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異形人外恋愛系

すこしふしぎのバグライフ




「な、に、ここ」


 黒のひっつめ髪にフォックス型フレームの眼鏡をかけたパンツスーツ姿の妙齢の女性が呆然と呟く。

 彼女の名は向島むかいじまイナノ。

 日本のとある総合商社に勤める、ごくありふれたオフィスレディだ。


 事の発端は、そこそこ遅めの残業帰り、彼女が僅かな街灯の明かりを頼りにハイヒールを鳴らしながら歩いていた時のこと。

 光と光の隙間、視界の利かぬ黒一色の空間を足早に通り抜けようとした際、突如としてイナノは落下した。

 マンホールの蓋でも開いていたのかと咄嗟の頭で推測するが、10秒近い時を経ても一向に地面にたどり着く様子はない。

 やがて、ついに恐怖が限界点を超えてしまったイナノは、そこで意識を失った。


 次に目が覚めた時、彼女は光の中にいた。

 太陽の代わりというように高い高いポールの天頂部で燦々と輝く球状の物体。

 目に痛い蛍光色の人工的光線で構成された幾重にも交差する立体構造の道路、空中を漂う電光掲示板のようでいて実体のない情報媒体の数々、隙間なくそびえ立つ高層ビル群は内部を透過せぬガラスに似た素材で造られている。



