玻璃の器広がる模様 私の心のうち
キュシキュシと鬼が牙を研ぐよな音が、私の身の内から聴こえる。シンクに墜ち跳ねる細かな水飛沫、ジョボホボ……、流れる吸い込まれていくよな音。慌ててそれを止めた。
ムカムカとしている。イライラも……チクチクと胸痛み、頭がファンとしていて脳みそが、固まっている様、目が熱い、潤んでくる。わたしは貴方の何なのだろう……。
「コーヒーいれて」
在宅勤務となっている貴方、決まった時間にそう言う。きっと社内では、女子社員さん達にいれて貰っているのだろう。私もそうだったもの、お茶をいれて、と言われれば素直に運んでいた。不満は無かった。仕事の一貫だったから、お給料に入っていたもの。
いれて運ぶ……電話中、傍らに置いておく。
「冷めたのは要らない」
頃合いを見計らい下げに行くと、当たり前のように言われる。いれ直して、置かずに様子を見て行動をしてと。わたしは貴方の部下ではない。
気がついて。
「仕事最中に、掃除機や洗濯機や、台所とか……生活音立てない、商談していることもあるんだから」
ホームベーカリーや、ハンドミキサー、オーブンレンジのタイマー音、ミシンの音……、それらも気に触ると貴方は言う。壁が薄いのだもの、掃除機は早朝にはかけられない。洗濯機も……、朝は7時から使うように、夜も9時以降は駄目とマンションの規約にあるでしょ。
ここはオフィスでは無いの。深夜早朝に、プロのスタッフがお掃除されてるオフィスビルじゃないのよ。
気がついて。
壁一枚隔てた部屋で仕事をしている。なのでテレビを見ることも気が咎める。ウェブを使いたいけれど、動画サイトや投稿サイト、お料理サイト、無料マガジン読むのも気が引ける……。
だってキッチンに入って来た貴方の一言。
「誰とやり取りしてるの?」
してないけれど、丁度お昼ごはんのメニューを検索していたので、そう言うと、
「……、僕は仕事してるのに」
そう言われた。お昼のメニューを考えるのが大変なのだけど……、私独りならば残り物でも、おにぎりでも、パンと珈琲でもすむ。スーパーのお惣菜でもいい、ケーキを焼いてそれですますことも……。
どうにも息が詰まる。酸素が薄くなっている様。重苦しい時間はなかなか過ぎては行かない。子供がいたらと思うと……。どうなっていたのだろう私達。
気がついて。
「コーヒーまだ?」
バタン、とキッチンの扉が開き声だけ入ってきた。無言でケトルに水を入れた。専業主婦をしているのだから……、冷蔵庫の中身を考える。買い出しに行かないと……、食材が減るのが速い。
「また、これなの?」
そう言われる昼食の後、時間を見計らい外に出る。マスクをして……。まとめて買うので重い、なので本当は貴方にも付いて行ってもらいたい。
「お米は配達でしょ、何が重いの」
貴方は知らない、ジャガ芋、玉ねぎ、人参、キャベツ、大根、お醤油、牛乳、パスタにうどん玉……、それだけ買っても重いって事を。他にも買わなきゃいけない……
気がついて。
何もない時ならば、遠くから車の行き交う音が、高い空に広がる。しかし今は無い。
何も無い時ならば、紗に覆われ霞んでいる空が、今はクリアな色に戻りつつある。
何時もならば、細かな粒子が混ざるような空気が、雨上がりのように、汚れが落ち清々しい。
何時もならば、行き交う人がいる。ベビーカーのママさん達も、寄り添い歩く老夫婦も、ころころと弾ける様に笑いながら走っている子供達も、声が聞こえぬまばらな道。
大きく深呼吸をする。マスクの内側、しけった様な味が香りが口と鼻に広がる。空を見上げれば、再生硝子で創られたグラスの様な澄んだ色がある。
