episode.103 強者
ロクマティス側の人間に銃口を向けられ始めてから、既に十分以上が経過した。
ファンデンベルクはいまだに怪しくないと認めてもらえていない。が、彼としてはそれでも良かった。なぜなら、彼の目的は怪しまれないことではなかったから。
「女王をどこへ隠した! 言え!」
男はファンデンベルクのことを少し恐れている。だからこそ、必要以上に強い調子で物を言う。騒がしい場所でもないのにうるさいくらい大きな声を放つのは、己の中の恐怖心を隠すため。
「……随分偉そうな尋ね方ではないですか」
「ぐっ……そ、そんなことはどうでもいいっ! 話を逸らすな!」
「いちいち大声を出さないでいただきたいものです」
「ま、また! 話を逸らすのはいい加減にしろっ!」
「何も意図的に隠すつもりはありません。真実を言いましょう——女王はまだ自室にいらっしゃいます」
完全な嘘である。
セルヴィアはとうに脱出した。今頃馬車で遠く離れた場所へ向かっているだろう。それを知っていながらも、ファンデンベルクは平気で嘘を口にする。
徹底的に調べられればいずれ嘘だとばれるだろう。
それでも彼は迷わない。
静かな瞳で、真剣な表情で、偽りの言葉を放つ。
「自室? それはどこにある。まさか、その扉の向こうか」
男はまだファンデンベルクに銃口を向けていた。しかし、引き金からは指を少しずらしている。今はまだ、即座に撃てる指の配置ではない。
当然、ファンデンベルクはその小さな変化に気づいている。
「申し訳ありませんが、それは存じ上げません」
漆黒のスーツを着たファンデンベルクの右肩には黒い鳥がちょこんと留まっている。鳥は銃口を向けている人物へ視線を向けているが、特別な動きはしない。ただ、その透明感のある瞳で、無礼な相手をじっと見つめていた。表情を読みづらいのは、ファンデンベルクも鳥も同様。
「何だと!? 知らないだと!? ならばその発言は真実とは受け取れない!」
男は声を荒々しくする。
いちいち大きな声を出すので、余裕がないのが丸バレである。
「……調べてみればいかがでしょう?」
「何だと」
「望まれるなら、協力して差し上げることもできます。役に立てるかは知りませんが」
「そうか。ふん。ならいいだろう……女王探しを手伝え!」
「構いませんよ。では、ここで、女王がいらっしゃいそうな場所をリストアップします」
男は眉を寄せた。
間違って渋みが強いものを食べてしまった子どもような顔つきになっている。
「待て。この部屋から動かないつもりか? おかしいだろう」
「何もおかしくありません」
「ふざけるな! ここから動かないというのは明らかにおかしいっ!」
まだ銃を手にしている彼は、自分に従わない人間が嫌いだった。口ごたえする者は全員潰してしまいたい、とさえ思っているような人物なのである。そんな彼にとって、ファンデンベルクの態度はどうしても耐え難いもので。彼は今、苛立ちを発散せずにはいられない心理状態になっている。銃を持つ手の指も引き金に戻っている。味方に落ち着くよう言われても、従える状態ではない。
「歩くのが嫌いなのです。そこはお許しを」
「意味が分からない! 許すものか!」
「では協力することはできなくなってしまいますがそれでも構わないでしょうか」
ファンデンベルクがあまりに落ち着きはらっているものだから、男は苛立ち、突然引き金を引いた。
「あの、さすがにやり過きで——え?」
銃弾が届くより早く、ファンデンベルクは動いていた。
彼が先に攻撃を仕掛けたのは男ではなく男の味方。比較的冷静さを保っている人物である。敵意を剥き出しにしていない者を優先的に目標としたのかもしれない。
「うっ……そ……」
銃を手にしている男ではない方の人間の胸に、ファンデンベルクは刃を突き立てた。
紅が宙に舞う。
予想していなかった飛散物を目にし、男は愕然とする。
急所に刃を突き立てられればもう何もできない。ただその場で崩れ落ちるのみ。それはもう生命をはらんだものではない。亡骸は何も宿らぬ人形と大差ない。
それまで好戦的だった男の全身が硬直するのを見逃さず、ファンデンベルクはターゲットを変更。躊躇いなく、銃を持つ男の方へと進んでゆく。
「くっ……来るなぁッ!!」
怯えたように叫びながら引き金を引く。が、その射撃はかなり乱雑。思考の乱れが意外な形で表出している。数発撃っても、ファンデンベルクに掠ったのは一発だけ。他は、虚しく宙を駆け抜けるのみだった。
直後、既に紅に染まっていた刃物が男の上半身に刺さる。
刺された衝撃で男は銃を落としてしまう。拾うには腕の長さが足りない。バランスを崩した男は何もなせぬまま床に倒れる。その体をファンデンベルクが押し潰す。否、厳密には潰してはいないのだが、男はもう動けはしない。上に乗られるとどうしようもないのだ。
「ぐっ、は……。クソ……このっ……」
「申し訳ありませんが死んでいただきます」
刃物を持ち上げて一度抜き、今度こそ胸を突き刺す。日常生活でも見かけることのあるような地味かつ平凡な刃物でも、刺されれば無事ではいられないというもの。男は死へと近づいてゆく。
「な、に……しや、が……」
男は結局、最後まで言葉を紡ぐことができなかった。言葉を発し終えるより先に息絶えてしまったのである。それでも、ファンデンベルクはすぐには動かない。瞳の一つさえ揺らさぬまま、押さえ込むような体勢を継続している。ファンデンベルクは慎重だ、すぐに絶命したとは判断しない。
それから数分が経過し、ファンデンベルクはようやく男の上から退いた。
室内に静けさが戻る。今や室内で生きているのはファンデンベルクだけだ。生命の僅かな光さえ、今の王の間にはほとんどない。
「すみません」
いつの間にか肩から離れていた鳥が、ファンデンベルクの肩へ戻ってくる。
「恨むなら、敵であったことを恨んで下さい」
ファンデンベルクも人を殺めて何も思わないわけではなかった。彼なりに思うところがあるようだった。が、その思いに押し潰されはしない。すべてを振り払って進むだけの覚悟が、彼の胸にはあったのだ。