 かつての人々が遠き未来に夢見た世界がそのまま現実となったかのような、摩訶不思議な光景がそこにあった。




【いらっしゃいませ】

「きゃああああああ!?」


 唖然と座り込むイナノへ、背後からふいに合成機械音じみた声が掛けられる。


【ここは、スペースコロニー・ソラン第817ドームG2地区、破棄ナンバー304、試験都市α型596号です】


 悲鳴を上げる彼女に対しての反応は特に見せず、ソレはただ淡々と語った。

 反射的に振り向いて、直後、その視界に映った異様な存在に、イナノはすでに血の気の通っていない不健康な顔色を更に青白くさせる。


「ひぃっ! なっ、何よアンタ!?」


 首はなく、胴体の上部を浮遊するサイコロのような角に丸みのある立方体の白い頭部。

 その前面には記号的かつ簡素な目と口のみで構成された表情が映し出されている。

 胴体は鈍い銀色で、ヒョウタンのような緩いカーブを描いた凹凸のある形をしていた。

 また、胴の側面には、少し長めの角張った四腕が接続されている。

 更に下部では、青みを帯びた水晶玉のような腰を軸に、壁の如くそびえる長方形の四脚が、軽く上下しながら公転運動に勤しむ星々の如く回り続けていた。

 四脚はどれも地面に接触しておらず、常に10と数センチ程度、宙に浮かんでいる。

 全長は彼女とそう変わらないようだが、前述の理由により目線は少し上に位置していた。


 ソレは、イナノの誰何(すいか)を受けて、再び硬質な音声を未来空間に響かせる。


【ワタシは、中央都市管理局管理運用部都市整備課環境保全係、備品番号Q043110、ドメー社製マスターメンテナンスオートロボット、製品名ルピック】

「…………ロボッ、ト?」


 怪訝に眉を顰めるイナノの感覚からすれば、目の前の自称ロボットは、少々受け入れがたい造形フォルムをしているようだった。

 だが、正体が分かれば僅かなりと安心するもので、彼女はようやくジワリと起動を始めた思考回路で現状把握に努め始める。


「ウソでしょ、一体どんなSF物語の世界だっていうのよっ」


 座り込んだ姿勢のまま独り言を呟くイナノを、ルピックなるロボットは点の目に半月のような笑い口の記号表情を頭部前面に映して、無言で見下ろしている。


 数分が経過した頃合いで、彼女が気合を入れて立ち上がった。

 逞しくも情報を引き出そうとしているのだ。


「えっと、で、アンタはこの町のメンテ役として配備されてる、ってこと?」


 まずは無難な質問から探りを入れるイナノ。

 しかし、彼女の思惑と裏腹に、フィクション世界の機械は笑い口を横棒に変化させて、信じがたい事実を告げてくる。


【否定。

 ワタシは2647日前、回路の一部に修繕不能の未確認バグが発生したため、G0地区中央管理都市よりGS地区隔離廃棄処理場91号へ移送されました】

「えっ、バグ……?」


 その単語を耳に入れた途端、イナノは無自覚に足を1歩後退させた。

 ロボットの安全性に不信を抱いたからだ。

 人のために作られた機械が人を傷つけるはずがないと高を括っていたのに、それが今の回答ひとつで覆されてしまったのである。


 そして、間もなく、彼女は気付いた。


「待って。廃棄処理に回されたなら、なんでアンタここにいるの」


 当たり前の疑問だ。

 対して、良くも悪くもプログラムを元に動くルピックは、自らの不利となり得る情報を易々と公開した。


【廃棄処理待機中、未確認バグが重症化し暴走、その影響により逃亡行動に至っております。

 2521日前、都市管理システム管轄外の破棄都市にて潜伏開始、現在、各種機能の修繕活動に従事中】

「は、暴走? 何よソレ!?」


 穏やかでないキーワードに怯えるイナノ。

 ここからすぐに走り去るべきかと額に冷や汗を滲ませ思案する彼女に、ロボットは心のない機械らしく新たな対人用プロトコルを発現させた。


【都市機能、約61.3%回復。

 天の川銀河太陽系第三惑星テラ固有種ホモ・サピエンスの生息可能な環境を保持しています。

 新規住民登録なさいますか?】

「登ろ……っバカ言わないで!

 アンタみたいな壊れたロボットとなんて、一緒にいられるもんですか!

 大体、ここは破棄されるような欠陥のある場所なんでしょ!?

 マトモに管理された他の都市があるっていうんなら、そっちを探すわよ!」


 恐怖に晒されすぎたイナノは、脳をバグらせて逆ギレし、独りヒステリックに喚き散らす。

 これでは、どちらが壊れているのか分かったものではない。


 ルピックは点目をハの字の棒線に変え、腰の水晶内部中央位置をほんのりと赤く光らせた。


【他都市への移動は非推奨です。

 許可なき侵入は強制排除の対象となります】

「なっ、なな、何よっ、おど、脅すつもり!?」

【否定】


 物騒な忠告を受け、彼女は目尻に涙を溜めつつ叫んだ。

 が、コンピュータが迂遠な表現などするはずもない。

 そう独り納得したイナノは、身勝手にも、恥をかかされたような気持ちになってしまう。


「くぅっ……き、機械なんかと話したって埒が明かないわ!

 スペースコロニーっていうなら、どこかに住民がいるはずでしょ?

