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第二章 後悔をする理由「2」

   2



   ▽ ▽ ▽ 



 高校二年、季節は夏休みの終わり頃だった気がする。

「残念ですが、もう長くありません」

 医者が神妙な顔をしながら僕と父に病状を説明した。

 心の準備はできていたつもりだった。そのとき同席していた僕の父親もきっと覚悟していたのだとその時は思った。けれど、母が亡くなる三日前に父は何も告げずに家を出て、それきり帰ってくることはなかった。僕はそんな父を憎んだ。

 そして、母が亡くなる日。

「あの人は? あの人はどこ?」

 母は亡くなる直前まで自分の夫の姿を、愛する人の姿を探していた。けれど、その愛する人が病室のドアを開けることはない。

 医療ドラマでよく見る装置のピーピーという音の感覚が徐々に開いていく。

 そして、

「二人とも、愛しているわ」

 僕とその場にいない父に向かってと言い、静かに目を瞑った。

 ピーという音にもはや間隔などない。延々と病室内に響いている。

「ご臨終です」

 医者がそういうと看護師が母の顔に白い布をかぶせた。

「母さん! 母さん!」

 僕は母に縋り寄り、大声をあげて泣いた。

 昔、僕は近所のいじめっ子にいじめられたとき泣きながら家に帰ったことがあった。母はそんな俺を見るなり優しく抱きしめてくれた。だから今だって大声で泣けば母はまたあのときのように僕を優しく抱きしめてくれるだろうと思った。けれど、母は目を覚まさない。どんなに大声をあげて泣いても母が目を覚ますことはない。

 母は、死んだ。



 葬儀はすぐに執り行われた。

 父は、葬儀にも参列しなかった。

 葬儀の際、親戚たちはちらちらと僕の様子を窺いながら「かわいそうに」だとか、「酷い父親がいたもんだね」だとか、少し耳をすませば聞こえる距離で様々なこと無遠慮に言っていた。僕はそれを無視して告別式に臨み、葬儀が終わると誰よりも早く会場から出て、帰宅し、家の玄関を閉めると押さえていた感情が爆発したのか、その場に膝から崩れ落ちて、独り大粒の涙を流した。

「……母さん……」

 泣きながら母を呼んだ。

 家には、誰もいない。

 嗚咽するたびにその声が反響する。

 俺は反響する自分の泣き声を聞きながら立ち上がり、自室に入ってドアを閉め、ベッドに横になった。

 葬儀やら何やら、疲れていたのだろうか。そのまま眠ってしまった。

 あとから聞いた話だが、父は母が、自分の妻が病に伏せているというのに別の女のところに頻繁に通っていたそうだ。

 その話を聞いて僕が父を一層憎んだのは言うまでもない。



 さて、話はさかのぼるが、こんな僕を愛してくれた女の子が香織だった。彼女は少し天然で、それでいて可愛い子だった。

 僕は中学の頃から香織に片想いをしていたが、僕は人と話すのが(今でも)苦手で中学卒業まで結局告白どころか話をすることもできなかった。そして、僕らは同じ高校に入り、その年の夏の初め、僕は自分の気持ちに決着をつけるためにダメもとで告白をしたところ、なんと彼女も俺のことが好きだったらしい。

 当然僕らは付き合い始めたが、それと同時に母が病気で苦しんでいるのに自分は幸せになって良いのかと思うようになり、香織に対して辛辣な態度をとるなど、所謂病んだ状態が続いた。母が僕の幸せを望んでくれていることは充分にわかっていたし、僕もその気持ちに応えようとはしていた。けれど、母が亡くなり、父も失踪し、取り残されてしまった僕は自分の幸せが何なのか、それ以上に、自分が何なのかわからなくなってしまった。

 そんな僕を香織は懸命に励ましてくれた。けれど、その励ましが僕の心に届くことはなかった。

 家族を失ったショックから立ち直れず、香織の励ましの言葉を受け入れることができない。これでは彼女を傷つけてしまうだけなのではないかと考えた僕は別れを決意し、母が亡くなってから一週間後、僕は彼女の家に向かった。

