妹背エリの話その3
「じゅうぶんもらったさ…あんたたちのげんきなすがた…みせてもらったわ」
弱よわしく握り返してくれた手から力が抜けていく。
「ごめんねえり、そばでみまもって…あげ…ら」
力が完全に抜け落ちた。私の手からおかあさんの手が力なく落ちる。
ぬくもりも感じない。
「まって!まってよ!おかあさん!」
呼吸の音も聞こえない。
…いやでもわかる。母は死んだのだ。
人生という長い旅の終着点。
ただそれをむかえたのだ。
「うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ」
おかあさんはまだやり残したことがたくさんあるはずだ!
私は知っている!私たちと同じよう大切にしていた孫やひ孫の存在を。
遠くにいて会えないとぼやいていたことを
施設にお孫さんたちから電話がかかってきても、ろくに会話もできないのに気丈にふるまう姿を。
私たちとだって沢山の約束も思いでも全部ほおって旅立っちゃうなんてなっとくできないよ。
神様いるなら聞いて下さい。わたしの全部を上げます。だからおかあさんを、連れ戻してください。理不尽に対処できる力を私に下さい!
「いい子に育ちましたねエリ」
その言葉と共に私がまばゆい光に包まれた。
そして、私の横には女の子が立っていた。
金の髪をなびかせる翡翠色の瞳の少女、着物を着こなす彼女は、
「神様なのでしょうか?」
その姿に私は口を開いていた。
「いいえ、神様はあなたです、エリ。初めまして、いえ、また会えたわねって言ってもいいのでしょうか」
こんな状況なのになぞかけを少女はしてくる。神様はあたし?
「願いましょうエリ、あなたの望みは何?」
「私の望み…」
私は夢想した。施設の花壇の前で芍薬の花を前にお花見をする私たちの姿を。
私がいて、施設のみんながいて、職員さんもいて、
おかあさんの家族の皆さんもそろっていて、
車いすのおかあさんがその中心にいる姿を、
梅雨入り前の5月の休日、
前日はまさかの雨、芍薬が倒れないかなんて、施設内であわあわしちゃって
翌日には初めてみんなそろって、お孫さんにひ孫さん、勿論息子さんに娘さんも駆けつけてくれて、
ビニールシートなんて敷いちゃって、
大人はお酒を、私たち子供はジュースを、おかあさんはこれが一番おいしいのなんて言っちゃって甘酒を飲んでる。そんな風景を。
「素敵な光景ですね。その光景に私も追加でお願いいたします」
少女は微笑みを浮かべたのち、まくしたてる。
「その光景を強く念じてください。その光景は現実にあるものなのだと!おかあさんの生死も皆さんの都合も関係ありません。その光景は現実なのだと強く念じてください。思いが通じれば現実になります」
少女に言われるまま私は強く思いました。
柔らかな日差しの下、みんなの笑顔を。
「奇跡の代償はとても大きなものになります。エリ、あなたはその願いをかなえればもう人間ではなくなります。私たちのように夢を揺蕩うものになります。その覚悟はありますか?」
私はうなずいた。この夢想の現実を実現できるなら私はどうなっても構わない。
「覚悟は固いようですね。では私の手を握ってください」
彼女はおかあさんを挟んで私の対面に移動した。
彼女は右手でおかあさんの手を包み左手を私に向けた。
呼応するように右手でおかあさんの手を握り左手を彼女に差し出した。
「イメージしてください。あなたの理想の光景を、再現度が高ければ高いほど成功率は上がります。私を信じて頂けますか、エリ」
彼女は私を見つめてきた。
私は見つめ返し、うなずいた。
「目を閉じていてください。それでは参ります」
私は瞳を閉じた。
徐々に彼女とつないだ手に熱がこもってきた。
とても暑い、熱された鉄板以上の熱量だと思う。
しかし痛みはない。むしろ気持ちがいいくらいだ。
「………」
なにか彼女がつぶやいている。聞き取れないが、
祝詞のように、温かな気持ちがわいてくる。
やがて変化が訪れた。
冷たく硬くなっていたおかあさんの手には温もりがともり始めたのだ。
そして私の手を握り返してくれた。
「ああ、えり、なのかい?何が起こったんだい?私はさっきまで見渡す限り一面の花畑の中をかけまわっていたような?」
お母さんが口を開いた!肌の血色がよく呼吸も苦しそうじゃない!おかあさんが生き返った!