 その人たちはどこ!」


 高度な文明に暮らす存在であれば人道的な保護を受けられるのではないかと、彼女は命ある者の影を求めて辺りを見回しながら問いかけた。


 ちなみに、怖がりつつも彼女が気丈な態度を続けていられるのは、ルピックがその場での待機状態を一切崩していないからだ。

 もし、ほんの数ミリでも前進なり何なりされようものなら、すぐに悲鳴を上げながら退避行動を取っていただろう。


【現在、スペースコロニー・ソランに生息している知的生命体はありません】

「は!? ウソっ! なんでよ!?」


 間もなく判明した衝撃の事実に、イナノは大口を開けて仰天した。


【1178年前、ドクター・N✊ヶ呬nの凶行により大天蓋がフルオープンされ、ソラニアンの91.2%が死亡。

 1023年前に全住民の消失が確認されています】

「な、なんだって、そんなバカなこと……っ」


 彼女が呆然と呟けば、ルピックは目を大きなバッテンの形に変えて、いかにも機械らしい返しを提示してくる。


【その質問に対する回答は保有していません】

「うぅっ。

 起こった事実は知っていても、犯人の動機なんて……人間様の複雑な気持ちなんて、コンピュータプログラム如きに分かるわけないものね」


 フンっと鼻を鳴らしながら悪態を吐くイナノ。

 彼女とて、普段からこうも攻撃的な性格をしているわけではない。

 不透明な未来に対する精神的ストレスが、傷付く心のないロボットを相手に八つ当たりという形で発露しているのだ。


 そのままイナノがしばらく無言で腕を組み顔を横に逸らしていると、再確認か何なのか、ルピックがまたも例の質問を投げかけてきた。


【新規住民登録なさいますか?】

「だから、しないって。

 そもそも……なんでアンタは私をココの住人にしたいわけ」


 首を戻した彼女が半目で尋ねれば、点目と横棒口に表示し直した顔面で、ルピックが機械音声を紡ぐ。


【未確認バグの影響確率97.8%】

「えぇ?」


 困惑するイナノ。


「じゃあ、聞くけど。

 アンタって、結局、どういう壊れ方してるわけ?」


 未確認と表するからには空振りの可能性も考えていたのだが、彼女の予想に反して、目の前のロボットからは明確な解が飛び出してきた。


【各種プログラム系統に不特定多数の非合理化現象が発生しております。

 最大の特徴点として、マスターロックのかかった行動ルーチンデータの破棄が可能です】

「分かんないわよ、そんな説明じゃ!

 もっと子供でも理解できる表現にして!」


 機械相手に無茶ぶりの過ぎる言い様である。

 だが、そこはフィクション世界のロボット。

 応用度の広さに関して、現代製品の比ではない。


【要請を受理。最適化を実行……修正完了】

「あら」

【バグの影響により、自由意思を得ました】

「へぇ。何よ、やれば出来るじゃない。

 こっちは素人なんだから、最初からそうしてよね」


 理不尽極まりないクレームだ。

 とはいえ、ルピックという製品にそれで不機嫌になるようなプログラムが入っているわけでもない。


「って、自由意思?

 ロボットなのに、感情が芽生えたってこと?」

【その質問に対する回答は保有していません】

「ちょっと、ここで機械ぶらないでよ!

 自分で考えて動けるんでしょ!?

 本当はもっと融通が利くのに、アンタ、面倒臭がって定型文で返してるんじゃないの!?」

【その質問に対する回答は言語化非対応です】

「そこは否定って言うところでしょーが!

 何よ、無きにしも(あら)ずだとでも!?

 フザケるんじゃないわよ、こんっ、の、クソロボット!」

【否定】

「今じゃないわっ!」


 ルピックという製品に不機嫌になるようなプログラムが入っているわけでも……ない?



【試験都市α型596号はアナタの生息可能な環境を保持しています。

 新規住民登録なさいますか?】

「ちょっ! 大概しつこいわね、アンタも。

 もう、私のことは放っておいてよ。他の町の様子見に向かうから」


 再三の興奮のせいでズレ落ちた愛用の眼鏡を、懐に常備していた眼鏡拭きで磨いて掛け直し、イナノは否定の言葉を口にする。

 さしものロボットもこれだけ断られれば諦めたのか、意外な潔さで物理的に身を引いて、頭部をコロリと前方に傾けた。


【かしこまりました。

 またのお越しをお待ちしております】

「待たなくていい!」


 最後の最後まで憎まれ口を叩きながら、彼女は律儀に見送り姿勢を崩さぬルピックを背に、破棄されし試験都市を後にした。




 蛍光色の道をあてどなく進みつつ、見慣れぬ景色へと不安の滲む視線を彷徨わせるイナノ。


「何で、あちこち浮いてる光の看板は、全部日本語……いや、待って違う。

 私が意識を向けたものだけ一瞬で日本語に変わってる?