「……香織を心配させたくない……傷つけたくない……俺にはお前と付き合う資格なんてないんだよ。だから、別れよう」

 香織の家の玄関前で、僕は彼女の顔を見ず、目を伏せながらそう言った。そして彼女の前から立ち去ろうとしたとき彼女は俺の手を泣きながら握ってくれた。

「……いかないで」

 このとき、僕は思った。

 こんなに愛してくれる子を僕は絶対に傷つけてしまうのだろうな。いや、もう既に傷つけているか。

 そう思い、握られた手をそっと振り払い、その場を去った。泣きながら、その場を去った。

 ――ごめん……本当に、ごめん……。

 最低だ。



 それからは数ヶ月、抜け殻のように生きた。

 続けていたサッカーも辞め、徐々に不登校になっていった。

 そんな僕には山崎誠という親友がいた。

 不登校になった僕のもとへほぼ毎日プリントを届けてくれたし、時には彼を家に上げて母のこと、香織のこと、胸の内を涙ながらに吐露したこともあった。

 そしてある日、誠がプリントを持って家へやってきた。

「そろそろ行こうぜ、学校。皆待ってる」

 そう言って誠はプリントを俺に渡した。

「……でも」

「俺はお前の事情を知っているから無理強いはできない。でも俺は、俺たちはまたお前とサッカーがしたいんだよ。だから学校へ行こうぜ」

 誠の熱弁に僕は折れ、その場で泣き崩れてしまった。

「なに泣いてるんだよ。そこは笑うところだろ?」

 誠が僕の背中をさする。

「……ありがとう……本当にありがとう……」

「何言ってるんだよ。友達だろ? いや、親友だろ?」

 わざわざ親友とまで言い換えてくれた誠の優しさに胸が熱くなり、いよいよ大粒の涙を流した。

「……本当に、ありがとう」

「いいって。ところでさ」

 誠がエナメルバッグからサッカーボールを取り出した。

「そこの公園で久しぶりにサッカーやらないか?」

 断る理由もないので、僕は運動用の服に着替え、数ヶ月も履いていなかったサッカーシューズを履いて、誠と一緒に外へ出た。そして近所の公園に着くと僕たちは軽く準備運動をし、二人でパス練習を始めた。

「遠くに蹴り過ぎだって」

 僕の蹴ったボールが誠を頭上を飛び越えていく。

「感覚が思い出せないんだよ」

 それでも何度かやっているうちに感覚を取り戻してきたらしく、スムーズにパスを通せるようになってきた。

「よし、じゃあ今度は間隔広めで思い切り蹴ってみないか?」

 僕は誠に提案した。

「そうだな。広い間隔にもなれておかないとだしな」

「じゃあいくぞ?」

「おう!」

 誠のOKサインを確認すると、僕は思い切りボールを蹴った。だが、あまり強く蹴り過ぎたのとコントロールを誤ったおかげでボールは意図せぬ方向に飛んでいった。当然誠はボールを追いかける。けれど、ボールのスピードのほうが速かったらしく、そのまま道路に転がっていってしまった。

