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第三章 二人だけの学校見学「2」

   2



「着いたぞ」

 校門の前に着くと、僕は夏生にそう言った。

 夏休みにも関わらず、校門では生徒や教師、来賓であろう車が忙しなく出入りしている。生徒は部活動か何かで、教師は相変わらず仕事で、来賓にいたっては何のためにきているのかまるでわからないが、普段授業がある日と比べると人の出入りは少ない。が、それでもこうして校門の人や車の出入りの様子を見ると、夏休みとは一体なんぞや、と思う。

 ――忙しい奴らだな。

 まあ、約一年前までは俺もその忙しい奴らのなかの一人だったのだと思うと、なんというか、複雑な気持ちになる。

 こんな暑いなかご苦労様です、と僕は校門を出入りする人たちと、そして自分を皮肉った。

 目的地の僕が通っている高校の校門まで辿り着くまでに九回も『視界の交換』をし、夏生の病室の天井のシミをみた。多分だが、シミの数を覚えることができたと思う。

「それで? なにがみたいんだ?」

 僕は夏生に尋ねた。

「君部活動とかやってる?」

 虚無感が一気に胸に広がる。

「いや、やってないよ」

「え? でも……」

「なんだよ、言いたいことがあるなら――」

「サッカー、やってなかった?」

 夏生は僕の言葉を遮って、触れてほしくない部分を突いた。

「なんで、知っているんだ?」

 僕は恐る恐る尋ねた。

「たまに屋上から眺めていたんだ。野球とか、サッカーとか。あ、あとソフトボールも校庭でやっているよね。私もやってみたいなって感じで」

「そうか」

「そのなかにサッカーをやっている君を見つけたことがあるの。サッカー、やっているんじゃないの?」

 再び夏生が僕に尋ねる。

「辞めたんだよ」

 もはや隠すこともないだろうと思い、僕は一言だけ言った。

 というか、

 ――なんでそんなこと覚えているんだよ。

「なんで?」

 案の定夏生は聞いてきたので、僕はそれに一切答えなかった。彼女も何かを察したのか、それ以上聞いてくることはなかった。

 とりあえず校門から校内に入ろうとしたとき、僕は思い出したように、

「そういえば校門、みたくないのか?」

 夏生に『視界の交換』の提案をした。

「え?」

 夏生が少し驚いたような声を出した。

「何かおかしいことでも言ったか?」

 俺は訝しく思いながら尋ねながら校名が彫られている表札を眺めた。

「いや、君から提案されるって初めてだから、ちょっと驚いた」

 そうだったっけ、と僕は自分の記憶を探ったが、確かに僕から提案したことはなかった。

「そうかい。それでどうするんだ? 見ておくか?」

「そうだね。折角だし、見てみたいな」

「わかった」

 視界が一瞬暗くなる。

 相変わらずところどころにシミのある天井が目に映る。

「どうだ?」

 俺は天井のシミの数が前回数えたときと同じかどうかを確かめながら夏生に校門の感想を尋ねた。

「うん! 学校は違うけど久しぶりって感じがする! こんなに近くで見るのは何年ぶりだろう!」

 予想通り、夏生ははしゃぎながら言った。何年ぶりだろう、という言葉で彼女が余命宣告されている病人だと改めて認識し、なんともいえない気持ちになった。

 僕はというと、天井のシミの数え間違いがないのを確認し、ふうと息を吐いた。

 病室の壁にクーラーを見つけた。けれど、涼しさを感じることはない。交換されているのは視界だけで、僕の身体は今炎天下にさらされている。反対に、夏生は涼しい思いをしながら見たいものを見ている。最初から好いていなかったが、僕のなかの彼女に対する好感度がまた下がった。