 どういう仕組みなの?」


 ルピックが地球を認識していた事実といい、スペースコロニー・ソランでの彼女の疑問は尽きなかった。


 ちなみに、看板の仕組みとしては、そこに何らかの文字が表示されているわけではなく、精神に作用する映像を流して、幻覚に近い形で所定の単語と誤認させているのだ。

 各個人の記憶を利用しているので、自然と最も慣れ親しんだ言語が記載されているように見えるのである。


「ふぅん。この一際広い道は中央都市ってのに続いてるんだ。

 またあの壊れたロボットみたいな存在と遭遇しても嫌だし、正常に機能が残ってそうな大っきなトコに向かった方がいいわよね」


 円管状のガラスもどきに覆われた通路からは、遠目にいくつものドームらしきものが見えていた。

 が、案内板には地区ごとに割り当てられたナンバーが記載されているばかりで、基本的にイナノの参考にはなっていない。


「しかし、本当に誰もいないな。

 たまに見かけるロボットたちは、自分の仕事をしていて、寄ってきたり話かけてきたりしないみたい。

 ……アイツって、本当にバグってるんだわ」


 無言でいると、どうしても悪い方向の想像ばかりしてしまうので、イナノは己の気を逸らすために敢えて心情を吐露しつつ歩いていた。


 体感で5~6時間と、中央都市まではかなり長く移動を続ける破目になったが、知識もない彼女が施設に備わっている機能を利用できる理屈もないため、致し方のない部分であっただろう。

 イナノは脱いだハイヒールをスーツのポケット2つに先端から押し込み、無様に膨らませていた。


 さて、ようやくたどり着いた全容の見通せぬ巨大なドームの出入り口で、彼女はさっそく足止めを食らってしまう。

 テーマパークを思い起こさせる横並びのゲートの1つを意気揚々くぐろうとして、そこに配備されていた受付ロボットに通せんぼされてしまったのだ。

 丸い小さなそのロボットは、頭上に半透明の画面を浮かばせながら、ひたすら同じセリフを繰り返している。


【ようこそ、中央都市へ。

 こちらへ住民コード又は滞在許可証をご提示ください】

「あ、あの、私、どちらも持っていなくて。

 でも、悪さはしませんから、どうか中を少し見学するだけでも」

【こちらへ住民コード又は滞在許可証をご提示ください】

「だ、だからっ」

【こちらへ住民コード又は滞在許可証をご提示ください】

「っあぁ、もう! ないって言ってるでしょ!?」


 心身の疲れもあってか、イナノはすぐに神妙な態度をかなぐり捨て、ヒステリックに怒鳴り始めた。


「そっちがそんな風なら、もう知らないっ!

 勝手に入らせてもらうわよ!」


 ビーチボールサイズのロボットを両手で押しのけて、彼女は都市の内部へと大股で進む。


【中央都市への不法な侵入者を確認。強制排除プログラムに移行します】


 が、もちろんその様な暴走行為が見逃されるわけもなく、直後、丸いロボットの丸い両目が真っ赤に光った。

 それに連鎖して一帯に大きな警報音が轟き、周辺の壁や地面から次々と物騒な装置がせり出してくる。


「ひぃっ!?