「お〝か〝あ〝さ〝ん〝!よかった!よかったよ!」
たまらなくなり私はおかあさんに抱き着いた。涙と鼻水で汚れた顔を押し付けて、
「まったく、しょうのない子ね。お母さんがいないとまだだめなのかい?」
「うん!うん!もう少しだけ一緒にいてください、おかあさん」
おかあさんは細い腕で腰に手をまわし、ポンポンしてくれた。
「もうひとりのエリにもお礼を言っておいてもらえるかしら?素敵な魔法をありがとうって、まだまだ生きるわよエリ、後悔なんてしたくないの、もちろん付き合ってくれるわよね」
グチャグチャな顔でおかあさんの胸元を汚し私は強く強くうなずいた。
けたたましいサイレンを鳴らして駆けつけた隊員も施設のみんなも驚愕していました。
衰えた肉体では昔のように歩けませんが、元気に会話し、好物の甘味をパクつきお茶で流し込む姿に。
それはそうでしょう、隊員の方もみんなもおかあさんは緊急を要する事態だと思っていたのですから。
その後病院で検査して貰った結果。なんと、ガン細胞がなくなり、内臓年齢も若返っていたそうです。肉体以外の内臓面は健康そのものの診断を受けました。
これには担当医も首を傾げ、現代の奇跡だ!なんて騒いでもいました。
まあ、魔法で直したなんて信じてもらえませんけどね。
現実は小説より奇なりです。真実は私たち三人だけ知っていればいいのです。
それからは本当に沢山の出来事がありました。
毎日笑顔が絶えませんでした。
余談ですが、施設の借金の件です、ある日、金の髪の少女こと六花がふわふわと出かけて行き、帰宅後にどこから調達したのか私が一生働いても稼げない額のお金を持ち帰ったのです。
おかあさんの奇跡の復活の話ですが一部のネット上で盛り上がりを見せていました。その中の誰かが施設の現状を知り、足長おじさんをしてくれたことにし、このお金を使って借金も全額返済でき問題はすべて解決したのでした。
何度か季節が巡り、葉桜が舞う5月の終わり、
そこにはいつか私が夢想した景色が広がっていました。
施設の花壇の前で芍薬の花を前にお花見をする私たちの姿があります。
私がいて、施設のみんながいて、職員さんもいて、
おかあさんの家族の皆さんもそろっていて、
車いすに乗る元気なおかあさんがその中心にいる姿が、
梅雨入り前の5月の最後の休日、
前日はまさかの雨、芍薬が倒れないかなんて、施設内であわあわしちゃって
翌日には初めてみんなそろって、お孫さんにひ孫さん、勿論、息子さんに娘さんも駆けつけてくれて、
ビニールシートなんて敷いちゃって、
大人はお酒を、私たち子供はジュースを、おかあさんはこれが一番おいしいのなんて言っちゃって甘酒を飲んでる。そんな風景が。
私は一人目頭を濡らしちゃって、六花とおかあさんにからかわれて、
泣き笑いを浮かべてみんなで騒ぎました。
翌日おかあさんが亡くなりました。
老衰からくる心不全でした。
おかあさんは最後まで笑っていました。
昨夜最後におかあさんは私に言いました。
「最高の時間をありがとうエリ、また明日ね、おやすみ」
私も「おやすみ、また明日」と返しました。
これが今年の五月の終わり、梅雨に入る前の最後の晴れた日の出来事でした。
ここまで読んでくださった方、稚拙な文章にお付き合いくださりありがとうございました。エリのその後の話は作者の別作品に載っています。が、主人公が違うので話のジャンルも違います。この部分の話だけまじめな感じになっていたので抜き出してみました。ではでは~