「あ! こっちにたくさんの人が走ってくるのが見える。みんな運動着を着てるよ。部活動かな?」

 どこかの運動部の連中がマラソンでもしているのだろう。

「そうだろうよ」

「あんなに頑張ってて、なんかかっこいいな」

「僕には馬鹿馬鹿しく思えるね。お前みたいに余命宣告されて涼しい病室で横になっていたほうがいい」

 俺は皮肉を込めて言った。相変わらず卑屈な自分にあきれた。

 それにしても、僕の性格は本当に変わってしまったな、とクーラーと天井を交互にぼんやりと眺めながら思った。一年前までは、こんなに卑屈じゃなかったのにな、と思った。

「あ!」

 突然夏生が声を上げた。その声量に僕は驚き、思わず電話口から耳を離した。

「どうした?」

「さっき走っている人たちがいるって言ったよね。その人たちがこっちをすごく見てくるの」

 夏生は少し遠慮がちに言った。

「どうするの?」

「そのまま無視してくれ」

 僕は深く息を吐きながら言った。

「視界は?」

「……戻すな」

 マラソンをしているのはきっと、サッカー部の連中だ。

 ――そりゃそうだよな。

 不登校になった元部員がだらしないジャージ姿で校門の前に突っ立っていたら僕も思わず見てしまうだろう。

 『視界の交換』をしているため連中が走っている姿を見ることはできないが、それは俺にとってはとても喜ばしいことだ。

 連中の掛け声が徐々に近くなっていくのを感じた。

 今、連中は僕の目の前にいるのだろうか。掛け声が大きく聞こえた。そして、それは徐々に遠くなっていく。

 幸か不幸か、どうやら連中が話しかけてくることはなかったようだ。

「あれでよかったの?」

 夏生が心配そうに俺に尋ねる。

「いいんだよ」

 僕は静かに言った。

「――そっか」

「それよりも、校門の様子はどうだ? あとは、運動部のマラソンの様子とかさ、どうだった?」

 僕は早口で夏生に尋ねた。

「――ねえ」

 夏生は僕の質問に答えずに言った。

「なんだ?」

「視界、一回戻していい?」

「ああ、わかった」

 訝しくは思ったが、夏生の提案を了承した。もう連中はいないだろう。

 僕が返事をしてからすぐ、視界が戻った。

「なんで、戻したんだ?」

「ちょっとね、やってみたいことがあるの」

「やってみたいこと? それってなんだ?」

「とりあえず、私の病室の方を向いて」

 俺は夏生に言われた通り彼女の病室に身体ごと視線を向けた。

 そこには、夏生がいた。まあ、彼女の病室だからいて当然なのだろうけれど、とにかく、僕の視線の先には窓を隔てて、彼女がいた。

「何を企んでるんだ?」

「いいから、ずっとそのまま私を見てて」

「ああ、わかった」

 僕は反論することをせず、それだけ言った。

 視界が一瞬暗くなる。

 ――え?

 視線の先には、だらしないジャージ姿の少年がいた。その少年は真っ直ぐ僕を、いや、夏生を見つめている。

 僕は夏生から、いや、僕から視線を外さずにたじろいだ。同時に目に映る俺もたじろぐ。

 これと似たようなことを、確か一昨日もした気がする。

 数分間、僕たちはお互いを、自分を見つ合った。

 やがて、視界は戻った。

「……なにが、したいんだよ」

 僕は心底うんざりといった口調で言った。それに対し、夏生は悪びれる様子を見せない。

 夏生が俺に向かって、ガラケーを持っていないほうの手を軽くあげ、自分はここにいるよとアピールする。そんなことしなくても、お前の居場所はこれからも変わらずずっとその病室だろ、と心の中で毒づいた。

「本当にさ、なにがしたいんだよ」

 苛立ちが増していく。

「なにが見えた?」

 夏生は静かに俺に尋ねた。

「は?」

「だからさ、なにが見えた?」

「なにって……」

 だらしないジャージ姿の少年が、俺がこっちを見つめたなんて、こんな滑稽な話がどこにあるだろうか。

「なんで僕にボクを見せたんだ?」

 その問いで僕は夏生からの質問に答えると同時に、僕自身の疑問を彼女に投げかけた。

 夏生は上げていた手をすっと下ろし、ガラケーを持つ手を左手から右手に変えた。

「――なんとなく、だよ」

 こっちとしてはいい迷惑だ。一昨日のことはテストということで仕方ないにしても、今回は違う。僕は夏生に学校を、校舎とか、グラウンドとか、そういうものを見せに来ただけなのだ。それなのに、なぜ彼女は『視界の交換』をし、俺に”俺”の姿を見せたのだろうか。

 僕は思う。

 おそらく、いや、確実に。なんとなくという運否天賦な言葉では決してない。

 さきほどのサッカー部の連中の視線から僕になにかを感じたのだろう。

 夏生は意図的に『視界の交換』をし、僕はそれにより客観的に自分の姿を見てしまった。そして、考えてしまったのだ。このままでいいのだろうか、と。

 今は夏生の願いを叶えるために仕方なく生きてはいる。だが、彼女の願いを叶い終えた後、僕は本当に死ねるのだろうか。楽になれるのだろうか。それが頭にこびりついて離れなかった。

 僕は追及することはしなかった。というより、できなかった。

 夏生の意図がなんであれ、今は彼女の願いを叶えることに余生を費やすことだけを考えていればいいのだ。それが終われば晴れて俺は楽になれるのだ。

 僕は頑なにその意思を曲げなかった。いや、曲げたくなかった。

「そっか」

 僕は一言だけ言った。そして、飛び降り自殺を決行しようと登校したときも同じ心境だったが、不登校のせいか、自分が通っている学校なのに、不法侵入しているような気持ちになりながら校門をくぐった。

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