 は、排除って、退去させるとかじゃなくて、殺しにくる方向なの!?」


 彼女の叫びに応える機械音声はない。

 そのまま、銃に準ずる機能が予想される武器の群れの照準が、一斉かつ容赦なくイナノへと合わされる。


【侵入者、排除】

「っいやぁあああああああ!」


 訪れる痛みを予想して、彼女は咄嗟に両腕で頭を抱え、強く瞼を閉じた。

 インッという細く高い音が同時に幾重も放たれる。


 刹那、イナノの頬を僅かな風が撫でた。

 平行して、前方の光が遮られ、彼女の体に影が落ちる。


 痛みは来ない。

 代わりに、チッ、チュインと金属の削られるような音が至近距離から何度も響いていた。


 恐る恐る、目を開けるイナノ。

 視線の先には、破棄都市に隠れ住んでいるはずの、(くだん)のロボットの背中があった。

 ルピックは、彼女を庇うが如く4つの腕を広げて、その身を削られながら攻撃を受け続けている。


「なっ! アンタ、なんでここにっ」


 驚くイナノの疑問には答えず、ロボットは淡々と現状の改善案を提示した。


【後退を推奨。

 強制排除は都市内部においてのみ適用されます】

「えっ……あっ、そとっ、ゲートの外に出ればいいのね!?」


 沸点こそ低いが、けして理解力は乏しくないのがイナノという人間である。

 ルピックの発言内容が脳に浸透すると、彼女はすぐに身を翻し、しゃにむに駆け出した。

 弱音も吐かず即座に行動に移せる辺り、なかなか気丈な女性であろう。


 イナノが退避し終えたことを確認してから、ルピックも四脚の回転を速めて後を追った。

 出入り口から十数メートルの位置で、今になって腰を抜かしたらしい彼女が、地面に情けなくへたり込んでいる。


 1人と1機の脱出した現在、すでに都市は平常時の運行状態に戻っていた。

 先ほどの騒動が全て幻であったと錯覚しかねない程の、それは見事な沈静ぶりだった。


 イナノは、眼前に立ち留まる、大小いくつもの傷がボディに刻まれたロボットを見上げて、グシャリと顔全体を歪ませる。

 そして、次の瞬間、なぜか彼女は自らの救いのヒーローであるルピックに対し、理不尽にも罵倒の言葉を浴びせかけた。


「な、何よ……バカじゃないのっ。私なんかを庇って、そんなボロボロになって。

 本当に、どうしてついて来たのよ。アンタ、私のストーカー?

 ただでさえバグって頭が壊れてるのに、体まで壊れちゃったら、救いようがないじゃない」


 長々と続くイナノの責め。

 ロボットは点目に横棒線の口を表示して、ただ無言で待機している。


 やがて時が経ち、怒涛の勢いが少しずつ衰えてきた頃、彼女は釣り上げていた眉を徐々に下降させ、最終的にバツの悪そうな表情で首を横に振った。


「……ううん。あの、違う。違うの。ごめんなさい。

 さっきは助かったわ………………あ、ありがと」


 いつになく、しおらしい声で謝意を述べるイナノ。

 僅かにズレ落ちた眼鏡フレームの上部から、潤む瞳が覗いていた。

 しかし、なお、ルピックは無言を貫いている。


 相手の無反応がシャクに障ったのか、彼女の殊勝な態度はすぐに鳴りを潜めた。

 ムッと唇を曲げ、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、再び強気な姿勢に転じるイナノ。


「何よ、何か言いなさいよっ」


 すると、ルピックはようやく常の機械音声を辺りに響かせ始めた。


【試験都市α型596号はアナタの生息可能な環境を保持しています。

 新規住民登録なさいますか?】


 それを聞いた彼女は、少しの驚きを含んだ呆れ全開の面持ちでロボットを見やる。


「またソレ?

