2人の生活、始めました。
新居はリビングにキッチン、自室が2部屋があり、バストイレ別の南向きだ。会社から家賃補助も出るので、男2人が暮らすには充分な広さを借りることが出来た。
一緒に住み始めて健一は、なんて最高な暮らしなんだ、と感動していた。
遼也は婚活パーティーのときに言った通り、家事や炊事はすべてしてくれた。1日3食付き、部屋の掃除も健一が気にならない程度にされているし(もともと潔癖ではないため、適当がちょうどいい)何より、お互いの生活リズムが違うために、毎日顔を合わせないのが一番楽だ。
健一が朝起きて会社へ行く頃に遼也は起き出し、家事を済ませ、健一が帰ってくる頃には自室に引きこもってゲームをしている。
たまに健一が残業で遅くなったときや、遼也が深夜までゲームをし、一息つくために部屋から出てきて、リビングでばったり会うことはあっても、
「おかえり、お疲れさん」
「お疲れ」
の会話だけだった。業務連絡的なことはメールで完結するし、生活費もテーブルに置いておけばいつのまにか遼也が回収している。
愛でも友情でもない、利害だけの関係性なので、気まずくはないが興味もない。その中でお互いの条件を守りつつ、自然と顔を合わさない生活で、結婚というステータスは与えられる。健一にとってこの生活は、理想そのものだった。
3月、健一は正式にプロジェクトのメンバーに選ばれ、全メンバーとの顔合わせのために芙蓉グループのオフィスに来ていた。鮫島グループからも近く、徒歩で来れる距離だ。
会議室でメンバーが集まるまで、適当な席に座り、目の前に置かれたプロジェクト内容が書かれた資料を見る。
これが成功すれば出世…何としてでも成功させたい。
『桃瀬くん!』
テンション高い過激派愛妻家クソジジイか、と内心思いながらも、萬田に挨拶をする。
萬田はそんな健一の心の声など露知らず、健一の隣に腰掛ける。
「お疲れ様です」
『君と一緒に仕事が出来て嬉しいよ、やっぱり男は仕事でバリバリ稼いでこそだからね!』
ステレオタイプジジイ、も追加されたところで、メンバーが集まり、早速プロジェクトの話が始まった。
『では、プロジェクトの成功を祈って、この後の飲み会があるので、皆さん是非!参加してくださいね!』
司会役の企画部の人がそう締めくくって、プロジェクトの会議は終わった。
飲み会か、健一はあまり好きではないが、今後の付き合いを考えると参加した方が良いだろう。遼也に
"悪い、飲み会が入った。夕食いらない。もし作った後なら明日食べる"
とメールを送った。その様子をいやらしく萬田が横から見ていた。
『どうだね、結婚生活は?』
すれ違いばかりで顔も見てません、などと言うとめんどくさそうなので、
「萬田部長のように仲良くやってますよ」
と、嘘をついた。媚びに気づかない萬田は、満足そうに頷く。
『じゃあ、これ』
萬田がスーツのポケットから取り出したのは、映画のチケットだった。しかも2枚。健一は嫌な予感がした。
『知り合いにもらったんだけどね、僕はもう見たやつだから。この映画の女優さんがとにかく演技がうまくてね、妻も大好きでもう何回も見に行ってるんだよ!』
「…そうなんですか」
『是非!感想聞かせてね!』
受け取るだけのつもりだったが、感想を求められたら見に行くしかない。チケットには映画のタイトルが書かれている。あなたに今会いたい、とコッテコテのラブストーリーだろう。仕方ない、今週末にでも見に行くか。
自社へと戻り、仕事をしているとスマホが震えた。遼也からメールの返信だ。
"分かった"
先程の飲み会の返事だ。そのまま続けて、次の土曜日は映画に行かないか?と誘う。本当は一人で行っても良いのだが、先程の萬田の口調から、この映画を見るために、映画館へ何度も足を運んでいるようだった。もし鉢合わせにでもなったら、それはそれで面倒なことになりそうだからだ。
"めんどくさい"
返信はすぐに来た。
"ガチャ1万円分でどうだ"
"行く"
ゲームはよく分からないが、遼也がガチャというものに固執していることは分かったので、それを引き合いに出せば多少なんとかなることも分かっている。
ともかく、今度の土曜日は映画に行くことになってしまった。図らずもデートだ。デート、と言葉を頭の中で繰り返す。思わず鼻で笑ってしまった。健一と遼也、2人の間には絶対に存在しない言葉だ。映画は仕事の延長上のもの、そんな気分だった。遼也もおそらくガチャのためのもの、という位置付けだろう。
健一に言わせれば、クソだるい飲み会が終わり、帰路に着く。萬田はまたもや、男は酒に強くてなんぼ、というステレオを発揮し、健一は散々飲まされた。お陰で千鳥足だ。
家に帰って玄関に倒れこむ。床がひんやりしていて気持ちいい。全身が酒のせいで熱く、
「ああ〜…」
やる気のない無駄な声まで出てしまった。ペタペタと足音が聞こえる。遼也が近づいてきた音だ。
「寝るなら部屋行きなよ」
「あー…」
時刻は日付をとっくに跨いでいる。徹夜でオンラインゲームをしてたのだろう。
「だる…」
「ほら、立って」
3月とはいえ寒いんだから凍死するよ、なんてぐちぐち言いながら、遼也は健一の手を引っ張った。健一も動きたい意思はあるので、遼也の助けを借りて、よたよた歩き出す。
健一の部屋のベッドまで連れて行ってもらい、スーツを適当に脱ぎ散らかして、伊達眼鏡も床に捨てて、ベッドに潜り込む。
「…りょうや」
「ん?」
遼也は甲斐甲斐しく、スーツや眼鏡を片付けてくれた。
「ありがとう…」
「はいはい、どういたしまして。おやすみ」
「ん…」
結婚って、良いものだな。と馬鹿な考えが頭によぎったが、すぐに深い眠りへと落ちて行った。