういう意味ー」
リトナは頬をぷっくりと膨らませつつそんなことを言う。
本気で怒ってはいない、それは分かる。
「変な意味ではないのよ。ただ、凄いなって」
「うそうそ。思ってないこと言わなくていいからー。ホントのことを言ったらいいからー」
「私はそんなに前向きには生きていけないわ」
「ふーん。そ。それが本心ってわけ」
リトナはそう言って、どこでもない宙へ視線を向ける。
彼女が見ているものは何? 彼女が何もないところを眺める訳は? 気になる点は多々あるが、このタイミングでそれを尋ねるというのは無粋だろう。
沈黙に耐えること数秒、リトナは改めてこちらへ目をやってくる。
「でもでもー、セルヴィアさんだって同じようなものでしょー?」
「え」
「手に宿る呪いみたいな能力。周りの人たちとは違うでしょ」
「……あ」
それはそうだ。私の手には皆にはない力がある。それは真実。
「確かにそれはそうね……でも、私のは生まれつきよ。リトナ王女とはパターンが……」
「似たようなものだからー」
「そ、そうかしら」
「そーいうこと! だーかーらー、リトナに気は遣わないで!」
その日の晩、私は交際費に関する書類の再度作成したものを受け取った。
内容は、前回よりかは詳しく書かれていた。全貌がはっきり見えるほどの詳細さではないけれど、他の書類と明らかに違っている感じはなくなっている。
しかし、なぜこうも飲食代が多いのか。
「こちらでよろしいですかな?」
「……はい。ではサインします、少しお待ち下さい」
インク瓶とペンを取り出し、書類にサインする。
さすがにもう慣れた。今はもう、他人に見られていても堂々とペン先を運ぶことができる。書いているところを見られることへの不安や恥ずかしさはない。
サインした後、少し時間をかけてインクを乾かす。それから紙をそっと当て、余分なインクが紙面に残り過ぎていないかを確認。そうして問題ないことが分かったら、男性に紙を差し出す。
「お待たせしました」
「ありがとうございます。内容につきましてもご納得いただけたでしょうか」
男性は両手で書類を受け取った。
「はい。ただし、来期からは、飲食代は含めないで下さい」
「なっ……!?」
男性は愕然とする。感情を隠そうとはしない。
「な、なぜです!? 飲食代くらいどこでも交際費として——」
「多過ぎます」
幸い、ファンデンベルクとリーツェルは近くにいてくれている。おかげで私は必要以上に気を遣わなくて済んでいるのだ。近くに味方がいてくれるからこそ、言いたいことを言える。
「ゼロにはならないにしても、もう少し減らすことはできませんか? 集めたお金は好きなように使って良いお金ではありません。皆に還元する使い方をしなくてはなりません。飲み食いはなるべく本人のお金で行って下さい」
「は、はぁ……」
「色々言ってしまい申し訳ありませんが、ご協力よろしくお願いします」
「そうですな……まぁ、一応考えておきます」
男性はとても面倒臭そうな顔をしていた。
面倒臭い女と思われるだろう、そのくらいのことは簡単に想像できる。そう思われているなら、べつにそれでいい。死ぬまで彼らと共に生きていくわけではないのだから。
「ではこちらで失礼致します。確認ありがとうございました」
男性は面倒臭く思っていることが丸出しな顔つきのまま軽く頭を下げた。
必要以上に音は立てず、静かな歩き方で退室していく。