episode.115 嬉しい報告からの
「失礼致します」
「いきなり呼んでしまいすみません」
交際費に関する説明の件でやって来たのは、あまり知らない男性だった。
リーツェルも近くにいてくれるので安心感はある。
「いえいえ。それで? 交際費の件でしたかね?」
「はい。お話を聞きたく思いまして」
「あぁそうでした。先日の書類のことでしたな。どの辺りに疑問を?」
「交際費だけでこんなにも必要でしょうか」
緊張感は時が経てば経つほどに高まってくる。胸の鼓動も加速するばかり。全身の毛穴から冷たい汗が流れ出そうだ。
だが、こちらが変に意識し過ぎているだけで、向こうは敵意など抱いていないはず。深く考えなければ、きっと、話は順調に進むはずだ。元々戦うつもりではないのだし。
「その件ですね。仰ることは分かりますよ。ただ、交際費は国を維持していくためにどうしても必要なものなのです。そこはご理解いただきたい」
リーツェルは会話には入ってこないのだが、ぴりぴりした空気を放っている。
「こちらのみ内訳が明瞭でないことも気になります」
「内訳?」
「他の部分であれば詳細に書いてあります。しかし、交際費のみは、かなりざっくりとした書き方になっている。そこが気になりまして」
思っていることをそのまま口にすると、男性は妙な笑みを浮かべた。
「そういうものなのです」
男性の笑みが不気味過ぎて、私は言葉を失ってしまう。
「ご存知ないかもしれませんが、そちらの項目には詳細は書かないものなのですよ」
十秒ほどの沈黙の後、私は口を開く。
「そうでしょうか。使い道は明らかにしておいた方が良いのではないかと思うのですが」
「ふふふ。なるほど、貴女はまだ大人の世界をご存知ないのですね」
「民のお金を使うのです。後に揉めないためにも、使用用途はきちんと記しておくべきです。現に、他の項目においてはそれが行われています」
すると男性は急に大きな溜め息をついた。額に片手の手のひらを当てるという動作もおおげさでわざとらしい。唐突にそんなことをし始めた男性を見て、鬱陶しがられているな、と察しはする。が、同時に、交際費が真っ当なものでないという可能性は高まった。真っ当な金額を記載しているのであれば私の問いに答えるだけで良く、溜め息をつく必要なんてないはずだから。
「改めて、書類を作成してはいただけませんか」
「なっ……! しかし今は別の仕事が……」
「詳細を加えていただくだけで問題ありません。その際サインさせていただきます」
「お、お待ち下さい。そのような勝手なことを言われましても」
思わず本性を露わにしそうになった男性を、リーツェルは静かに睨む。
「急ぎませんので、よろしくお願い致します」
「で、ですが……今は、その……他の要件が……」
「そうですか。では他の方に作成をお願いして」
「待って下さい! 作成し直します! しますからっ!」
それまでは作成し直すことを嫌がっていた男性が、急にやると言い出した。
何がどうなっているのやら。
「ではよろしくお願いしますね」
「は、はい……」
「急ぎませんので」
「はい……」
そんな会話の後、男性はトボトボと去っていった。
哀愁漂う小さな背中。見つめていたら申し訳ないような気分が高まる。仕方ないことなのだけれど、少し生まれる罪悪感のような何か。
男性との面会から数時間が経ち、陽が沈みそうになってきた頃、嬉しい連絡が届いた。
ファンデンベルクが無事救出されたそうだ。
また、彼の救出の任務で出ていたカンパニュラとリトナも、健康体らしい。
現在ファンデンベルクは風呂場で身を流しているところだと聞いた。それが済めば、ざっくりと身体検査だけ行って、ここへ戻ってくることができるかもしれないらしい。
色々あったが生きていてくれたなら良かった。
これでリーツェルを悲しませずに済む。
「良かったわねリーツェル。ファンデンベルク、戻ってくるわ」
「まーったく! あの男は迷惑かけすぎですわ!」
リーツェルは怒っているかのような態度を取っている。でも私には分かる、彼女は本当は喜んでいるのだと。彼女は素直でないところがあるからすぐに余計なことを口にするけれど、でも、それは本心ではない。
「そんなことないわ。いつも彼は彼なりに頑張ってくれているもの」
キャロレシアに恨みを抱いてもおかしくない過去を持ち、それでもこの国のために生きてくれる。そんな彼を悪く言うことなんてできるわけがない。
「……お優しいんですのね」
「リーツェルはどうなの? 嬉しくないの?」
するとリーツェルはドキッとしたような顔つきをした。
「まぁ……嬉しくないことはないですけれど……」
相変わらず素直でないな、と思いつつ、少しばかり恥ずかしそうな彼女の姿を見つめる。
嬉しい報告から一時間ほどが経過した頃、扉が開いた。
そうして視界に入ったのはファンデンベルク。
「ファンデンベルク!」
「ただいま戻りました」
思わず駆け出してしまう。
もはや自制できない。
駆け寄って、その手を掴む。彼の指先はほんのりと温かかった。風呂上がりだからだろうか。
「おかえりなさい!」
至近距離で見つめることとなったが、特に異変は感じられない。以前のファンデンベルクと何ら変わりない様子だ。長い間キャロレシアを離れていたわりには健康そうである。それに、髪もとても綺麗だ。
「ご迷惑おかけしました」
ファンデンベルクはそんな風に言うけれど、私からしてみれば元気でいてくれるだけで十分嬉しい。それ以外何も求めない、とさえ言えるような心境だ。
「いいえ! 迷惑なんかじゃないわ! むしろありがとう、元気でいてくれて」
「配慮に感謝します」
「ところで、怪我はないの?」
「脱出する際、少しだけ擦り傷ができた程度です」
「そう……良かった……」
きっといつかは帰ってきてくれるだろうと信じていたけれど、不安がないわけではなかった。万が一ということも想定されるからだ。でも、私が抱えていた不安はすべて、杞憂だった。こんな幸運なことはない。