妹背エリのお話その2
さらに時間は流れエリは中学生になった。
幼少期は明るかった彼女も、小学校に通いだしてから次第に内気になり、心を閉ざし自分の世界に閉じこもりがちになっていった。
施設で育つ子には2パターンあるようだ。
逆境を乗り越え強くたくましく育つ子。
周囲に気を配り自発的な行動をなるべく控える子。
エリは後者だった。
とりわけエリへの逆風は強かったのだ。
学校でも、安らげるはずの施設までもがだ。
幼いながらにエリは悟ったのだ。
自分はいらない人間なのだ。人間以下のゴミ。リサイクルできるだけゴミの方が幾分かましなスクラップなのだと。
以降、彼女は口を閉ざした。
人間様に迷惑をかけないよう。
空気になるように全力で取り組むようになっていった。
そんな彼女を不憫に思う職員が一人いた。
施設長だ。
彼女は高齢ながら未だに現役で子供たちからも懐かれ、彼女の周りは笑顔が咲き乱れている。
彼女はエリを拾った本人だ。
彼女は知っていた。エリが不思議な力を使えることを。
エリが捨てられていた日は、ひどい夕立が施設をうちつけていた。
彼女はその日、子供の泣き声を聞いた。激しい豪雨でよく聞き取れないが確かに聞こえる。外からだ。
施設の子供が外に出たまま泣いているのではと思い急ぎ彼女は外に飛び出した。そして門の外に泣きじゃくる幼子を見つけ駆け寄った。
施設の子ではないようだ。雨にぬれ幼子が握っていたため、よれてしまっている茶封筒を受け取り中身を確認する。中には気持ちばかりのお金とこの子をお願いします。と滲んだインクで一言書かれた紙きれ、そして妹背エリと書かれたネームプレートが入っていた。
施設ではままあることだ。子供のゴミ捨て場と勘違いしている大人が多いようだ。
彼女は幼子の手を引き施設へと歩き始めた。
このとき彼女は気が付いた。
幼子が濡れていないことに。
長時間雨に打たれたのであろう茶封筒はグチョグチョなのに、
幼子だけが濡れていない?
こんなことあるのだろうか。
現に先程外に出た彼女もぐっちょり濡れている
しかし幼子は濡れていない。
不思議に思い幼子を見ていると理由が分かった。
雨は幼子に当たる前に、幼子の周囲の何もない空間に当たり、しぶきを立てていることに。
彼女は以降、幼子を、エリを観察し続けていた。
最初はその神秘性ゆえにだったが次第に変わっていった。
ほかの子供と同じ自分の子供のように思いだした。
彼女の活発な姿に、子供たちと遊ぶ姿に、あの笑顔に、
ほかの子たちと何が違うというのだ。
彼女も私の守るべき子供なのだ。
そして今日までエリはその力を使うことはなかった。
故に彼女は自分に残された時間を彼女のために使おうと決意した。
彼女は末期ガンだった。複数個所に転移し、治療は不可能。
現代医学では直せないとさじを投げられたのだ
彼女は思う、幼い頃のエリの優しさあふれる行動を、笑顔を、それを曇らせてしまったのはほかでもない自分たちの未熟さ故ではないかと。
施設の代表者として、エリの母親として彼女は残された時間を駆け出した。
また少し時間がたち、今日は施設長の誕生日だ。
彼女は次第に自室にこもる日が増えてきていた。
痛み止めは貰っていたが、あまり効果はなかった。
横になっていても背骨が床にあたり鈍く痛む。
どうやら骨にまで転移してしまったらしい。
あまり効かない痛み止めだが、飲まないよりはましだ。
起きている時間も意識はおぼろげだ。
こうなってくるとガンの進行が遅いこの老いた体に感謝しなければいけない。
最近エリがまた少し明るくなってきたのだ。
私との交流から始まり、施設内で無関心を決め込んでいた会話の輪に入っていったりし出しているのだ。
この大事な時期に私がいなくなってはいけない。
またエリがふさぎ込んでしまう。あの子には涙は似合わない。もういっぱい悲しみを味わったんだ。これからは笑っていなくちゃいけないんだ。
せめてエリが高校生になるまでは、もう少し大人になるまでは頑張らないと。
彼女は自分の体の限界を知りつつ気丈にふるまっていた。
施設は赤字経営で彼女の人柄だけで回していたようなものだった。
彼女が亡くなったら担保になっている施設は土地ごと業者に買い取られてしまう。
ゆえに彼女は一人痛みに今日も耐えるのだ。
職員たちはこのことを知っている。知らないのは子供たちだけだ。
しかし、エリはこの事実を偶然ながら知ってしまっている。
しかし、そのことを彼女は知らない。
エリは誕生日のプレゼントを持ち、施設の代表として彼女の部屋に向かっている。
今日は体調が良いのだがもう自室から出ることは彼女にとって負担でしかないのだ。
それほどに彼女は衰弱していた。
「おかあさん…」
エリは施設長室に向かう道すがら声を漏らしていた。
彼女と親しい子供は皆彼女のことを母と呼んでいる。
実の両親の記憶があるものないもの問わず、このことからも彼女の施設内での存在の大きさがうかがえる。
「私を置いていかないで…おかあさん」
エリの手には真っ赤なカーネーションの花束が握られていた。
