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接敵

 パトリア王国の新型ゴーレムを前方に認め、帝国軍は停止した。

 霧のような細かい雨が赤茶けた荒れ地に白いヴェールをかけている。

 銀色の鎧兜に槍を手にした女神像が、固唾を呑む帝国将兵に向かって恐るべき速さで接近してきた。

「ゴ、ゴーレムが走っている!?」

 小走りだが「ゴーレムは鈍重である」との常識が覆された驚愕の光景だった。

 帝国軍ゴーレムが止まって以来静まっていた荒れ地に、規則的な音が響く。

 新型ゴーレムが水しぶきを立てる音だ。

「地響きを立てないだと!?」

 ゴーレムとは大地を震撼させて歩くものだが、まるで宙を浮いているかのように地響きを立てずに走っている。

 そしてゴーレムが近づくにつれ前方より強い風が吹いてきた。


 微小な雨粒でも、強風で吹き付けられると視力を奪う。

 シノシュはゴーレム車の扉に身を隠した。ポケットのハンカチを探る。

「どうぞ、お使いなさい」

 政治将校のファナチがハンカチを差しだした。

(罠だ!)

 咄嗟に少年は口走る。

「ご厚意感謝いたします。ですが、政尉殿のハンカチを汚すまでもありません」

「構いません。あなたには良く見ていただきたい」

 これ以上の固辞は逆効果だ。

 シノシュは震える指でハンカチを受け取った。

 支給品とはまるで違う柔らかな布地で額から目を拭いた。

「来たあ!」

 前方で悲鳴をあげたのは、敗走した第七師団の兵か。

 さらに強まった向かい風とともに、霧雨が横殴りに襲って来た。

 アロガン師団長は舌打ちして車内に戻る。

 だがシノシュは、風に押される扉を支えて前方を見るしかなかった。

 政治将校に命じられた以上、死ぬまで続けねばならない。

 規則正しい水音が続く。

 程なくして前方からの圧力が減じた。

(風向きが変わった?)

 正面から吹き付けていた風は、やや左からになっている。

 シノシュはゴーレム車の風下側となった。

「ああ、くそ!」

 風上のアロガン将軍は毒づいて扉を閉めた。

 風が回り部隊の正面が見えるようになったが、新型ゴーレムの姿は無い。

 風上の位置に移動しているのだとシノシュは推測した。

(否、新型ゴーレムの移動に合わせて風向きを変えているのだ)

 グラン・シルフは征北軍にもいたが、能力に歴然たる差があった。

 風は真横から吹き付けだした。それは「新型ゴーレムが部隊の左側面に回った」ことを意味する。

(シルフを自在に使えるのだから、我が軍の布陣は分かっているはず。隙をうかがっているのか?)

 疑問の答えは左翼から聞こえてきた。

 兵の悲鳴と、それを叱る将校の怒声とが幾度となく響いてくる。

(ああ、兵の心を折る腹か)

 戦わずして兵力を減らせるのだから、策としては十分あり得る。

(今の征北軍に対しては下策だが)

 残り少ない食料を保たせる一番の方法は、兵を減らすことだ。

 末端の指揮官にとって兵の逃亡は大失点だが、軍の首脳には追い風となろう。

 風はさらに回り、後ろから吹いている。

 その追い風は、シノシュにとっても追い風になっていた。

 新型ゴーレムの――否、ルークス・レークタの能力が常識を超えるほど、敗北の責任が軽減される。

 天候さえ操る精霊使いなど前代未聞だ。

 少なくともシノシュは知らない。

 ならば今戦役が敗北に終わったとしても、部隊の責任は軽くなるはず。

 戦力の算定を誤った参謀本部の責任が重くなるから。

(上手くすれば、俺一人の命で済むかも)

 味方を恐れる少年は、敵に期待を寄せた。


 さらに風は回った。

 新型ゴーレムは征北軍の右側を、北へと走っているらしい。

 雨足が強まり水の礫がシノシュやゴーレム車に叩き付けられる。

 風向きが変わるたびに、部隊に動揺が走るのを少年は感じた。

 いつ強敵が突撃してくるか分からない。しかも姿が見えないのだ。

 自分の側からは来ないでくれ、と将兵が祈っているのは間違いない。

 その後新型ゴーレムは前方に戻り、また左へと回りこむ。

 夕刻、北へと走り去るまでに征北軍の周囲を二度も回った。

 それだけで新型ゴーレムは帰還したのだ。

 戦闘行動には出ず、ただ周囲を二周しただけで。


 風が止み小雨が降る路上でシノシュは周囲を確認していた。

 将兵たちには安堵以上に不安が見て取れた。

 敵の意図が分からないためだろう。

「敵の狙いは何でしょうね?」

 ゴーレム車内から政治将校のファナチが尋ねて来た。

 シノシュにとっては最後通牒も同然である。

 下手な回答をして無能を晒せばそれで終わり。

 かと言って、上手すぎる答えはさらに悪い結果をもたらす。

 そして時間をかける訳にもゆかない。

 少年は大きく息を吸った。

「正直、敵の狙いは計りかねます。事実として言えるのは『我が軍は半日近くも足止めされた』です」

「確かに。今夜はここで野営するしかありませんね」

 政治将校が満足そうにうなずくので、シノシュは内心で胸を撫で下ろした。

 どうにか今日も、家族の命を保てたのだ。

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