episode.11 遥か昔の二つの道
キャロレシアとロクマティス。それらはかつて一つの国だった。
しかし、ある時、王族の中で仲間割れが発生。
昔ながらの穏やかな暮らしを第一とする派閥と、先進的な技術を取り入れることを重視する派閥、二つに分かれてしまった。
その二つの派閥が、やがては二つの国となる。
前者は、キャロレシアに残り、自然と共にある穏やかに暮らす道を。後者は、ロクマティスなる国を立ち上げ、進んだ技術を取り入れつつ生きる道を。それぞれ選んだ。
こうして、かつてキャロレシアと呼ばれていた国は二分され、キャロレシアとロクマティスとなる。
以降、二つの国が衝突することはなかった。
両国は親しくなることはない。
手を取り合う道を選ぶこともなかった。
——が、二つの国に分かれることで、悲劇を回避したとも言われている。
「一つの国、か……」
この国の歴史や近隣諸国との関係を簡単にまとめた本の第一章を読み終えて、私は訳もなく溜め息をついた。
意図せず溜め息が出たのはなぜだろう。大量の文字を読んだから、だろうか。個人的にはそうではない気がする。もしかしたら、西の国との複雑な事情を知ってしまったからかもしれない。
「セルヴィア様、どうしましたの? 溜め息なんておつきになって」
「キャロレシアとロクマティスの関係について読んでいたの。そうしたら、自然と溜め息が出てしまって」
リーツェルに問いかけられたので、私は正直に答えた。
ここで嘘をつくほどのセンスは私にはない。
「そうでしたの。それで溜め息が。それは災難でしたわね」
苦笑するリーツェルの顔を目にしたら、ほんの少しだけ癒やされた気がした。
「ねぇリーツェル、私、よく分からないわ」
「ええと……どういう話ですの?」
「これからどうなるのか。私たちはどこへ行くのか。とにかく分からないことだらけだわ」
今、この胸に宿っているのは、とても言葉にはできないような不安。
本当の意味で不安に思っているのは何なのか——そこまで口にすることはできないけれど。
「ええと……それはつまり、『色々不安』ってことですの?」
リーツェルの訳し方は大きく間違ってはいなかった。
完全に正しいのかどうかは不明だが。
「そうね。曖昧に言うとそういう感じ」
「不安なのは何となく分かりますわ。でも……わたくしには、たいしたことはできませんの」
「いえ、いいのよ。リーツェルのせいではないもの」
「ありがとうございます、セルヴィア様。でも……放っておくのは、ちょっぴり複雑ですわ」
今の私は一人ではない。リーツェルがいてくれるし、ファンデンベルクもいる。失ってしまったものは大きいけれど、新しく手にしたものだってあるのだ。それゆえ、悲観し過ぎる必要はない。そのことは、頭では理解している。ただ、それでも、どうしてもこの重苦しさからは逃れられない。
リーツェルやファンデンベルクと共に暮らし始めて数日、転機が訪れた。
キャロレシア王の座に就くことを命ぜられたのだ。
父の次に王になるのはフライだと思っていた。男性だし、王子としてそれなりに立派に生きていたから。小さい頃から、それが当たり前のことだと思っていた。
でも運命は変わってしまった。
もう何もかもが変わり果てた。
かつてのような穏やかな暮らしを手にすることはできないのか——。
「セルヴィア様! 今日王位を継承なさるのですね!」
「え、えぇ……」
王の冠を賜る儀式は今日執り行われる。
今日この日をもって、私はキャロレシアの王となる。
「もう準備万端ですの?」
「いえ。実はまだなの」
「ええっ! もう開始まで二時間しかないですわよ!?」
髪型は既に完成している。というのも、今日も日頃と大差ない髪型で行く予定だからである。しかし、服はいつも来ているものとは違う。それゆえ、淡い青のワンピースだけは着用しているが、他はまだ着ることができていないのである。
「あとは何を着るんですの?」
「ええと……これ。このよだれかけみたいなの。それと、ロング手袋」
用意され渡されているものをリーツェルに見せる。
よだれかけみたいなものは、全体は紺色。中央と縁には金のラインがあり、右三つ左三つと金ボタンが合計六個つけられている。首元は立ち襟のような造形だ。ちなみに、後ろ側はセーラー服の襟のような感じになっている。
ロング手袋は、僅かに黄色を混ぜたような茶色。一番上の数センチだけが分厚くなっていて、その厚みのある部分だけは赤よりのありふれた茶色だ。微妙に色みが異なっている。
「これを今から身につけるんですのね?」
「えぇ」
「もしよければお手伝いしますわよ」
「ありがとう。でも、もう少し後に頼むわね」
ワンピースくらいなら早めに着ても問題はない。が、完全体になるところまで支度を整えてから数時間待つというのは、肩が凝ってしまう。それゆえ、すべてをまとうのは、できれば直前になってからにしたい。
そんな時だ、ファンデンベルクが部屋に入ってきたのは。
「それにしても奇妙としか言い様がありません」
彼は右肩に艶のある黒い鳥を留まらせている。黒い鳥はその細い足で肩の上にしっかり立っている。そんな状態でありながら、ファンデンベルクは淡々と言葉を発していた。
「宣戦布告、王位継承、大きな出来事が多過ぎます」
「唐突ね。ファンデンベルク」
私がそんな風に声をかけると、ファンデンベルクはハッとしたような顔でこちらへ視線を向けてきた。
青の瞳が私をじっと見る。
汚れのないその瞳は、今日も変わらず美しい。
「失礼しました」
「いいえ、謝ってほしいわけじゃないわ」
「……では何を?」
「何となく思ったことを言っただけよ。何も求めてはいないわ」
ファンデンベルクはこれまであまり関わったことがないタイプの人間だ。それゆえ、接する時にどうしても迷いが生まれてしまう。と言っても、べつに険悪になるわけではないけれど。
「でも……貴方が言っていたことは、本当にその通りね。どうして今、王を決めなくてはならないのかしら。こんなに急いで」
次から次へとややこしい話が出てきて爆発しそう。
そもそも、これまで自室にこもらせてきた私をいきなり外へ連れ出そうなんていう考えが、理解できない。国王が亡くなり、その継承者であったフライが亡くなって、それでも他の道はあったはず。それなのに、なぜ私が王にならなくてはいけないのか。
「怪しい、とは思います」
「……そうよね」
「警戒しておいて損はないと思います」
「ええ。そうするわ」