第1章 第6部下
『そう、これは……不可能犯罪なのよ。』
『私の部屋の鍵はとても頑丈で、ピッキングなんてできるわけがないように作られているわ。私の部屋の合鍵を持っているのは信頼のおける私の友人だけ。彼女は私の部屋に入りこんでまんじゅうを勝手に食べるなんて意味不明な事をしないもの』
『もしかしたら何か私の部屋のドアにトリックが仕掛けられているのかもしれないと思って、私が部屋を出ていた時間帯に私の部屋の部屋の前を通った人をピックアップしているわ』
『まず…………っと』
「いや、ちょっと待ってください」
勝手に話を進められても困る。ここが異世界だと言うのなら、僕の常識が通用するとは限らないし、情景描写が足りなくて、状況が全く見えてこない。事件についていくら説明されても、中々呑み込めない。
「先に、その事件の現場を教えてください……」
僕は、自分の言葉使いに呆れてすらいた。「事件」だなんて……おまんじゅうが無くなっただけの事を、「事件」と言っても良いのか?
『そう! そうよ! 私は、それを今話そうと思っていたのよ! さすが探偵、鋭い!』
……いや、容疑者の説明をしようとしていたじゃないか。自分の発言には責任を持って欲しいものだ。彼女はどうやら、話に取り留めがないという事だけが一貫している。
話していてやりにくいこと、この上ない。
「鍵は、かかっていたんですね?」
『そうよ、さっき言ったじゃない、頑丈な鍵だって、』
『窓にも扉にも、鍵はかけていたわよ?』
『窓……はともかく、扉の鍵については証人もいるわ』
『さっきの話にも出した私の愛すべき友人、名前はミクって言うんだけど、彼女が私の部屋を訪れた時、インターホンを押しても出ないし、鍵も閉まっていたから会えなくて帰ったんだって』
証拠なんて、正直言えばどうでもいい。文章のみでのやりとりなのだから、いくらでも捏造できてしまうのだから。それに、どうしたって、僕の情報源はスズメだけなのだ、僕には彼女の言葉を信じる以外に選択肢なんて無い。
うん?
何だか、違和感を覚えた。
…………そういえば、『私の部屋』ってどういう意味なんだろう? スズメと、……その、ミクって人は同じ家に住んでいるってことか?
2世帯住宅? マンションってことか? あるいは、寮みたいなところに住んでいるんだろうか。
「スズメさんて、どこに住んでるんですか?」
『異世界研究会の主要メンバー、十人くらいで共同生活してるのよ。つまり、十人くらいで一緒に住んでいる。』
ああ、ようやく納得。
しかし、そうだとすると「窓」という情報は何なんだ? 窓の鍵は、かかっていてもいなくても、特に関係ないような気がするが……窓の外から盗むなんて、目立つなんてものじゃない。というか、そもそも不可能なのでは?
『私の部屋は三階にあるから、結構いい眺めなのよ。この世界にはあまり高層建築がないし、私達の家は高台にあるから、三階でも十分な高さなのよ。』
「……ってことは……窓の話をされてましたけど、窓から盗むのはそもそも無理なんですね?」
『うーん、まあ、多分無理ね』
ふむ……まあ、窓の話をしたのは、『密室』を際立てるためなんだろうな……まあ、べつにおまんじゅうがなくなったというだけの下らない事件なのだ、誇張が不謹慎に当たるわけでもないか。
あれ?
そういえば、この事件で盗まれたものを、僕は勝手におまんじゅうだけだと解釈していたけれど、それであっているのだろうか? おまんじゅうが、もっと大きなものを盗むためのカムフラージュということもあり得るんじゃないか?
「なくなったものは、本当におまんじゅうだけなんですか?」
『そうなのよ……』
そうなの、とは、どっちだよ。
『おまんじゅうだけしか失われていないことも、不気味さの原因なのよ。おまんじゅうを盗むためだけに私の留守に私の部屋に入るやつがいるなんて……考えただけでも恐ろしい』
「ありがとうございます、スズメさん。なんとなく状況がわかってきました」
『おお……さすが名探偵。理解力が高いのね』
いや……別に、僕の理解が正確かどうかは分からない。とにかく、なんとなくイメージはできたけれど、そのイメージが現実と合っていなかったとしてもそれは僕の責任じゃあない。スズメが説明できなかったのが悪いんだから……
とか、本人に言ったら僕は無事で済むとは思えない……僕の愛すべきMacBookをハッキングした、その技術力でどんな拷問をされるか……
そういえば、僕はこのチャット上でスズメのことを「スズメさん」とよんでいるけれど、これはどうなんだろう。彼女は僕を監禁している、悪いやつなんだから、もうちょっと強く出るべきかもしれない。呼び捨てにすべきかな……いや、それだとスズメと打ち解けたみたいになってしまう、駄目だ。
スズメは異常者だ、と思ってちょうどいい距離感で接することにしないと。
『さて、現場の説明はこれくらいでいいかしら?』
『次は……容疑者の説明に戻ってもいいかしら? ……この場合は容疑が確定していないから、容疑者じゃなくて被疑者と言うんだったかしら?』
『まあどっちでもいいわ。』
ふと僕は、なんだかわからない寒気に襲われた。
画面に浮かんでいるチャットの文字、それが僕をめがけて飛んでくるような感覚。この見慣れないUIに酔った、というわけでもない。きっと、スズメが僕の心を無視して話を強引に進めるからだ。
この、新しい環境を、僕はどうしても気持ち悪いと思ってしまう。
『まず第一の容疑者は、ミクね。事件のときに私の部屋の鍵が閉まっていたと供述したのはミクだけだから、自分に嫌疑がかからないようにそう言っただけかもしれないし……』
怖い、と思った。
さっきまでの会話がまるで嘘のように、僕の心に不安が広がる。まあ、さっきまでの会話だってあまりふざけたくなるような話題ではないけれど、でもこれは常軌を逸している。だって、さっき「愛すべき」といった自分の仲間を、「信頼の置ける」と言っていた自分の仲間を、第一の容疑者にしてしまうなんて。
おまんじゅうを盗むだけだから、そこまで言うことでは本来ないのかもしれないけれど、僕には彼女の言葉がことごとく気持ち悪く感じられた。
『さて、次の容疑者はね』
僕の気持ちを無視して話を続けようとするスズメよりも前に、僕は書く。
もうこれ以上彼女の頭のおかしい部分を見たくはなかった。早く終わらせてしまいたかった。
「一番可能性が高い容疑者の検討がまだ済んでいませんよ」