最近のファストファッションはなんでもある。
週末、遼也の家を訪ねた。手には菓子折り、営業用の伊達眼鏡は外し、オフィスカジュアルのような服装で、顔は営業で鍛えられた笑顔を貼り付けて。
リビングに通されて、菓子折りを手渡し、お茶を飲みながら健一は自分のことを話した。
もちろん急な結婚になって申し訳ないこと、一目惚れしたこと、鮫島グループに勤めているので家計は心配ないことも、それとなく伝えた。
初めは緊張感で張り詰めていた空気も、健一のスマイル付き営業トークで、段々と和気あいあいになっていった。
突然の結婚も責められるかと思ったが、むしろ結婚に安堵している様子で、
『一人息子だから、ついつい甘やかしちゃうのよねぇ、だからこの子が高校卒業して、料理のね、専門学校に行く予定だったんだけど、』
「母さん、余計なことはいいから」
遼也はぴしゃりと母親の言葉を止めた。健一は少し気になったが、触れられたくないなら詮索はしないでおこう。と愛想笑いでその場はごまかした。
『ところで、遼也。お前が挨拶に行く時の服はあるのか?』
遼也の父親がそう言うと、そういえばないなぁ、といつも通りの、のらりくらりとした遼也に戻った。
『買いに行かなきゃ駄目じゃない』
「じゃ、今から行ってきていい?挨拶はもう済んだでしょ」
『お金はあるの?』
遼也がチラッと健一を見た。なんだか、この場から離れたい、というようなアイコンタクトを感じ取ったので、
「僕が出しますよ、挨拶に来て頂くんですし」
『あらそう、悪いわねぇ』
「いえ」
遼也は健一の手を取る。健一はどきりとした。それは恋的なものではなく、急に握られて、の驚きの方だ。そのまま引っ張られ、玄関まで連れて行かれる。
「今日はありがとうございました、挨拶という場で緊張してしまい…すみません。とても楽しかったです」
遼也がスニーカーを履いているうちに、両親への媚び売りもといお礼は忘れずに言って、健一も革靴を履いた。
こちらこそありがとう、息子をよろしく。と両親は笑って2人を見送った。
「ごめん、強引に連れ出して」
「いや…」
偽装結婚なのだから、あまり踏み込んだところまで聞いて欲しくないのだろう。健一は察し、気にしていない様子で、
「服、こだわりは?」
「ないから、テキトーに見繕ってよ」
「ん」
遼也のことだ、ちゃんとした服も数回しか着ないだろう。今日もTシャツにデニムというラフな格好だ。健一はそう踏んで、ファストファッションで適当に選ぶことにした。
店に着くまで、特に会話はなかった。気まずくはないが、お互い話すことはない。聞くこともない。
遼也が服に対して至極興味がなさそうだったので、健一は店内の試着室前に遼也を待たせて、自分が選ぶことにした。
堅くなりすぎないジャケットと、白の清潔感あるシャツ、あとはスキニーパンツで良いだろう。それと、スニーカーしか持っていなさそうなので、エナメルのかっちりとした靴。
サイズはとりあえずで選んで、着てもらってからまた選び直そう。
試着室前に戻ると、遼也はスマホでゲームをしていた。そして健一に気づくと、スマホをしまって服を受け取る。
試着室に入って数分後、遼也が出てきた。
引きこもりで肉がないのと、顔立ちも悪くないため、そこそこ様にはなってる、と健一は思った。
「サイズは?」
「ジャケット、ちょっとデカイかな」
確かに袖が余っている。あとは問題なさそうだが、どうにも遼也の髪が気になった。茶髪の一つ結びだ。短髪の方がこの服は似合うだろう。
「髪がな…」
「髪の毛はいいんだよ、これで」
また母親に言った時と同じように、強めの口調だ。健一はそれで、触れられたくないところか、と気付いてそれ以上は言わないことにした。
「じゃあ、ジャケットだけワンサイズ小さいので会計行ってもいいか?」
「あ、マジで買ってくれんの?」
「金あんのかよ」
「ない」
「ねーのかよ…まぁいいや、買ってくる」
「ありがと」
遼也は先ほどのラフな格好に戻り、またスマホゲームに戻る。健一はその間に会計を済ませた。
「買っといてだけど、うちの親、顔見れればいいって感じだから」
「そうなの?」
買った服を遼也に渡して、別れ際にそう伝える。健一の親は、健一が小さい頃から共働きでいなかったのもあり、どちらかと言えば放任主義だ。だから相手の服装がどうのなんて、そこまで気にしないだろう。
「だから、あんま気遣わなくていいから」
「分かった」
「物件も決まったし、引越しの準備だけしといて」
「了解」
じゃあな、と何の感情もなく別れる。お互い振り返ることもなく、歩き出して数分後には、別のことを考えていた。
また1週間が過ぎ、次の週末は健一の両親へ遼也が挨拶する番だった。
案の定、健一の両親はさっぱりしており、挨拶も短時間で終わった。お互い引越しの準備があるから、と挨拶後は別れ、お互いの家で過ごすことにした。
健一は自室で段ボールに荷物を詰めていく。すると部屋の前を優太が通った。外出する様子だったので、
「デートか?」
「ううん、ちょっと大学に」
「日曜に?」
「うん、卒論、教授に見てもらう予定なんだ」
「あー、もうそんな時期か…頑張れよ」
「ありがとう兄ちゃん、帰りはもしかしたらフットサルしてくるかもだから、遅いかも」
「はいはい、気をつけてな」
「うん、行ってきます」
優太は小学生からサッカーをしており、高校生のときには全国大会にも行ったほどだ。大学入ってからは特にサークルに所属せず、趣味の範囲でフットサルを時々している。お陰で生傷が絶えないようだが。
優太はもうすぐ大学三年生、出来る弟なので、単位はすでに取り終え、早々に卒論に取り組んでいるのだろう。就職先の希望はあるのだろうか。鮫島グループのインターンに誘ってみようか、などと頭の片隅で考えながら、片付けを進めていった。
片付けが終わったのは深夜になる頃だった。両親はすでに寝ており、優太はフットサル後の食事会で遅くなるらしい。
キッチンの明かりだけ点けて、冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップへ注いで飲む。偽装結婚とはいえ、家を出ていくことに、薄暗い空気感も相まって、少しだけしんみりとした気持ちになる。
かちゃり、と控えめに玄関のドアが開いた。優太が帰ってきたのだ。皆が寝ているから忍び足で入ってくる。そしてリビングにいた健一に驚いたようだ。
「ただいま、…まだ起きてたんだ」
こそこそと小声で聞かれたので、うん、とだけ返す。薄暗い中で見えた優太は、夢うつつのような顔をしていた。眠いのだろう、と健一は思い、
「はよ寝ろよ」
「うん、そうする」
お風呂は明日にでも入るよ、と言って通り過ぎる優太から、ほのかに石鹸の香りがした。はて、フットサル場にシャワー室なんてあっただろうか?と健一は不思議に思ったが、自身も眠たくなったので、深く考えず眠ることにした。