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episode.113 不安が湧いてこないわけではなかった

 ファンデンベルク救出で出ていったカンパニュラとリトナから連絡があったらしい。連絡によれば、無事ファンデンベルクを確保できたとか。こうなってしまえばもう、後はロクマティスから脱出するのみ。安心するには早いかもしれないが、順調と理解するくらいは問題ないだろう。


 決して悪くない報告に安堵しているとリーツェルが話しかけてくる。


「セルヴィア様。明後日くらいには王の間へ戻れそうですわ」


 一連のごたごたで掻き乱されてしまったため、王の間はしばらく閉鎖されていた。だがその閉鎖ももうじき終わりそうだ。もっとも、個人的にはもっと早く片付くだろうと想像していたのだけれど。


「そう! 良かった」


 今いる部屋のことが嫌いというわけではない。が、慣れている部屋へ戻ることができるのならば、それに越したことはない。何だかんだで、慣れ親しんだ部屋が一番なのだ。


「片付けは順調みたいですわ」

「早く帰りたいわね」

「のんびりはできませんわよ?」

「分かってるわ。でも、それでも帰りたいの。懐かしい部屋に……」


 懐かしい、なんて言い方は、少しわざとらし過ぎるかもしれない。私が王の間で過ごしてきた時間は一年もないのだから。むしろ、王女であった頃に暮らしていた部屋の方が、時間的な付き合いは長かった。


 けれど、王の間が懐かしい場所だというのも、嘘ではないのだ。


 王の間へ移ってからというもの、一日のうちの多くの時間をそこで過ごしてきた。用事をするのは大抵王の間だったし、自室も王の間から直で行ける場所に位置する部屋だった。


 だから王の間は特別な部屋。

 いろんな記憶が残っている場所。


 ——その時、突然、誰かが扉をノックした。


「はい。どなたですの?」


 ノックに素早く対応するのはリーツェル。


「プレシラです。お邪魔しても構わないでしょうか」

「どうぞ!」


 リーツェルが許可した数秒後、扉がゆっくりと開いて、プレシラが淑やかに入ってきた。


「お邪魔します」


 ロクマティス王家に伝わるブルーグレーの髪も今は恐ろしくない。

 だって、プレシラはプレシラだから。


「プレシラ王女、何かご用でしたか」

「こちらの書類を。貴女に届けるように言われたので、お持ちしました」


 そう言って、プレシラは紙の束を差し出してくる。


 他国の王女を使うとは……頼んだ人はどんな神経をしているのだろう……、と考えてしまったことは秘密。


「あっ。手伝わせてしまってすみません」


 思わずそんなことを言ってしまった。

 それが最良の発言だったかは正直分からない。


「いえ、気になさらないで下さい。ではお渡ししますね」

「ありがとうございます……」


 プレシラの表情は穏やかだった。

 紙を運ばされるなどという王女らしからぬ扱いを受けているというのに、だ。


 実は怒っているのだろうか? 胸の奥底には苛立ちが存在しているのだろうか? 表情だけでは、彼女の胸の内を完璧に読み取ることはできない。でも、こんな使い方をされたら、王女の意識が高い人こそ腹が立つのではないだろうか?


「お聞きした話によれば、金銭の使用に関する書類だそうです。そちらに王のサインが必要だそうで」

「そうだったのですね」

「私の用事はこの件のみですので、そろそろ失礼しますね」

「あ、はい! ありがとうございました!」


 私は頭を下げることを何度か繰り返した。

 ちなみにこれは考えての行動ではない。頭を下げたのは思考の果ての動作ではなかった。体が勝手に動いていたのである。


 プレシラが退室していった後、リーツェルが怪訝な顔で口を開く。


「あの方……目的は一体何なんですの」


 その言葉は私にとってとても意外なもので、すぐには何も返せなかった。

 確かに、言われてみればそうだ。敵国の王女であったプレシラがこちらに強く味方する動機なんて存在しないはず。リーツェルの疑問はまっとうなものだ。不審に思うのもおかしなことではない。


「もしかして、怪しんでいるの?」

「逆にセルヴィア様は怪しいとは思われないんですの?」

「私は……そうね。プレシラ王女のことは悪くは思っていないわ。だって誤解が解けてからは優しいもの」


 プレシラの瞳から企みを感じ取ったことはない。

 できれば信じていたい。


「わたくしも不必要に敵対するつもりはありませんわ」

「良かった……」

「ただ、すぐに信じろと言われてもそれは無理なこと。そこはきちんと申し上げておきますわ」

「分かったわ。無理矢理信じろなんて言わない。だって、すぐに信じられないというのは普通だもの」


 すぐに信じてしまっている私が短絡的なのだろう……。


「そうでしたわ! セルヴィア様、こんな生産性のない会話より、サインの作業を!」

「あ。そうだったわね」


 もたもたしてはいられない。

 やるべきことはいくらでもあるのだから。



 その日の晩、ちょうど日が沈んだ頃に、私は王の間が片付いたことを聞いた。本来明後日に清掃完了の予定だったそうだが、少し早く清掃が済んだらしい。

 それは、明日には王の間へ戻れるという知らせだったのだ。

 王の間に帰ったからといって何かが変わるわけではない。いや、もちろん、暮らす場所は変わるのだけれど。ただ物理的に滞在する部屋が変わるだけであって、それ以外に大きな変化はない。


 だが、私にとって、それは喜ばしいことだった。


 懐かしいあの部屋へ戻ることができる——考えるだけで心が弾む。


 こんなことを口にしたら「馬鹿だ」と笑われるだろうか。きっと多くの人に「馬鹿げている」と思われるのだろう。


 正直自分でも思う。くだらないことで喜んでいる、と。


 でも嬉しいことは事実だ。感じ方なんてそう易々と変わりはしない。私は結局こんな人間なのだ。すぐには変えられないから、そこは諦めよう。


 ただ、そんな妙に呑気な私でも、多少不安に思うことはある。


 それは、ファンデンベルクが無事に帰ってくるだろうか、ということ。


 カンパニュラのこともリトナのことも信じている。二人ならきっと上手くやってくれるはず、と、信じて疑いはしない。


 だが、だからといって不安が湧いてこないわけではなかった。

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