偽装でも結婚の段取りは面倒くさい。
無事、婚姻届を提出した。弟の優太には証人を書いてもらう際、遼也のことはサラリとは説明した。もちろん、共通の友人の紹介でビビッと一目惚れしたからサプライズ婚だ、と嘘を言った。優太は「そっか、おめでとう兄ちゃん」と優しく微笑んだが、頭のいい弟だ。おそらく何かしらの事情があったんだな、と汲み取って触れなかったのだろう。(なんせ日本一賢い人が集まる大学に通っているだけある。)
早速、業務連絡のために遼也にメールする。
"婚姻届、無事に受理された。あと出会いは婚活じゃなくて、共通の友人からの紹介で、俺がお前に一目惚れしたっていう話でいくから。"
すぐに遼也から返信は帰ってきた。
"おk"
「なんだ、おkって…」
悪い奴じゃないが自分とは正反対というか、違う世界に生きてる男だな。と健一は思った。
続けてメールを打つ。
"あと物件や指輪を探そうと思うけど希望は?"
これもまたすぐに返信が来た。
"WiFiがあって、出来たら自室が欲しい。あとは特にない。指輪も任せる、15号"
了解、と返事をしてから役所の前から歩き出す。駅へと向かう道には、自分と同じようなスーツ姿の人が多く行き交う。ふと通行人の左手を見る。指輪をしている。自分もたった今、同じ既婚者という人種になったのだ。偽装とはいえ結婚した。不思議な気持ちだ。
ちなみに一目惚れ、という設定は萬田に気に入られるためだ。あとは愛夫家のフリでもしておけば、プロジェクトに選ばれることは間違いなしだろう。
健一の頰は自然と緩んでいた。だが通り過ぎる人に、頭がおかしい奴、と思われないように時々咳き込むフリをして、口元を手で隠した。
まだ冷めぬ高揚感からか、夜風は寒くなかった。スマホで物件を探しつつ、ホームで電車を待つ。家賃は健一が支払うことになるので、安さも大切だが、機能面も下手にケチりたくない。バスとトイレは別で、日当たりがよく、あとは自室か…といくつかピックアップして、近々内見をすることにした。物件をスクショして、内見予約をネットで申し込む。そうしているうちに電車が来た。
ホームの暖かい待合室から人がぞろぞろ出てきて、健一の後ろに並ぶ。停車した電車から人が降りるのを待って、余裕を持って席に座れた。
なんだか濃い1日だった。
高揚感から解放されたら、ドッと疲れが出てきた。電車が動き始める。規則的な揺れに、うとうとしかける。だが二駅ほどなので、寝過ごしたくない。周りを見渡し、立っている高齢の女性を見つけて、
「よかったら席どうぞ」
と、声をかけた。女性は、でも、と少し遠慮がちな態度を見せた。健一は営業で鍛えられた愛想笑いを駆使しつつ、
「すぐ降りるので、それに僕、寝ちゃいそうなんで。よかったら」
女性は、ありがとう、と笑って席に座った。健一は適当なスペースに立ち、最寄駅に着くまで、ぼんやりと窓から外を眺めていた。
家に帰り、健一は両親に結婚したことを伝えた。最初は驚いていたものの、やはり25歳というところで心配していたのだろう、すぐに「よかったよかった」と喜んだ。その場に、すでに知っている優太もいたが、初めて知ったようなリアクションをして、自然と口裏を合わせてくれた。
近々挨拶するから、とだけ伝えて、晩ご飯とお風呂をささっと済ませて寝ることにした。
物件探し、指輪購入、挨拶、上司への報告や、それから…。
今後の予定が目白押しだ。頭の中で整理しているうちに、眠気へと誘われた。
『桃瀬、萬田部長から電話』
翌朝、会社へ行き、早速上司へ報告した。すると昼休み、芙蓉グループの営業部門の萬田部長から電話が掛かってきた。
俺に結婚させやがった奴だな、と健一は思いながら、はい、と内線を押して出る。
「お電話代わりました、営業部門の桃瀬で、」
す、を言い終わる前に、
『桃瀬くん!結婚したんだってね!いやー桃瀬くんの実力は前から聞いていてね、ほら次に始まるプロジェクトがあるだろう、あれに推薦しようと思っててね!それに、』
萬田がマシンガントークをテンション高くかます。健一は内心、うるせぇなと悪態をつきつつ、はい、はい、ありがとうございます、と返す。
『僕と同じ一目惚れなんだって!?親近感湧くなぁ桃瀬くんとは美味い酒が呑めそうだよ本当に!』