子供たちで小遣いを出し合って買ったものだ。
少ない小遣いをためみんなでお金を出し合い購入したものだ。
お花の世話が大好きだった彼女を思いみんなで購入したものだ。
花壇の花々は施設長が動けなくなってからも子供たちが世話をしている。
花壇には芍薬が咲き乱れている。
施設長が好きな花の一つだった
エリも芍薬の花が好きだ。
思えば去年の今頃だったのだろうか。
ぼーっと、花壇の花を眺めているときに彼女から話しかけられたのは。
私は自分一人でも寂しくはなっかた。私はみんなとは違うから。
人間ではないのだから。
そんな考えは、彼女との触れ合いの中で氷塊の雪解けのように徐々に薄れていった。
子供のころまでとは言わないが、人を信じれるようになった。最初からこの人は私のことを笑ってる、蔑んでいるんだと。疑わないようになった。それでは私のこの見た目を忌みし、避けていった人たちと同じではないかと彼女は気が付かせてくれたのだ。
私はお母さんが大好きだ。
もっとずっと生きていてほしい。
みんなで笑って支えあって生活していきたい。
将来はおかあさんのような子供を導いていける大人になりたい。
だからおかあさん、私たちともっと一緒にいてほしい。
私、立派な大人になるからそばで見守っていてほしい。
かなわないと知りつつも思いはあふれ出す。
施設長室の前についた。
最後におかあさんと会話したのは1週間ほど前だ。
その時よりやつれていたらどうしよう。
不安になり弱気な自分が顔をのぞかせる。
そうじゃないでしょエリ!今日はおかあさんの誕生日なの。このカーネーションで私たちの感謝を伝えるのよ。
トントンと軽くノックする。返事はない。眠っているのかもしれない。
私は音をたてないように扉をスライドさせた。
室内は片づけられており簡素なベットが一つ置いてある。
病院の個室を連想させる。
お母さんは眠っていた。
薬があまり効いていないのか険しい表情を浮かべている。
しわだらけな顔。枝のように細い腕。土気色をしていて生気のない肌質。
おかあさんはもう限界なのかもしれない。
私たちのために頑張って生き続けていてくれているけど、もう限界なのかも知れない。
「おかあさん誕生日おめでとう。真っ赤なカーネーションだよ。とってもいい匂いがするよ。おかーさん。ねえ、聞いてる」
返答はない。音のしない呼吸音だけだ室内に響く。
私はおかあさんの手を取り両手で包み込んだ。
「おかーさん、わたしね、おかーさんみたいな大人になりたいんだ。私みたいに拗ねちゃってる子にさ、手を差し伸べる大人になりたいんだ。だからさ、おかーさん。私が大人になるまでそばで見守っててよ」
涙がひとりでに流れ出る。無茶なお願いだってわかってる。
いつ旅立ってもおかしくはないのだから。
「去年よりも芍薬が咲き誇ってるんだよ。おかあさん好きだったでしょ。私と一緒に見に行こうよ。窓からだって見えるよ。今が見ごろなんだよ」
返答はなかった。私の鼻をすする音が室内に響く。
そっとおかあさんの手をベットに戻し背を向ける。
「カーネーション飾らなきゃだよね。せっっかくのお花が台無しになっちゃうよね」
花瓶を手に私は部屋を出た。戦うおかあさんの前で今の顔でいたら失礼だ。流し台で花瓶に水を汲み顔も洗う。鏡には水滴をたらす笑顔の私が映っていた。
「ただ今おかあさん、水組んできたよ」
私は静かに部屋に入った。
おかあさんは眠っているままだった。
手早くカーネーションをさし、窓枠に飾った。
「綺麗でしょおかあさん。起きたら鑑賞してね。それじゃあ、そろそろ行くね。また来るよ、おかあさん」
退室しようと歩を進めると、
「ううぅー」
お母さんが胸を押さえて苦しみだした。
「おかあさん!!」
私は慌てて駆け寄った。
おかあさんは、「はぁー、はぁー」浅い呼吸を繰り返ている。
わたしはベットに備え付けてあるボタンを押した。
「おねがいはやくきて!おかあさんが!おかあさんが!」
ボタンはお世話になっていた病院への直通のナースコールだった。
救急車が到着までには20数分かかるだろう。
それまでおかあさんは持ってくれるのだろうか。
「えり、いるのかい」
弱よわしい声を息も絶え絶えに発し、必死に私に方へ手を上げようとするおかあさん。
「おかあさん聞こえる!私はここにいるよ!救急車も、もうすぐ来るから。頑張って!」
私はその手を握りこみ答えた。
「よかった、まだ…いたんだね」
浅い呼吸をを繰り返し、エリに語り掛ける。
「えりのことば…きこえてたわ、わたしもえりとみたかったわ…芍薬の…はな」
「うん!見ようよ今からでも!窓を開けるだけでいいんだよ!私たちが育てたんだからね!」
返答は浅い呼吸が返ってくるのみだった。
「おかあさん!おかあさん!」
「ごめんねえり…わたし…がんばったんだけど…もう…げん…かい、みたい」
皺くちゃな手から人肌の温もりがなくなっていく。
私は今にも折れそうな手を強く握りこむ。
「おかあさん!待って私たちまだおかあさんに何も恩返しできてない!死んじゃやだ!おかあさん!」