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邪神とお酒を


俺はため息をついた。

「エンケパロス、それぐらいにしておけ。その程度でお前がくたばるなら、俺は苦労してない」


「……意地悪いじわる」そしてすねたように言う。「痛かったのは本当なんだから」


邪神は俺を見つめた。そしてにっこりと微笑む。

いつのまにか、地面の血だまりは消えている。腹部をおおっていた血の跡も無い。

腹の傷は幻影だったと言う訳か。

彼女はゆっくりと立ち上がり、身体についたほこりをはらった。


「俺の心を乗っとろうとしたな。どういうつもりだ?」


「そんなにすごむもんじゃないわ。キスしてもらいたい女のちょっとした悪ふざけよ。誰かさんの背中を少し押そうとしただけ」


「そう言うやり方は好きじゃ無い」


「もう少しでキスしそうだった男のセリフじゃないわね」


邪神は俺を睨んだ。が、すぐに表情がゆるむ。


「でもさっきは嬉しかったわ。あなたは身体を張って私を守ってくれた」


「どうだったかな。お前の勘違いだろう」


「前の時にも、私を守ってくれた。レガリアを攻撃した時よ」


「昔のことは、もう忘れた」


邪神はゾクゾクするような眼差しで俺をじっと見つめた。


「まあいいわ。さて……と。お酒でも呑みながら話さない? いいかげん中に入りましょう。ここでゴチャゴチャやるのはバカみたい」


「構わないが酒はお前のおごりだ」

この国の金を俺は持っていない。支払ってもらう予定だったクリフは、そこでのびている。


悪戯いたずらばつと言う訳ね。いいわ。おごってあげる。でもね」


「……おい」


逃げられなかった。

エンケパロスはまるで恋人のように俺に寄り添う。手を絡めてきた。

横腹にあたる柔らかい感触。鼻をくすぐる女の甘い匂い。


「さあ、入りましょう」


「……気が変わった。おごらなくていい。割り勘にしよう。お前は借りを作ってはいけないタイプだ」


「もう遅いわ。私からは死んでも逃げられないわよ」


邪神は嬉しそうに笑った。



エンケパロスに腕を貸しながら”気のいいレオの親父亭”に入る。中の男どもが一斉にこちらを見た。視線の先はもちろん俺じゃ無い。だが、いくつかは俺に絡みつく。チッというわざとらしい舌打ち、あいつが?と言う聞こえよがしの嘲り。