去年の夏、休日の公園のフリマで作家さんから買ったそれ。沖縄のシーグラスから創ったのですよ、と家族の貴方と並んで手に取り選んで買ったそれ。
シーグラス。人間が捨てたガラス瓶等が割れ、波に揉まれて丸く削られ、打ち上げられた大きいの、小さいの。新婚旅行で行ったね、拾って手にしたねと話した。
そんな事を思い出す。笑顔があった、会話もあった、数カ月前からそれらはゆるゆると消えて逝った。
気がついて。
気がついて。
気がついて。
心臓が痛む、熱せられ、赤い紅い朱い色した、とけたガラスが膨らんだ物に代わっている様。
「いいよね、何もしなくても良いんだから」
そう言われる度に冷えて、冷えて、冷えて固まっていくの。前にも時々に言われていたけれど……、朝から晩まで一緒に過ごす中で言われると、貴方が働いてくれてるおかげだからよ、笑って言えない。ありがとうございますって言えない。
気がついて。
気がついて。
気がついて。
私が居なくても暮らして行けるのかしら、洗濯機に入れたらそれで終わりと思っている貴方。干して畳む、シャツにアイロン迄、片付いていると思ってるのかしら。
私が居なくてもいいと思っているのかしら、ゴミ箱に入れただけで、その後は袋にまとめ、ごみステーション迄、行っていると思っているようね。
食べ終えたら、飲み終えたら、読み終えたら……勝手に片付いていると思っている。誰が、片付けているのかは見えていない。
「君は何もしないのか」
そう言っているもの。
食器棚にあるあのグラス、ピシピシとヒビ割れているよな模様が綺麗な、海の色のグラス。空の色を移しとった色のそれ。
「熱いものをいれないでください。割れてしまいます」
作家さんから言われた注意の言葉。
「またこれなの?」
昼食に言われる貴方の熱持つ言葉。
ジリジリと私の心を焼いていくの。ピシピシとヒビが大きくなるわ。
私の中で鬼が顔を見せた気がするのよね。
私の中に鬼が住んでいた事に気が付いた。
言葉は刃とは言うものだわ。短刀の様ね、貴方の言葉が突き刺さる。何気ない一言が。
「美味しくないよね。もっと考えてよ」
そりゃあ!家でオフィスワークしていたら、歩かないもの、通勤無いもの、お腹も以前程、空かないでしょうが!知ってるわよ、最近お肉が育っているってことに!
スーパーに辿り着いた。この時間なら空いている筈なのだけど、それほどでもなかった。
忘れない様に書いたメモを取り出す。今日は台所洗剤も買わなきゃ。お肉もお魚も……そして頼まれていたチョコレートやらガムやら、発砲酒、自分の物はコンビニに行け!それを見るとイライラしてくる。
そのうち言ってやるわ、絶対に言ってやるわ!きっと言ってやるわ!
「あら?スボンが苦しい?どうしてかしらね、貴方は家でもお仕事されてたのにね、太るはずはないわよね、なのにどうして腹に肉がついたのかしらね、スーツ買い換えるの、へぇ」
上から目線で言ってやるの。幸いにして私の体重は変わることは無い。きっとない。だって貴方と一緒だと何食べても美味しくないのだもの。
特売のパン、そしてペットボトルを一本、それはマイバッグの一番上に置いた。大きく重い袋を肩から下げる。空いた手には膨らんだ手提げタイプのエコバッグと、ティッシュペーパー。
う、重い……筋トレだわ。私は……貴方にはならない!
スーパーの前に置かれているベンチに座る。コンビニのイートインは閉じられているから。そこでパンとペットボトルの紅茶を
もぐもぐ、ゴクン。独り食べる3時のスィーツ、この時間になる様に出るのは、3時のコーヒーブレイクぐらい私が居ない時は、自分でしろと無言のアピール。
気がついて。
気がついて
気がついて。
割れたら終わりなのよ、貴女。
甘さが私に家に帰るまでのエネルギーを与えてくれた。