episode.99 彼女は眠っている ☆
あれから数時間が経ち、脱出用の荷物はおおよそまとめられてきた。いざ必要なものを集めるとなると、案外難しいものだ。しかも、一つの鞄にまとめなくてはならないから、なおさら難しい。山ほど持ってゆけるのなら、もう少し簡単に準備できたような気もする。
「おおよそまとまりましたかね」
「そうね。順調だわ」
リーツェルは私の自室のベッドに寝かせておいた。あの後も体調が悪そうだったから。精神的ストレスによる一時的な体調不良かと思っていたのだが、彼女の不調は予想以上に長引いている。そうは言っても、風邪のような症状はないのだけれど。
「この鞄なら王女でも持ち上げられますか?」
「持ってみるわ。……うーん、ふっ!」
ファンデンベルクの問いに答えるべく、私は、鞄の持ち手に両手をかけた。そして、気合を入れながら、一気に持ち上げる。鞄の底は勢いよく床から離れた。予想よりは軽い。
「持てるわ!」
よく分からないけれど嬉しくて、思わず明るい声を出してしまった。
今は何がどうなるか分からない状況。そんな時に明るい雰囲気になっていては、常識がないと思われてしまうかもしれない。こういうところも、気をつけなくてはならない点だ。
「なら良かった。もしかしたらご自分で持っていただくことになるかもしれませんので」
「そうね。私のものは私が持つわ」
誰かに頼って、誰かに甘えて、そんな風にして生きてゆけるほど世の中は甘くない。
私はもう気づき始めている。
「リーツェルには、王女をお護りするよう、きちんと伝えておきます。安心していて下さい」
彼女は多分まだ寝ている。しばらく起きそうにない感じだ。その証拠と言っては何だが、少し前に様子を見に行った時も彼女はぐっすり眠っていた。
「ありがとう。もしもの時には、私もリーツェルを護るわ」
「はい。しかし、どうか、命を落とされませんよう」
「ファンデンベルクも、よ。……しっかりしてちょうだいね」
こんなことを話すのは嬉しいことではない。こんな風に言葉を交わすというのは、危機が近づいていることを認めるようなものだから。できれば、見て見ぬ振りをしていたかった。ただ、見て見ぬ振りをするには、状況がもうあまりにも進み過ぎてしまっている。
「幸い、時間はまだあるようです。しばらくゆっくりしましょう。お茶でもお淹れします」
「優雅な生活をしていて怒られないかしら」
「その点は問題ないと思いますよ。貴女はそういう身分なのですから」
◆
その頃、王の間と外を隔てる扉の向こう側に立って見張りをしているカンパニュラに、会いに来た者がいた——リトナである。
自由奔放な彼女は、こんな状況であることを何とも思っていないような顔つきで、カンパニュラに話しかける。
「調子はどーうっ? おじさま?」
突如現れ妙に晴れやかな表情で絡んでくるリトナに、カンパニュラは嫌悪感混じりの視線を向ける。
「何だ、気色悪い」
カンパニュラの口から出たのは辛辣な言葉。
「乙女に対して気色悪いとかー。あり得なーい、サイッテー」
「厄介な絡み方してくる娘も最低だ」
「は!? ……ちょっと。何のつもり? 何その言い方!」
リトナは迷いなく噛み付く。
ただし、物理的にではなく、言語的に。
「せーっかく『協力してあげてもいい』って言おうと思ってたのに! ふんっ。もう力とか貸さないから! この国がどうなっても知らないから!」
凄まじい勢いで言葉を紡ぐリトナの表情は、どこか寂しげなようでもあった。
カンパニュラはそのことに気づいたようで、理解できない、とでも言いたげな顔をする。
「協力するつもりだったのか? この国に?」
城内はいつになく騒がしい。まだ戦場にはなっていないが、それでも、動き回る一人一人が落ち着かない雰囲気を放っているのだ。恐らく、誰もが平常心を保てていないのだろう。
「もう遅いからー。止めたからー」
リトナは食材を貯めたハムスターのように頬を膨らませている。
「随分甘いな、ロクマティス王女」
「その言い方は何なわけ? サイテー」
「だが、協力してもらえるのならば、協力してもらえた方がありがたい」
真剣な顔でカンパニュラが言うのを見て、リトナは目を開く。小さくなった瞳が震えている。また、その可憐な顔に浮かぶ表情も、固さのあるものに変化していた。
「……ちょっと、それはそれで怖いって」
「何を言っている?」
「ぶ、不気味だしー。いや、ホント、いきなり素直になるとか逆に怖いし……」
リトナは若干引いているようでもあった。
「で、何ができる?」
引かれていてもお構いなし。カンパニュラは静かな調子ながら話を進めていこうとする。今の彼は、リトナに協力してもらうということに関して、意外にも積極的であった。
「ちょっと! いきなりすぎ!」
「質問に答えろ」
「は!? 待ちなさいよ! その威張りぶりは何なわけっ!?」
落ち着かない空気ではあるが静かな城内に、リトナの高めの声が響く。
「確か、爪を飛ばす技だったか」
「……あぁもう、これだから話を聞かない輩って嫌いー」
「それと、手の銃もあったな」
「もーっ! ちょっと待ってってば! リトナまだ協力するって言いきってないしーっ」
リトナとカンパニュラの思考は上手く噛み合っていない。そのため、カンパニュラばかりが話を進めていくような妙なことになり、リトナは置いてけぼり。だが、もし何も知らない第三者が今の光景を目にしたとしたら、きっと、二人は仲良しと認識しただろう。
「対人戦、戦えるのか?」
「戦える! でも話を聞かない人のためには戦わないから!」
「私のために戦えとは言わん。王女のために戦え」
「えー、おかしーい。それに! セルヴィアさんはもう王女じゃないしっ」
カンパニュラがセルヴィアを『王女』と呼ぶのは、最初に出会った時にはまだセルヴィアが王女だったから。そして、セルヴィア王女、とよく聞いていたからだ。その頃から記憶が書き換えられていないため、今でも深い意味はないが『王女』と呼ぶことが多い。単にそれだけのことである。
【みてみんメンテナンス中のため画像は表示されません】
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リトナ、カンパニュラ シキ式様・画