俺も男だから気持ちは分からんでも無い。だが無益な嫉妬しっとだ。真実は知らない方が幸せだろう。


エンケパロスは一人の男に軽く会釈えしゃくした。相手も挨拶あいさつを返す。男は一瞬、俺の方を値踏みするように見た。


「誰だ?」


「気になる?」


「分かった。教えなくていい」


邪神はいたずらっぽく笑う。「さっき、酔っ払いに絡まれたとき助けてくれたの。ここの軍人さんらしいわ。なかなかいい人ね」


「助けなんてお前には必要無いだろう。あえて言うなら、助けが必要なのは酔っ払いの方だ」


「もしかしていてる?」


「さあな……それにしても今日のお前はずいぶん人間ぽいな。前に戦った時に比べるとずっとだ」


「こう見えても元は人間よ。スプランクナはみんなそう。まさか忘れたの?」


「いいや。忘れてはいない」


レオが俺達の側にやって来た。今まで給仕で忙しかったのだ。


「兄ちゃん、姉ちゃん。奥のテーブルを空けといたよ。こっちこっち」


「すまんな」


「いいって! お礼に自動車、たっぷり乗せてくれよ」

部屋の片隅に小さなテーブルがぽつんと一つだけ空いていた。

周囲は適度に騒がしい。俺たちの会話を聞かれる可能性は低そうだ。


(マスター。く、く、苦しい。心理防壁しんりぼうへきがもう……)押しつぶされたカエルのような声が脳内に響く。


妖精がもう限界らしい。

なんせ俺の身体は邪神とぴったり密着している。魔力の侵入をこばみ精神を守る心理防壁しんりぼうへきを維持するのは、かなり負担の筈だ。

妖精が力尽きて防壁が無くなれば、あっと言う間に人間の理性なんて消し飛ぶ。欲望まみれになった俺が、エンケパロスをこの場で押し倒しかねない。

俺の貞操ていそう、そしてわずかばかりの誇りが危険な状況だ、


ひっついている邪神を身体から引き離し、席につかせる。対面の席にこちらも腰を下ろした。

これで妖精も少しは楽になるはずだ。


「ねえ、何で隣に座らないの? あなたを感じながらお酒を呑みたい」


「いい加減にしてくれ。魔力垂れ流しのお前とそんな危ない真似が出来るか」


「わざとやってる訳じゃないわ。私にはどうしようも無いの。でもだからって触れちゃいけないと言うのは、残酷よ」


「お互い立場はわきまえようぜ。お前は邪神、そして俺はか弱き人間だ。忘れているようだが、そちらはこちらを狩る存在だ」


「か弱い?」邪神は笑った。「どの口がそれを言うわけ? あなたは私の仲間の“大腸だいちょう”や“脊髄せきずい”をほふっているのよ。狩られているのはこちらだわ」


「その時は、たまたま運が良かった」


「わざとらしい謙遜けんそん嫌味いやみよ」


俺はため息をついた。こいつと会ってため息をつくのは一体何度目だろう。

確かにデートするとは言ったが、俺のひねくれたユーモアのセンスでそう表現しただけだ。ここまで積極的なのは想定外すぎる。


「お互い目的があってここに来ているはずだ。それを済まそう」


「ムードが無い男は嫌い」


「仕事熱心と言って欲しいね。忘れているようだから教えてやるが、俺とお前の商売は戦争だ。そして今は一時休戦してるだけだ」


「……まあいいわ。用事を早く済ませて。その後は分かってるわよね?」


邪神はウィンクをする。

俺は決心した。話が済んだらとっとと退散するとしよう。


エンケパロスは忙しそうなレオに声をかけた。

「レオン、すまないけどお酒をお願い。私にはブラッディ・スピリットを。カザセ……あなた、何がいい?」


「まかせる」


「ではラスト・ホープを」


「あいよっ!」


最後の希望( ラスト・ホープ)”か。あまりぞっとしない名前の酒だ。邪神は注文を終えると俺と向き合った。

こいつには調子を狂わされてばかりだが、ここらで主導権を握りたいところだ。


「では始めよう」


「お好きなように」


こいつから引き出したい情報はいくつかある。

俺に執拗に絡んでくる邪神アストロサイトについて。それにグアルディの杖の情報。

しかし、その前にはっきりさせたい事があった。


「俺はお前と取引がしたい。その為にここに来たんだ。しかし、その前に一つ教えてくれ。ユリオプス王国とレガリアを、お前はこれからどうするつもりだ?」

俺とエトレーナのユリオプス王国、そして同盟国であるレガリアはこいつの担当戦区にある。今は休戦状態だが、回答次第では酒を呑んでいるどころでは無い。


「あなたは、私の手の内を見せろと言うのね?」


「そうだ。取引はそれが前提だ」


「手の内を晒すなんて自殺行為だわ。そうする必要が私にあるのかしら? しかもあなたは強敵よ」


「ある程度の信頼関係はきずけている……と思ってたんだが」


「信頼関係? 恋愛関係じゃなくて?」


「ふざけるのは無しだ」


俺はそこで口を閉じた。レオがやって来たからだ。

「お待ちっ! お二人さん。姉ちゃんにはブラッディ・スピリット、兄ちゃんにはラスト・ホープ」


邪神の前に真っ赤なカクテル、俺には青色のカクテルが置かれた。両方ともアルコール度が強そうに見える。レオは空気を読んだのか、すぐに離れて行った。


「ねえ、せっかくだから乾杯しましょう。我が強敵ともカザセ ユウとの再会を祝して」


俺はグラスを合わせた。

「美しき敵、エンケパロスとの再会を祝して」


邪神はグラスをかかげ上品に微笑む。なまめかしく輝く唇。全ての動作がエロチックで油断すると持って行かれそうになる。

俺は自分の酒に口をつけた。予想通り強い酒だ。ジンベースのカクテルに似た味がする。


「さあ続きをしましょう。あなたは、私がふざけていると非難したわね。そんなこと無いわ。あなたは私の事を理解していないの。でも私はあなたの事を信頼して理解している。だから提案がある」


「何だ?」


邪神は頬杖ほおづえをつき笑みを浮かべた。そして低く甘くささやく。


「私の仲間にならない? そうすれば、レガリアもユリオプス王国もあなたにあげる。自由にしたらいいわ。さっき言ったように私達スプランクナは元は人間。あなたはスプランクナに成る資格が十二分にある」


「……」


「ねえ。私と一緒に来て。あんなエトレーナとか言う小娘よりも、ずっとたのしませてあげる。スプランクナの最大の教義は欲望の追求よ。何でもしてあげるわ……それとも私に魅力が無いとでも?」