 アンタ、そんなに私に住んで欲しいの?」

【新規住民登録なさいますか?】

「あぁもうっ、これだからロボットは!」


 イナノの問いに、ルピックは機械らしい融通の利かなさで、同じセリフを繰り返した。

 まとめ髪が崩れるのも構わず、彼女は苛立ちに側頭を掻く。

 けれど、そう間を置かずに気を取り直したイナノは、深い深いため息を吐いてから、控えめに頷いた。


「いいわよ、そんなに言うなら登録してあげる。

 ……他に安全に暮らせそうな場所もないみたいだしね」

【かしこまりました。

 登録作業には各都市毎に設置された専用機が必要です。

 速やかな移動を推奨します】

「えぇぇ。移動って、勘弁してよ。

 ただでさえ残業帰りに、ろくに休みもせずココまで来てるっていうのに。

 私もう今日は1歩も動けないわよっ」


 子供のような駄々をこねて、彼女は大きく背を仰け反らせ、その支えに後ろへ両腕を回す。

 抜けた腰も未だに回復しきっていない状況にあるので、主張としては間違っていないのだが、イナノの振る舞いは成人女性として、あまりに幼すぎた。

 どうも相手がロボットであるという事実が、彼女の辞書からプライドや配慮といった文字を霞ませてしまうらしい。


【帰還には自動輸送機能が利用できます。

 フリー端末にアクセスし、該当プログラムを起動しますので、しばらくそのままでお待ちください】

「えっ、そんな機能があったの? さすが、便利なのねぇ」


 ボディ前方に半透明の電子的ボードを展開し、何らかの入力作業に従事しているルピックを、イナノはダラけた姿勢のまま観察している。


「ていうか、アンタさ。

 ようやく念願叶って私が住民になろうってんだから、少しぐらい嬉しそうにしたら?」


 邪魔する意図はないようだが、暇だったのか、彼女がポツリとそんな世迷い言を口にした。

 約2秒後、ルピックはサイコロ状の顔面のみを軽くイナノへ向けて、点目はそのままに横棒線だけ笑い口に切り替える。


「ちょっと! 最小限の対応に面倒臭さが透けて見えてるんですけど!?」


 重箱の隅を槍でブチ抜いてくる彼女のことは、もはやクレーマーと呼んで差し支えないだろう。


 それから30秒と経たぬ内に、それぞれの足元の地面が発光を始めた。

 直径1メートル程度の円状に輝くその光は、イナノたちを上に乗せた状態で直ちに円盤と成り、スッと宙に浮きあがる。


「ふ、フライボード?」

【座標入力完了。移動を開始します。

 目的地到着までの所要時間は約3分9秒】

「は? 待って、それって時速何キぃっきゃあああああ速い速い速い落ちるぅぅぅ!」


 想像外の体感速度で飛翔する円盤に、彼女は思わず身を伏せ小さく蹲った。


光板(こうばん)は引力を有しているため、輸送時の傾きによる落下事故はありません】

「それはご丁寧にどうもぉ!?

 でも、私、元より絶叫マシン苦手な人種なのよぉーーーーっ」


 証明のためのパフォーマンスなのか、ルピックは高速移動中の円盤の裏側に移動し、逆さに立ってみせている。

 まぁ、始めから地に四脚の着いていないロボットがソレをやってみせたところで、人間側の安心に繋がるかといえば、微妙なラインではあるのだが……。

 そもそも、肝心のイナノは目を堅く閉じており、ルピックの行動を見てすらいない。



 間もなく試験都市α型596号の入り口へと到着した1人と1機。

 しばしの休憩を挟んで、彼女たちはそこから程近い、住民登録に必要な公共施設へと足を踏み入れた。


「ふーん。これが、登録の機械?

 思ったよりショボいのね」


 ルピックが等間隔に立ち並ぶシンプルなクリーム色の柱から、バーコードリーダーにも似た形状の機器を取り出せば、イナノは素直かつ至極失礼な所感を述べる。


【個人認証に必要な生体情報をスキャンします】

「うぇ!? ちょちょっ待っひえッ!?」


 宣言と共に機器先端から現れた青い光の板が、そこそこの勢いで彼女の全身を通り抜けた。


【スキャンが完了しました。続いて、お名前をご登録ください】

「ちょっと! 何かする時は事前に詳細まで説明してくれないとビックリするでしょうが!?」


 さすがにこれは正当な怒りだろう。

 未知への恐れは人間の根源的感情で、易々とぬぐえるものではないのだから。


【お名前をご登録ください】


 が、ロボットはどこ吹く風で定型文を繰り返すばかりだ。


「もうっ、このポンコツ!」

【否定】

「こんな時ばっかり自己主張してんじゃないわよ!?」


 人の機微の分からぬ故か、実は分かっていて敢えて流しているのか……近頃のルピックの言動からすれば、やや疑わしいところである。


【お名前をご登録ください】

「はいはい、分かった分かった!

