ラブストーリーは突然に。
土曜日、昼過ぎに遼也と家を出た。電車に乗って一駅、映画館はその駅前にある。
駅に着くまで、遼也とは一言も話さない。遼也は、大切なイベントだから、と歩きながらスマホを触ってゲームしている。
「危ないぞ」
「んん…」
聞いてないなこれは。健一は仕方なく、他の通行人の邪魔にならないよう、時折遼也の肩を掴んで引き寄せたり、立ち止まったりしながら駅へ行った。
「ここで待ってろよ」
「ん」
遼也を駅内の隅に待たせる。健一はICカードを持っているので、遼也の分だけ切符を買った。
「ほら、行くぞ」
「んー」
遼也を引っ張って改札を通り、ホームへ降りる。待合室に入ると、他にも人がいて椅子は一つしか空いていなかった。スマホしか見ていない遼也が邪魔になるだろう、と思い、
「ここ座っとけ」
「あんがと」
遼也を椅子に座らせ、健一はそばに立つ。電車が来るまで、あと何分だろうか。健一は腕時計に視線を落とす。6分か。映画を見たら、時間は夕方くらいになっているだろう。夕食は外で食べてもいいかもしれない。
そう考えているうちにホームに音楽が流れる。昔ヒットした、なんて曲名だったか。それを聞いて待合室の人達もホームに向かい出す。
「行くぞ」
「ん」
遼也の腕を引っ張り、電車がおそらく目の前で止まるだろうという位置に立って待つ。ガタンガタン、と向こうから電車がやってきた。
「乗るぞ」
「ん」
遼也を連れて電車に乗る、乗客はそう多くないが、座れる場所はなさそうだな。邪魔にならないところに2人で立つ。すると、
『あら!あなた、この前の…』
偶然、目の前に座っている高齢の女性が、健一に話しかけてきた。どこがで見たことがある。
『ほら、席を譲ってくださった。あのときはありがとうねぇ』
にこり、と微笑まれて、電車、席を譲った、という情報から思い出す。ああ、先月だったか、確か席を譲った女性だ。偽装結婚した日だから覚えている。
「いえ、とんでもないです」
高齢の女性は健一と、それから遼也を見つめて優しく笑う。
『素敵な夫さんね、お二人お似合いだわぁ』
偽装結婚ですけど、と言いたくなったが、場の空気がおかしくなりそうだったので、健一は愛想笑いをした。それから、
「僕にはもったいないほど、いい夫です」
と言って、横目で遼也を見ると、何気持ち悪いこと言ってんだ、みたいな顔をされた。お前今はスマホゲームしてろよ、なんで聞いてんだよ。横目のまま睨んだが、気づかないようだ。
目的の駅に着き、女性に一礼して電車を降りた。土曜日ということもあり、駅前は混雑している。ライフがなくなったので、遼也はスマホゲームをやめて、健一に自分の足でついていく。
「健一ってさぁ」
「ん?」
「ザ・お兄ちゃんって感じだよね」
「は?」
「面倒見がいいって言うか」
そうか?と健一は首を傾げる。その姿に遼也は、ぷっと吹き出した。
「自覚ないんだ?」
「あるわけねーだろ、そんなもん」
『…桃瀬くん?』
映画館の前、雑踏の中から聞き覚えのある嫌な声がした。声の方向に振り向くと、萬田と、萬田と仲良く手を繋いでいる萬田妻がいた。初めて萬田妻を見た、黒髪ロングの高そうな服を着ている。古臭い萬田が好きそうな女性だ。
『まさか偶然会うとはねー!映画見にきたんだろ!?』
「…こんにちは、チケット頂いたので、その節はありがとうございます」
てめーがチケット寄越すからだろ、と思ったが笑顔で挨拶をする。そして萬田にバレないよう、遼也と手を繋いだ。しかも恋人繋ぎだ。それは萬田に、萬田夫妻と同じくらいラブラブですよ、とアピールするためだ。遼也も察したのか、その手は離さなかった。
『あ、そっちは噂の一目惚れしたっていう旦那さんかな?』
目ざとく遼也を見つける。遼也は少し戸惑ったものの、この場にノって、
「いつも健一がお世話になっております」
とお辞儀をした。萬田はまるで品定めをするように、まじまじと遼也を見る。ううん、と少し不満そうに萬田が唸った。それから遼也の髪を見ながら、