 誠がボールを追いかけ道路に出た瞬間だった。

「危ない!」

 僕は声をあげたが、遅かった。

 一瞬のできごとだった。

 誠はトラックにはねられ、即死した。

 今でもその時の光景は鮮明に覚えている。

 アスファルトに広がる誠の大量の血液。

 けたたましく鳴り響く救急車のサイレン。

 誠の両親の泣き崩れる姿。

 誠の葬儀の際、トラックの運転手はひたすら僕や誠の両親に深々と頭を下げて泣きながら謝罪していたけれど、本来謝罪するべきなのは僕であって運転手の彼ではないのだ。

 ――僕が、殺したんです……。

 けれど、そんなこと言えるはずなかった。怒りと悲しみの矛先が自分に向くのが怖かったのだ。

 確かに物理的に誠を殺したのは運転手の彼だが、死ぬ要因を作ったのは他でもない、僕なのだ。

 僕は、穢い人間だ。

 このとき僕は悟った。俺は人を不幸にすることしかできないのだ、と。



 短期間のうちに二度も死に立ち会い、愛してくれた人を傷つけた僕はその後しばらく惰性に生きた。

 そして、母の死から約一年が経ったある日、自殺を決行した。けれど、それは未遂に終わったしまった。

 ――なあ、神様、いるなら答えてくれよ……どうして僕は失うことしかできないんだ。

 今まで多くのもの失ってきた僕だというのに、自分だけは命は失うことができない。

 ――こんな皮肉、あってたまるか。

 僕は、生まれてきたことを後悔した。



   △ △ △



 スマートフォンの着信音がけたたましく鳴り響いて我に返った。マナーモードにしていなかった自分に舌打ちした。

「なんだよ」

 僕は夏生に泣いていたことを悟られぬように、努めて冷静に電話をとった。けれど、

「泣いていたでしょ?」

「……別に、泣いてなんか――」

「病院の窓、見てみて」

 言われたとおり病院の窓を見ると、そこには携帯を耳に当てながら夏生がこちらを窓越しにじっと見つめていた。その表情は、僕が自殺を決行したときと同じ顔をしていた。

 ――なんでお前がそんな顔するんだよ。

「悪趣味だな」

「それで、泣いてたでしょ?」

「だから泣いてないって」

 僕がそう言うと同時に視界が一瞬暗くなった。

 ――ああ、あの野郎。

「やっぱり泣いてるじゃない。目が霞んでるよ」

「お前には関係ないだろ」

「でも――」

「余命を宣告されている死に損ないに僕の気持ちなんてわかるわけないだろ」

 しつこい夏生に嫌気がさし、僕は暴言を吐いた。死に損ないは、僕のほうなのに。

「確かに、そうかもね」

「お前は自分のことだけ考えていればいいんだよ。叶えたい願いがあるんだろ? それを叶えてさっさと死んだらいいだろ。それに、お前との契約が切れれば僕も死ねるんだし」

 夏生の言葉に腹が立った僕は思っていることを羅列した。それに対して返答は返ってこない。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた僕は「もう切るぞ?」と電話を切ろうとした。しかし、

「ねえ」

 夏生が僕に問いかけてきた。

「なんだよ」

 僕は若干驚きながらも夏生の返答を迎える準備をした。

 夏生は深く深呼吸をした後、やがて言葉を発した。

「私達、同じなんだよ」

「同じ、って――」

「私達は似てるんだよ。言い方悪いかもしれないけど、生きる死体っていうのかな」

 返す言葉が見つからないことが悔しくてたまらなかった。

「とりあえず、明日の学校楽しみにしてるね」

 夏生はそういうとすぐに電話を切った。

 無機質なツーツーという音が聞こえるだけだった。

 ――……暑いな。

 僕は速足で、というよりほぼ走りながら、すでに数十メートル先まで進んだ一組の男女を、香織を急いで追い越した。

「あの」

後ろから声が聞こえる。気づかれた。だが、そんなの関係ない。

 香織たちを追い越して、走りながら途中ある曲がり角を曲がり、そこの電柱から彼女の様子をうかがった。新しい彼氏であろう男と何かを探している。おそらく、僕を探しているのだろう。

 今の俺の様子を傍から見たらおそらく、いや、確実にストーカーに見えるだろう。夏生が今の俺を見ていないことを願いながら病室の窓を確認する。彼女の部屋のカーテンはしっかり閉められている。俺はそれを見て心の底から安堵した。

 ――香織は、今幸せだろうか。

 香織たちを見ながら思った。

『いかないで』

 もしあのとき手を握り返して、抱きしめて、受け入れていれば、香織の隣を笑い合いながら歩けていたのかもしれない。そんな後悔の念があるからこそ、僕は彼女らの幸せを心から祝福することができなかった。僕が幸せにするはずだった彼女は俺ではない別の男と幸せそうに笑い合っている。激しく嫉妬したが、それでも彼女らの幸せを願い、そう思うことで自分の気持ちに無理やりにでも決着をつけようとした。けれど、それは逆効果のようで、例えようもない虚しさが胸に広がるのみだった。

 やがて香織たちが俺の立つ曲がり角へ近づいてくる。俺は彼女たちに見つかるのを恐れ咄嗟に走り出した。彼女たちの、いや、彼女の幸せな時間を俺という存在で壊したくなかったのだ、なんて綺麗事を思えるわけもなく、ただただ嫉妬と後悔があるのみだ。

 無我夢中で走った後に僕疲れてその場に座り込み、一筋の涙を流した。

 僕は、勝手な人間だ。

 電柱では、相変わらず蝉がうるさく鳴いている。

 ――うるせえな!

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