「それがお前の提案か」


「そうよ。名誉に思いなさい。私はあなたが……」邪神は俺のほおに手を伸ばそうとした。俺は無視して立ち上がる。


「勘違いさせたようだな。俺にその気は無い……旨いカクテルだった。今日唯一の収穫だ」


「待ってよ!」


「ハニートラップ。そして安っぽい裏切りの勧誘。俺も見くびられたもんだ。これ以上、話し合っても時間の無駄だろう」


「怒ったフリ……よね? それでこちらが善処するとでも? あなた、そういう戦略……」


「そう思いたいなら勝手にしろ。俺はこれで失礼する」

酒場の出口に向かう。給仕中のレオがギョッとしてこちらを見た。


「待ってよ! ねえ、ちょっと待って!」 後ろから慌てた声が聞こえる。

周りの男どもが一斉にこちらを見たのが分かった。


「戻って! お願いよ」 エンケパロスの大声が聞こえた。


俺は内心ため息をついた。

(脳内会話を使えばいいのに。これじゃ周りから見たら痴話喧嘩だぜ)


(それだけ慌ててるんですよ。作戦成功ですか?)妖精があきれたようにささやく。


(そうだな)


(性格悪いですよ?)


(今さら何言ってるんだ)


「降参するわっ! 降参よ。だから戻って!」 また大声がした。勘弁してくれ。



席に戻ると邪神はふくれっ面をしていた。

“もっとやれ!”とか、“そんな男とは別れちまえ”とか、“姉ちゃん、俺の言う事も聞いてくれ”とか多数のヤジが外野から聞こえるが、もう好きにやってくれ。

しかし分からないのは、どうしてここまで俺に執着するのかって事だ。クリフに話したら面白いことになりそうだ。


「私の名誉の為にこれだけは言わせて。ハニートラップなんて仕掛けてない。私は自分のやりたいことをやっただけ」


「了解だ」


「分かったなら席についてよ」俺は無言で元の席に座る。


「あなた……怒って無いじゃない。わざとやったのね。憎たらしい男。女の心をもてあそぶような男は地獄に落ちればいいんだわ」


「怒ってるさ。顔に出ないだけだ。それにお前は降参したんだろ。言葉をすぐたがえるような相手とは交渉は出来ない。今度は本当に帰らせてもらうぞ」


邪神はため息をついた。ため息と言うのは伝染性らしい。

「いくつか情報を教えてあげる。だからすぐ帰るのは無しにして」


「いいだろう」


「あなたは自分が守っている国がどうなるか知りたいのね? しばらくの間、こちらからの攻撃は無いわよ。かなり長い間、そうなると思ってもらっていい」


「良いニュースだ。だがそれは何故だ?」


「もっと重要な事が出来たからよ。あなたの上部組織に関係があるとだけ言っておく。でもあなたにとって、それが良いニュースがどうかは私には分からない。あなたのとらえ方次第ね」


曖昧あいまいな言い方だな」


「女には秘密が多いの。立場は察して欲しいわ」


「思わせぶりな女とは付き合うな、と言うのが親父の遺言ゆいごんだ」


「お父さんモテなかったのね」


「そんな事は無い。俺よりはモテた……ここ新日本国に対する攻撃も無いと思っていいのか?」


「知らない。担当の戦区じゃないもの。この地区担当はアストロサイトよ」


「担当ね。お前、役人に成った方がいいぜ。なわばり根性丸出しで役所仕事が好きなら、そっちの方が向いてる」


「余計なお世話」


エンケパロスは髪をかきあげた。なかなか色っぽい。


「ねえ……聞きたいのはそれだけよね。もっとたのしい話をしましょう」


「残念ながら、これからが本番だ」


邪神は俺をにらむ。怒った顔もなかなか魅力的だ。


「あなたは私と取引したいと言った。ならば対価を頂戴ちょうだい。これ以上はタダでは嫌だわ」


「悪魔みたいな事を言う。たましいだったらダメだぜ」


「ううん、どうしようかな。私が欲しいものは、そうね……」 邪神は色っぽい目つきで俺を見た。


俺は言う。

「情報の内容と……それがもたらす結果次第だ」

だが欲しがるものを与える事は、俺には恐らく出来ない。「多分な」と言う言葉を最後に付け加えようとする。だがエンケパロスはそれを許さなかった。


「つまり、満足すれば望みのものをくれるのよね」彼女は素早く言う。


妖精の緊張した声。

(警告。すぐ声に出して否定してくださいっ! 言霊ことだまを使った魔術の可能性あり。契約が成立すれば強制されます)


ギアスか。だが間に合わなかったようだ。マナが身体を駆け巡るのを俺は感じる。

心理防壁はこの種の魔術に効果は無いらしい。


邪神は微笑ほほえんだ。

「もう遅いわ。あなたは私のもの。私が欲しいのは、カザセ ユウ。あなただもの」

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