『男で髪が長いってのはねぇ…どうなんだい?』
また要らないところでステレオを発揮するクソジジイだな、と健一はイラついた。遼也が触れて欲しくない髪の話題に、いきなり入り込んできたことにもイラついた。遼也もおそらく健一と同じように内心イラつき、突然の批判に戸惑っていることだろう。それでも健一の上司らしき人物だから、ええと、と言葉を言いあぐねているようだ。健一はイラつきを抑えて、笑顔で、それでも強めの口調で反論する。
「俺が、長髪好きなんで。伸ばしてくれてるんです」
するとすぐに萬田は笑顔になった。
『なんだ!そこも僕と一緒なんだね!僕も黒髪の長髪が好きで妻に伸ばしてもらってるんだよー!』
知らねーよ、とは言えないので、同じですねだの、奥様の髪素敵ですね、だの心にもないことを言っておく。萬田妻が、あなたそろそろ映画の時間よ、と会話を切ってくれて助かった。
『君たちも同じ時間だろ!ほら!間に合わないぞ!』
オメーが話しかけてきたんだろが。と仮に文句を言っても聞こえないだろう速さで、萬田夫妻は映画館へ入っていった。
「悪いな、頭が硬いんだよ、あいつ」
あいつ、とはもちろん萬田のことである。
「…大丈夫、てか長髪好きなの?知らなかった」
「いや、ショートカットの方が好き」
ふふふ、と遼也は小さく笑い、なんだそれ、と言って健一を見た。よかった、傷ついてないみたいだ。健一はそのことに安心した。変な上司のせいで、土曜日まで偽装結婚の延長に付き合ってもらい、そこで傷つけられちゃ気分は悪いだろう。
「さっきのに見られたら気まずいから、このままにしとく?」
恋人繋ぎした手を、遼也が指差す。
「そうだな、悪いな」
「こういうときはありがとうだよ、まぁガチャ2万な」
「おい、さりげなく値上げすんな」
手を繋いだまま、映画館に入った。萬田からもらったチケットと受付に出し、券をもらう。
「飲み物とかは?」
「んー、いらないかな」
「ん」
飲み物とポップコーンは買わずに、3番目のシアターに入る。席に座って、もしかしたら萬田が近くの席かもしれないので、手は繋いだまま映画を観るつもりだ。
時間になり、薄暗くなる。目の前の大きなスクリーンに、映像が映り始める。コッテコテのラブストーリーだ。健一は萬田に感想を言うため、真剣に見ざるを得ない。遼也は寝てるだろう、と隣を見ると、飽きもせず見ていた。意外と映画が好きなのだろうか。
無意識で繋いだ手の力を強めてしまった。それに反応して、遼也が何?と健一を見つめて首を傾げる。
何でもない、という意味で首を横に振ると、遼也はまたスクリーンに視線を戻した。
スクリーンでは男女が抱きしめ合っている。そして手を絡めて、恋人繋ぎをし、キスをした。
映画が終わって、外食することにした。遼也は、
「ファミレスで」
というので、ファミレスを目指すことにした。手はもう繋がなくても大丈夫だろう、萬田はファミレスに行くようなタイプではないし。と健一が手を離すと、
「また会うかもしれないし、繋いどけば?」
と、軽いノリで今度は遼也から手を繋いできた。まぁ100%会わないなんて保証はないし、と納得して、ついでに手を繋ぐことが不快ではなかったので、引き続き手を繋ぐ。
そういえば手を繋ぐなんていつ振りだろう。健一は過去を思い出す。まず、前付き合ってたのはいつだった?社会人になる前だったか…。
「あ!あのファミレスがいい」
なんて思い出す前に、遼也がいつのまにかスマホを取り出して、画面を見ながら言った。
「どこでもいいけど…」
「今あのファミレスとタイアップして、限定モンスターが配信されてんの」
「はぁ」
「ほら、早く入ろ!」
手をグイグイと引っ張られて、子供みたいな遼也に思わずクスッと笑ってしまった。
「モンスターは逃げないだろ」
「分かんないじゃん、ほらほら、早く!」
分かったよ、と2人でいい歳して小走りする。きっと周りから見ればバカップルに見えるだろう。それでも、今はその馬鹿さが心地良くて、息切れしたせいか、心臓が高く波打っていた。