episode.100 もうすぐ
王の間の扉の前で話していたカンパニュラとリトナのもとへ、一人の青年が駆けてくる。
青ざめたような不自然な色に顔面を染めながら。
「ほ、報告っ! あと一時間ほどでロクマティスの軍勢が到達する可能性!」
青年が放った言葉に、カンパニュラとリトナは奇妙なものを見たような顔をする。発言の内容をすぐには理解できなかったのだろう。ただ、二人とも青年の言葉を疑っているというわけではない。表情を少しばかり固くして、青年に視線を注いでいる。
「それは事実か?」
先に口を開いたのはカンパニュラの方だった。
「はい! 事実です!」
青年はまだ青い顔をしているが、発する声自体は元気そう。今の彼の状態は非常に歪だ。
「キャロレシア軍は何をしている」
「あ、あまり詳しくはないのですがっ……どうやら、敵が多過ぎるようでっ……」
青年が申し訳なさそうな表情で答えるのを聞き、カンパニュラは元々大きくない目を細める。
「……敵が多過ぎる、だと?」
リトナは初々しい色の唇を結んだまま、耳だけで話に参加している。特に何を口にするでもないが、話を聞いている者の目をしていることは間違いない。
「つ、つまりですねっ、いくつもの隊に分かれて来ているのです! 恐らく、本隊以外の対処で精一杯なんです!」
青年はその場でぴょこぴょこと跳ねながら事情を説明する。
しかしカンパニュラは呆れた顔をするだけ。
「なぜ本隊を優先して対処しないのか……」
「王妃がいらっしゃるからです!」
「……そういうことか。彼女を人質にしているということだな?」
刹那、しばらく黙り込んでいたリトナがついに口を開いた。
「何それ、性格悪ーい」
右手を腰の右側に当てつつ、リトナは低めの声を放つ。
「ロクマティスの王女が言っちゃ何だけど、サイテー」
彼女の顔には怒りの色が滲んでいた。
ロクマティスの人間であるリトナにとって、キャロレシアは敵国だ。だが、それでも、ロクマティスの行いを肯定することはできない様子であった。母国を正義と信じられず、本心を隠し黙っていられないのは、正直者ゆえか。
「珍しくまともなことを言っているな」
「言い方!」
「事実だろう。基本まともでないのだから」
「何よそれー」
リトナは一時的に頬を膨らませた。怒っていることを伝えるための演出なのだろう。だが、数秒で元通りの顔つきに戻り、腕組みをしながら「じゃ、行ってくるから!」と述べ歩き出す。それに対し、カンパニュラは、素早く「どこへ行くつもりだ」と尋ねた。リトナはそれを待っていたようで、滑らかな動作で振り返る。
「鬱陶しい輩を潰すの! 文句ないでしょ?」
リトナが発する声は軽やかかつ花のように可憐であった。
「待て。まだ何も命じていないが」
「命じられる気とかないから!」
急に鋭い言い方をしたリトナを見て、カンパニュラは戸惑っている。
「ま、そういうことだからー。リトナは好きなようにする! 迷惑かけないから、それでいいでしょ」
そう言ったのを最後に、リトナは歩き出した。今度こそ本当に進み始めている。先ほどとは違って、振り返りそうな雰囲気すらない。その背中に対し何か言おうとするカンパニュラだったが、結局、言葉を発することはできなかった。
「先ほどの件、女王陛下に伝えていただいても構わないですか?」
「分かった」
「では! よろしくお願いします!」
リトナが去り、青年も去って、カンパニュラは一人になる。
「さて。どう伝えれば良いものか」
カンパニュラは視線を僅かに上向ける。特にどこを見ているというわけでもない。視線を宙に泳がせながら、はぁ、と小さな溜め息をついていた。
◆
王の間の扉が開き、一瞬何事かと焦るが、入室してきたのはカンパニュラだった。
「失礼する」
「ついに脱出ですか!?」
リーツェルはまだ私の部屋で眠っている。今すぐ脱出しなくてはならない、となると、まず彼女を起こすことから始めなくてはならない。
「いや待て。焦り過ぎるな。だが、そろそろその時が来るかもしれん」
カンパニュラがそう述べると、ファンデンベルクが淡々とした調子で口を挟む。
「そろそろ、は、曖昧な表現ですね」
ファンデンベルクが出てくることは想定していなかったので、正直少し驚いた。でも、よくよく考えてみれば、近くにいるのだから何らおかしなことではない。
「厳密にはどの程度なのですか?」
「一時間ないくらい、だろうな」
「承知しました。では準備を開始します」
「その方が良い」
カンパニュラとファンデンベルクは勝手に話を進めていってしまう。そこに私が口を挟む隙はない。私の話であるはずなのに、私は蚊帳の外だ。
「えっと……じゃあ、私はリーツェルを起こしてくるわね」
「はい。よろしくお願い致します」
そんな風に言葉を交える私とファンデンベルクを見て、カンパニュラは奇妙なものを見るような顔をしていた。
もしかしたら、リーツェルが寝ているということが理解できなかったのかもしれない。
「いよいよその時が来てしまった……のですわね……!」
カンパニュラからの連絡を受け、リーツェルを速やかに起こした。寝る前は体調が悪そうだったリーツェルだが、一度寝て目覚めると、ある程度元気そうになっていた。彼女の身支度は案外速やかで。あっという間に完成した。
「リーツェル、王女を護って下さい」
「言われなくても、ですわ」
今はリーツェルが荷物をすべて持ってくれている。
本当は自分の分は自分で持とうと思っていたのだ。だから、最初に彼女が持とうとした時、私は一旦「自分で持つ」と述べた。しかしリーツェルは「持たせられない」と言って譲らなかった。その結果、リーツェルに持ってもらうことになった。
……こんなことを言ったら、言い訳みたいと思われてしまうかもしれないけれど。
「ファンデンベルク。貴方は本当にここに残るのね」
「はい」
「できれば……同行してほしいのだけれど」
「申し訳ありません。ですが、一度は別れようとも、きっといつかは追いつきますので。その時には、また、よろしくお願い致します」
そんなことを言われても。その言葉を躊躇いなく信じることはできない。ファンデンベルクのことを信頼していないわけではなくても、だ。