episode.107 その瞳に迷いはない
もはやキャロレシアに反撃する術はない——そう考えつつ、オーディアスは王の間へ向かう。
プレシラはメルティアが逃げないよう様子を見張りながらも、父であり王でもある彼に同行することとなった。
たとえ、己がロクマティスの王女でも、ロクマティス王の悪行のすべてを見て見ぬふりすることはできない。そういう意思を抱いているプレシラには、考えがあった。それに関する根回しは既に始めているが、現時点ではまだ、完全に信頼できる者以外には知られてはならない。そして、もちろん、オーディアスに知られるわけにはいかない。もし仮に信頼できない誰かに知られてしまったとしても、王へ話が行くことだけは避けなくてはならないのだ。
オーディアスが王の間へ侵入。
ただ、その時既に王の間には誰もおらず、窓が開け放たれているだけたった。
床には微かな血痕が残っている。が、それが誰のものであるかなどはオーディアスには関係ない。彼にとっては、キャロレシアを己が手の内に入れたということのみが重要なのである。
開いた窓へ歩み寄り、彼は低い声で宣言する。
「ただいまより、この国をロクマティスの領土とする!」
窓から見下ろせる位置にいたロクマティスの兵たちが大きな歓声をあげた。響きわたるのはたくさんの声。それらは非常に力強く、付近に存在するすべてのものを揺らすかのよう。例えるなら、大型鳥の雄叫び。
「待って下さい! 何のおつもりですか! こんなこと、認められません!」
突如意見したのはメルティア。
直後、オーディアスはメルティアに突き刺すような視線を向けた。
「黙れ」
オーディアスが発したのはそれだけ。けれども、信じられないくらいの威圧感をまとっていた。もし子どもが今のような調子で物を言われたとしたら、きっと号泣したことだろう。ただ、メルティアは、それほど動揺していなかった。今になって凛としてきて、真剣な面持ちを崩さない。
「我が国は貴方がたの蛮行には屈しません。たとえ暴力で支配したとしても、長くは続かないでしょう。そんなものは一時的でしかありません」
メルティアは落ち着いた声で述べた。
「ほう……。なかなか言うな」
プレシラはその時、凛としているメルティアを、信じられない思いで見ていた。
キャロレシアの前王妃だからと馬鹿にしていたわけではない。小さい器だろうと思っていたわけでもない。ただ、オーディアスに直接意見を言えるような強さを持った人物だとは思っていなかったので、驚いているのだ。
身の自由を奪われ、敵に囲まれ、それでも意見を言えるのか。
それも、見るからに恐ろしい相手だというのに。
プレシラは素直にメルティアのことを尊敬した。そして、それと同時に、自分も自分の志を貫こうと改めて決意する。恐ろしい相手だからと言いなりになっておくことが正義ではないのだと、自分も信じる道を選ぼうと、強く心を決めた。
その間もずっと、オーディアスとメルティアは睨み合っている。
「ムーヴァー。あれを」
「いよいよですね?」
「準備して。頼むわ」
「はいっ」
プレシラの近くにいたムーヴァーは小さめの返事をしてから一旦王の間の外へ行く。
「面白い女だ、キャロレシアの前王妃。名は確か——」
「メルティアといいます」
今プレシラが一番欲しているもの、それは時間だ。
準備は既に開始された。だが一秒二秒ではどうにもならない。ある程度時間を稼がなくては、作戦の成功はない。
「そうか。王妃に相応しい女だ。……だが、偉大であるならなおさら、死んでもらわなくてはな」
「脅しは通用しません」
「幸いもう用済みだ。死んでもらって構わん」
オーディアスはゆっくりメルティアに歩み寄り、彼女の体を宙に持ち上げた。オーディアスにかかれば、女性一人など易々と持ち上げられる。ぬいぐるみを持ち上げるようなものだ。
「だから殺す、そう仰るのですね……」
「そういうことだ。理解が早くて助かる」
それからオーディアスはメルティアを窓の方へと連れてゆく。
もはやプレシラにできることはない。
「……窓から落とすつもり?」
窓の近くにメルティアの体を押し付ける。そしてオーディアスは懐に持っていた剣を取り出す。指先から肘の距離もないくらいの短さながら太さは顔の横幅以上あるような、奇妙なバランスの刃を持つ剣が煌めく。
「まさか。ここでまずは首を落とす、それが第一弾だ」
銀色の刃がメルティアの首に触れる。
「ではさらば!」
間に合わない——プレシラが諦めかけた、その時。
オーディアスの背中に三つ小さな穴が空いた。
「ぐっ……!?」
想定外の攻撃を背後から受けたオーディアス。目を見開きなら振り返る。彼は最初プレシラを疑ったようだった。しかし、何事もなかったかのように綺麗な立ち姿を保っているプレシラを見て、彼女ではないと理解したようだ。その後、オーディアスはついに攻撃してきた人物に気づく。
「リトナ……だと……?」
そう、彼の背中に穴を作ったのはリトナだったのだ。
「ちょっと姉様、これでホントに良かったわけ?」
リトナはやや不機嫌そうな調子で尋ねる。
その時ようやくプレシラの表情が緩んだ。
「えぇ。間に合って良かった」
「ふーん。ま、リトナ、後の姉様のことは知らないからー」
「いいわ、十分よ」
「そ? ふっふーん。リトナとーっても優秀でしょ?」
姉妹が会話している最中にムーヴァーが突進していく。目標はオーディアス。剣を手に、王に向かって駆けてゆく。
「ふざけるな! 貴様ら許さん! ロクマティス王女でありながらロクマティス王を裏切るか!!」
オーディアスは怒りを隠そうともしない。眉間や鼻に大量のしわを作るような表情で、怒りの感情を躊躇なく露わにしている。
「裏切り者は全員切り刻む!!」
もはやオーディアスは父親ではなかった。
娘たちに裏切られた彼は、悪魔でも憑いたかのような怒りと憎しみに満ちた顔つきをしている。
「お父様、ごめんなさい。私はもう……ついていくことはできない」
プレシラはついに本音を告げた。
その瞳に迷いはない。