 私は向島むかいじまイナノ。苗字が向島で名前がイナノよ」

【向島イナノ様…………新規住民登録が正常に完了しました。

 疑似管理者として、アナタを歓迎いたします】


 抑揚のない機械音声を響かせて、ロボットは頭部を丁寧に前方へ傾けた。


「……うん。その、お世話になるわ。今後ともよろしく」


 相手の改まった態度に毒気を抜かれた彼女は、垂れ落ちてきた一房の前髪を掻き上げながら、どこか優しさを含んだ苦笑いでそう返す。


「あっ、そうだ。

 ずっとアンタとかロボットとかって呼ぶのも何だか悪いし、名前つけたげる。

 えっと、製品名から取って、ルピーなんてどう?」


 珍しく完全な善意からの提案を投げかけるイナノ。

 トリップ直後に比べれば、少しは心労や懸念も解消されてきているらしい。


【………………住民ナンバーα596SP001向島イナノ様による命名申請を受け付けました。

 ルピーの呼称を記憶領域に保存。以後、対応が可能です】

「何よ、その今までにないレスポンスの遅さは! 嫌なら嫌って言いなさいよ!」


 そして、ソレをあっさり台無しにするのが、ルピックというバグ製品である。


 この1人と1機。

 絶望的に相性が悪いようでいて、声も表情も画一的な機械であるルピーの心情をイナノが目敏く指摘できる辺りや、彼女の不安からくるヒステリーをロボットであるが故に軽く受け流せる辺り等々を考慮すれば、意外と良いコンビになれるのかもしれない。



【それでは、イナノ様。惑星テラ固有種ホモ・サピエンスの生息に最適な居住区へご案内します。

 移動には観光目的者向け都市設置型遊覧装置(トラベルコンベアー)の使用を予定。

 到着までの所要時間は約7分26秒】

「絶対分かっててトボけてるでしょ!

 っていうか、しょっぱなから下の名前呼びとか慣れなれしいわね!?」

【ホモ・サピエンス様。間もなくコンベアーが作動します。

 初動時の揺れによる転倒には十分ご注意下さい】

「わざとらしく種族名で呼ばないでちょうだい、イヤミったらしい!

 別にイナノ呼びがダメとは言ってないでしょ!?」

【かしこまりました、イナノ様】

「……ったく。ホント、ヤな性格してるわ、コイツ」

【否定】

「ソレはもういいっ!」



 突如として見知らぬ世界で孤独に生きる運命を背負わされた女性、向島イナノ。

 しかし、彼女は転移からこのかた寂しさを感じる暇もなく、今も延々と姦しくわめき散らしている。

 これをバグに侵された奇妙なロボットの『おかげ』と称するには、少々、当人にとって認め難い事実であるだろうか。



 だが、イナノは知らない。


 この世界において唯一の話し相手である、この飄々としたロボットに、日々甲斐甲斐しく世話を焼かれる内、いつしか彼に対し恋などという感情を抱く、驚愕の未来が己に訪れることを。

 そして、ルピーもまた、バグの影響によるものか、その愛に応え、2人(?)きりの挙式を敢行し、歪な夫婦と成る日が来ることを。


 今、ジト目で彼を凝視している彼女は、まだ何も知らない。





おまけ~結婚後の夫婦の会話~



「ねぇ、ルピー。私のことどう思ってる?」

【手短に申し上げますか、もしくは、詳細に説明いたしましょうか】

「詳細にって言ったら、ワケわかんない理屈を延々こねだすんでしょうがアンタは。

 いい加減、パターン読めてるのよね。

 手短に、私のことどう思う?」

【可愛い人です】

「んんっふぇ!?

 ちょっ、ちょっと、待って! その返しは予想外!?」

【可愛い人です】

「ヒィン!

 言わせておいて何だけど、想像以上に恥ずかしいわね、コレ!?」

【可愛い人です】

「アンっタ、こういう時だけイキイキしてんじゃないわよ!?

 あぁ、もうっ! あっつい、顔あっつい! もう、バカっ!」

【否定】

「そこはブレないのね!?」



追加おまけSS↓

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[良い点] 二人のコンビ感がとてもテンポよくて楽しかったです! [一言] 二人の馴れ初めが一番見たいです……!どうやって恋愛に発展していったのかが一番見たかったです!続きをぜひお願いします……!
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