episode.101 二人の王女、二人の再会
キャロレシア王族が、セルヴィアが、暮らしていた城——それが見下ろす城下町を、リトナは一人歩いていた。
今はもう拘束されていないから、行こうと思えばどこへでも行ける。密かに母国へ戻ることだって可能だ。彼女が母国へ帰ろうとしたとしても、それはある意味自然なこと。吹き抜ける風だって咎めはしないだろう。
だが、意外にも、リトナの胸に『ロクマティスへ帰る』という選択肢は存在していなかった。
「さーてっ。誰から仕留めよっかなー。……なーんて」
リトナは他者と会話している最中と欠片も違わないような調子で独り言を発する。大きさ、張り、軽やかさ———声のすべてが独り言とは思えぬようなものだ。独り言を聞かれたら恥ずかしい、という感情は、彼女の脳内には存在しないようだ。
翼の生えた靴でも履いているかのような足取りで、石の道を歩いてゆく。
人の気配はあまりない場所だが、道自体は舗装されているので、そこそこ歩きやすいはず。
「誰にも支配されないっ。誰にも命令されないー。これって、最高の——」
言いかけて、リトナは突如振り返る。直後、リトナの背中に向かって、少年の剣が振り下ろされた。だが彼女は遅れない。右の手に仕込まれた銃口を出すと、剣の刃部分を目標として発砲した。剣で襲いかかった少年は、反撃に驚き、一歩大きく後退する。
「ちょっと。何なわけ? いきなり喧嘩売ってくるとか、サイテー」
リトナは右手の銃口を露わにしたまま威嚇するような低めの声を放つ。
直後、剣を握っていた少年の表情が驚いたように変化した。
「えっ……リトナ王女!?」
少年は偶々散策していたムーヴァーだったのである。
「ふぅん。ロクマティス王女と知って手を出したわけ? ますますサイテー」
「あっ……す、すみませんっ! 失礼しましたっ!」
眉間にしわを寄せ不愉快そうな色を顔全体に滲ませるリトナを見て、ムーヴァーは焦ったようだ。急にあたふたし始める。声も動作もみるみるうちに落ち着きのないものに変わった。
「刺客かと思い……申し訳ありませんッ!!」
ムーヴァーはしまいに土下座を始める。
額を大量の汗が伝っていた。
「べつにそんな謝らなくていいけどー、リトナを刺客と勘違いするなんて、ひーどーいー」
リトナはムーヴァーが敵意を抱いていないことを察した。だから、引き続き交戦することを示すような態度は取らず、比較的寛容な接し方に変えている。もっとも、再び襲いかかってくるようであれば生命を絶つつもりでいるのだが。
「で、一体何者なわけ?」
「え? あっ、その……申し上げるほど偉大な人間では……」
「聞いてるんだけど!」
「え……」
「だーかーらー、偉大とか偉大でないとかは関係ないの! そんなことはどうでもいいの! リトナが質問してるんだから答えなさいよっ」
半ばキレかかっているリトナに圧倒され、ムーヴァーはすっかり萎縮してしまっていた——と、そこへ、一人の女性が現れた。
「ねぇムーヴァー、どこへ行って……って、リトナ!?」
現れたのは、リトナと同じブルーグレーの髪を持つプレシラ。
プレシラは愕然とした顔つきになり、その場に立ち尽くす。水晶のように透き通った瞳を震わせながら、リトナの姿をじっと見つめている。
「姉様!」
それまでは心なしか険しさが残った顔つきをしていたリトナだが、プレシラを目にした瞬間、僅かに頬が緩んだ。微笑むところまではいっていないけれど。
「本当にリトナなの……?」
プレシラはまだ「とても信じられない」とでも言いたげな顔をしている。が、一方で、嬉しそうでもあった。嬉しいことだからこそ、素直に信じるのが怖いのかもしれない。
「どうしてここに姉様が?」
プレシラとリトナが再会したことが他人事ながら嬉しかったのか、ムーヴァーも僅かに柔らかい顔つきになっている。
思わぬ形でも再会ではあるが、そんなことは重要ではないのだろう。
「お父様に同行して来たのよ。私も、彼も」
顔面に花を咲かせながらリトナに接近していくプレシラは、晴れやかな表情を浮かべている。
「ふーん。ま、どうでもいいけどー」
「リトナこそ、どうしてこんな人のいないところにいるの? 一人で出歩いて危険じゃない」
「……余計なお世話だしー」
「もう。リトナは相変わらずね」
プレシラが笑みをこぼしながら触れようとした、刹那、リトナは銃口のついた右手を向けた。
「気安く寄らないで、姉様」
「リトナ……!?」
ずっと大事に想っていた妹と、また再会できた。色々ある世の中で、生命が脅かされるようなことも少なくない中で、またこうして健康に出会えた。プレシラはそのことを何より喜んでいた。暗雲が立ち込めた道を歩いていたら光が差し込んできたみたいで。心の内側が明るくなってゆくのを感じていた。
だからこそ、プレシラは、リトナの行動に大きなショックを受けている。
「そんな! どうして!?」
「前とは違うから。仲良くできないかもしれない、ってわけー」
「……嘘よ。どうしてそんな……リトナ……」
リトナがプレシラに対して銃口を向けたのを目にし、ムーヴァーは焦ったように「プレシラ王女! 一旦後ろへ!」と言い放つ。だがプレシラは従わない。否、従う従わない以前に聞いていない。
「一応だけどー、キャロレシアに害を与えるやつは消すことにしてるからー」
「なっ……。リトナ! 何てことを言うの!」
プレシラは顔を硬直させた。
そんな姉に対し、リトナは静かに問いかける。
「姉様は正しいと思ってるの? ロクマティスが正義と信じてるわけ?」
静寂の中、風だけが空気を揺らす。
プレシラは問いかけにすぐには答えられない。
「……それは」
リトナは丸みを帯びた瞳でプレシラをじっと見つめる。心の奥まで見透かそうとしているかのように。だからだろうか、プレシラもなかなか答えを発することができずにいる。ただ、リトナも馬鹿ではないので、プレシラも何かしら思っているのだということには気づいていた。プレシラの複雑な心境を見抜いていたのだ。
「冗談冗談! べつに姉様を殺したりはしないから!」
「……リトナ」