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episode.105 料理

 少しばかり埃臭い部屋。一応手入れはされているようで、特に不衛生的ということはなさそうなのだが、見慣れていないからか少々しっくりこない。視界に入るものすべてが、逃げてきたのだ、と、真実を私に突きつける。もっとも、それも仕方のないことではあるのだけれど。


「退屈ですわね」

「えぇ……」


 私とリーツェルは一人で寝るには大きめなサイズのベッドに腰掛けつつ短い言葉を交わす。


 娯楽も希望もありはしない。ここに存在しているのは『生きられる』という細やかな幸福のみ。そして、その小さな幸福すら、いつまで握っていられるのかははっきりしない。いつか崩れ去る時が来るかもしれない。ただ、私はそれでも、小さな幸福に縋って生きてゆくしかない。


 皆の協力によって、この命は存在している。

 勝手に投げ捨てるようなことはできない。


「リーツェル、何かする?」

「何か、とは、何ですの……?」

「私もよく分からないわ」

「そうでしたの……。それは失礼致しました」


 今はまだ、私も彼女も、この新たな環境に慣れることができず戸惑っている。

 一日二日経てば少し慣れて落ち着いてくるだろうか。


「しかし……することがありませんわ。お茶をお淹れすることすら、今は……」


 リーツェルは体を縮めつつそんなことを言う。


 彼女は彼女なりに、この環境に慣れることができず、困っているのかもしれない。ただ、何とかしてあげたいと思うのだが、私の能力では出来ることは限られている。心をぱっと明るくするような術が使えたなら、どんなに良かっただろう。


「お茶はいいのよ。気にしないで。……それより、正直ファンデンベルクのことが気になるわ」

「あのような男のことを気になさる必要はありませんわ」

「いいえ、何と言われても心配よ。だって彼、何か思っていることがあっても、ひたすら我慢しそうだから……」


 なぜこんなことになってしまったのだろう。今でもそう思わずにはいられない。ついこの前まではある程度穏やかだったのに、いつの間にかこんなことになってしまった。それが辛い。与えられる仕事の量が多すぎたあの忙しい日々すら、今では恋しい。


「そうですわ! 係の者にお茶を淹れるよう伝えれば良いのではないですの!」

「きゅ、急ね……」

「もしかしたらいただけるかもしれませんわ。きっと試してみる価値はありますわよ」

「迷惑じゃないかしら」


 それでなくとも民を残して城から逃げてきたのだ、贅沢を言える身分ではない。


「心配ご無用! ですわよ!」

「そうかしら」

「そうですわ! ではお茶を淹れるよう伝えて参りますわね」


 リーツェルはベッドから立ち上がると、軽やかな足取りで扉の方へと歩み出す。その背中は小さいけれど、陰鬱な雰囲気をまとってはいなかった。それを感じ、少しばかり安堵する。


 不安は決して小さくないけれど、この感じであれば、二人で何とかやっていけそうだ。


 私は室内にぽつんと一人。賑やかさはない。ただ、時間が経つにつれて、段々この空間の空気が馴染んできたような気もする。


 これからどうなることやら。


 でも、取り敢えず生きよう。



「お食事の用意を開始して構わないでしょうか?」


 外が暗くなり始めた夕暮れ時、最初ここへ来た時に部屋まで案内してくれた女性が訪ねてきた。


「あ、はい。ありがとうございます」


 もう食事の時間か、と思うと、不思議な感じがした。


「承知致しました。それでは、ひとまず失礼致します」

「急ぎません」

「お気遣いに感謝致します」


 女性が出ていってから、近くにいるリーツェルと顔を見合わせる。私が先に「どんな食事かしらね」と述べると、リーツェルは「分かりませんわ。セルヴィア様のお口に合えば良いのですけれど……」と返してくれた。

 贅沢を言うつもりはない。それは食事に関してだってそうだ。ただ、口に合わないものが出てくるとあまり食べられない可能性がある。それゆえ、できれば口に合うものを出してもらえる方がありがたい。


「取り敢えず待つしかないわね」

「そうですわね」


 待つこと数十分。

 再び部屋に女性がやって来た。


「お待たせしました。二人分お持ちしました」


 女性は最下部にコマがついた簡易テーブルのようなものを押してきていた。ごろ、ごろ、ときごちない音が響く。ただ、そのテーブルの上に置かれている数品の料理は、とても美味しそうな見た目をしている。食欲をそそるビジュアルだ。


 きちんとリーツェルの分もあるようで安心した。

 本当は、ファンデンベルクもいてくれれば良かったのだけれど。


「美味しそう……!」


 簡易テーブルに乗っている料理の数々を見て、思わずそんなことを言ってしまう。

 私の反応が子どものようだったからか、運んできた女性は小さく笑っていた。


「こちらはパンとパンにつけていただける香りのある油となっております」


 女性は説明を始める。


「続きまして、こちらは前菜盛り合わせ。向かって右側より、根野菜のおひたしと魚介煮こごり、枝豆です。そしてこちらは、葉野菜に肉の塩漬けを軽く塩抜きしたものを入れてお作りした、胡椒風味ドレッシングがけサラダです」


 説明は意外にも長く続く。少しでも気を抜ければ、うっかり聞き逃してしまいそうだ。否、既に聞き逃している部分があるかもしれない。すべてをきちんと聞き取れているという自信は、正直あまりない。


「現時点での最後、こちらはコーンポタージュです。上にラディッシュのスライスをひときれ乗せております。続きは後ほどお持ち致します。それでは、これにて失礼致します」


 女性は一礼して退室していった。


「意外と豪華な食事ね」

「そうですわね! でも、その方が良いですわ。セルヴィア様のお食事ですもの」

「正直罪悪感……」

「今日はお疲れでしょう? とにかく食べた方が良いですわ!」


 前菜盛り合わせは、横長の皿に三品乗っている。同じ状態の皿が二つあるということは、リーツェルとは別々に食べる形で問題ないのだろう。


「ところでリーツェル、どっちの皿にする?」

「セルヴィア様がお選びになって」

「うーん……えっと……そうね。じゃあ、こっちにしようかしら」

「ではわたくしはこちらにしますわね」


 部屋の片隅に置かれていた小さめの椅子二つを、簡易テーブルの前へ移動させる。それから、各々希望の皿を自分の前へ持ってきて、いよいよ食事が開始される。

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