「是非、プロジェクトの成功を祈って飲みに行きましょう」
社交辞令も欠かさない。萬田は更にテンションが上がり、身の上話や妻との出会いなどを話し始める。健一は右から左に受け流しながら、はいはい、と相槌を適当に打つ。
そして散々話して満足したのか、
『じゃあまたプロジェクトで!楽しみにしてるよ!』
「ありがとうございます、こちらこそよろしくお願い致します」
昼休みをほぼ潰されたが、プロジェクト参加の確約は貰ったのだから良しとしよう。さて、残り15分で昼飯を食べてこよう。と、上司に一言言ってから早歩きで社員食堂へ向かう。
その道中、
『社長の息子さん、相変わらず綺麗よねぇ』
特に女性が多い人だかりの向こうに、社長の息子がいた。アメリカ人とのハーフで、高身長なのもあり、モデル顔負けのルックスだ。彫りが深い甘いタレ目、スッと通った鼻筋、薄い唇、明るめの茶髪は毛先だけゆるくパーマがかかっている。実際高級だが、どんな服を着ても彼が着れば高級品に見える。今は大学一年生で、将来は当たり前だが鮫島グループを継ぐ。そのために時々会社を訪れている。
健一はあまり興味がないので、スルーしたかったが食堂への最短ルートにいるものだから、仕方なく、それでもなるべく視界に入らないよう近くを歩く。
ぞくり、と健一に悪寒が走る。品定めされるような、鋭い視線を感じた。思わず、視線を感じた方を振り返る。そこには社長の息子しかいない。まさか、なぁ、社長の息子が一社員の俺を見るわけがない、と思ったら社長の息子とがっつり目が合った。
とりあえず立ち止まって礼をする。向こうも会釈をしたが、サイダー色の目は笑っていないように見えた。
「怖…」
健一は聞こえないように呟いて、足早に立ち去った。
今日も定時で上がり、指輪を買いに行くことにした。なんせ偽装結婚なのでこだわりも何もなく、会社から一番近い、という理由だけで選んだジュエリーショップに入った。
店員に説明を受けながらも、ダイヤも何も付いていないシンプルなシルバーリングを選ぶ。指のサイズを測り、遼也の分は15号で指輪をお願いする。
『文字は何か入れますか?』
「文字?」
『はい、指輪の内側に記念日ですとか…』
「ああ…」
しかし何か文字を入れたら、売るときに困るだろう。健一が結構です、と答えると、店員はやや「珍しい人だなぁ」という顔をしたが、かしこまりました。とすぐに業務に戻った。
『サイズ調節などで1ヶ月ほどお預かり致します、その間にも文字を何か入れたくなったらおっしゃってくださいね』
「はい」
支払いをクレジットカードで済ませて、店を出た。さて、不動産屋へ行こう。
内見が終わり、良い物件があったので契約も済ませた。遼也に、
"物件も指輪もオッケー。挨拶はいつ頃がいい?"
とメールを送る。またもやすぐに返事は来た。
"今週末"
分かった、と返信して、それなら今から手土産を買いに行くかとデパートへ向かうことにした。
鮫島グループが運営するデパートなので、社員証を見せれば何でも5%オフになる。営業先に持っていって、評判の良かった菓子折りを購入し、帰ろうかとデパートの1階へ行った。化粧品や香水、アクセサリーが売っているフロアだ。香水をつけない健一にとっては、このフロアの香りが少々鼻につく。
「兄ちゃん!」
少し離れたところから、聞き覚えのある声がした。優太だ。隣には彼女の…確か新川恵、だったか。デート中のようだった。
邪魔しちゃ悪いな、と思いながら声をかけられたので、側へいく。
「おう」
「買い物?」
「ああ、お前はデートか?」
こんにちは、と恵に挨拶する。恵はにっこり笑って、お辞儀を健一にした。茶髪のセミロングが肩からサラサラと落ちる。その瞬間、柑橘系の香りもした。香水だろうか。
「うん、そろそろ付き合って2年だから、プレゼント見に来てたんだ」
「そうか、帰るときはちゃんと彼女送ってやれよ」
「うん」
ありがとうございます、とはにかむ恵。優太とお似合いの、優しくて可愛らしい彼女だ。
じゃあな、と別れを告げてデパートを出る。ふと外から窓越しに、優太と恵みを見る。微笑み合っており、理想のカップルというような姿だった。