誘惑
◆
検問を通り抜け、俺の運転する旧型のセダンは街の大通りに入った。
通りには馬車も走っている。と言うより自動車はまばらで馬車の方が多い。道の両脇には古風な洋館が並んでいる。
“五月雨”は中世ヨーロッパ風の街だ。それもその筈で、以前のここはハーヴイー王国の一部だったのだ。現在でも住人の七割は王国の出身者だとクリフは言う。
俺の乗った車は二頭立ての馬車を追い越した。すぐ横を通り抜けても馬は平然としている。
馬車と自動車が共存している街か。日本も大正時代はそんな感じだったらしいが。
「どうした? この街の風景がそんなに珍しいのか?」助手席のクリフが不審げに俺を見た。
「いや、何でも無い。気にするな」
俺としたことが景色に眺め入っていたようだ。クリフの前で……不覚だ。
久しぶりに見た西洋風の街は、俺にユリオプス王国の街を思い出させていた……なんて事は絶対に言いたくない。ホームシックだの何だの、からかわれるのがオチだ。
「らしくないぜ。故郷の事でも思い出したのか? お前の日本とは全く違った景色だろうに。毛ほども似てない」
「何でも無いと言ったんだ。しつこい男は嫌われるぜ」
「お前に嫌われるなら大歓迎だ。ふむ。図星を突かれて慌ててるのか? 急に機嫌が悪くなったな」
「機嫌なら、お前と会ってからずっと悪い」
「ほう。俺もだ。俺達は気が合うな……ところで情報提供者とは、どこで接触するんだ?」
やはり、ついて来る気らしい。無粋な奴だ。
そろそろこれから会う相手の正体を打ち明けるべきだと思うが、直前にした方がいいだろう。早めに教えれば止めるに決まっている。邪魔はされたくない。
俺は車の速度を落とした
商店らしき建物が少なくなり民家が増えてきている。もうすぐ大通りが終わる。
これ以上行ったら街外れに出てしまう。あの女は盛り場を好むだろう。なんせデートの初回だからな。
(妖精、何か情報は?)
(報告するような事は何も。エリスさんからも連絡は有りません)
エリスの奴さぼってるのか。それとも、あちらもデートなのか? 到着したと知らせておいたのだが。
さてどうする……か。エンケパロスとどこで会ったらいいのか、俺も知らないのだ。
街に入れば向こうからコンタクトをとってくると思っていたが、まだ連絡が無い。
(飯でも食いながら時間を潰すか)
そう言えば、妖精は出てこようとしない。邪神に会うのが嫌なようだ。しかし、クリフと二人だけの食事はなかなか辛い。食事の時くらい彼女にも付き合ってもらうか。
その時、俺はバックミラーに写った人影に気がついた。
少年がこちらに向かって大きく手を振っている。何か叫んでいる。
物売りか、とも思ったが必死過ぎてそうは見えない。俺は車を脇に止めた。クリフも少年に気がつき、そして言う。
「あの子の姉さんに手でも出したのか? えらい勢いで走ってくる」
「……お前、頭おかしいぞ。今度医者に診て貰え」
俺はウインドウを開く。「やっと……捕まえた」車に追いついた少年の声が聞こえてきた。
呼吸が苦しいのか、しゃがみ込みゼイゼイと喉を鳴らす。俺は彼が息を整えるのを待った。
「何の用だ?」
「もの凄く……綺麗な姉ちゃん……に頼まれた。迎えに来たんだ」
クリフの視線を背後に感じる。“綺麗な姉ちゃん”のところに反応してるんだと思うが、その想像は多分間違っている。
「わざわざ、すまない。その“姉ちゃん”の名は?」
「エンケって言ってた。変わった名前だよね。兄ちゃんの彼女だろ?」
邪神エンケパロス。やはりお前か。
それにしても子供を使って呼び出すとは、おかしな奴だ。邪神らしく脳内に呼びかければいいものを。同じ街に居るんだから可能な筈だ。
(あの存在からすれば、ここは敵地です。魔力の使用を抑えているんでしょう。魔術師に気がつかれたら、いろいろ面倒ですし)妖精がコメントする。
(そう言うもんか)
(そう言うもんです)
(やたら魔法に詳しくなったな)
(勉強してますので)
少年は車の中をのぞき込もうとする。機械類に興味があるらしい。
「その邪……いやエンケは今どこに居る?」
「おいらの酒場で待ってる。遅すぎるって怒ってた。兄ちゃん、気をつけた方がいいよ。おいらの経験によると美人ほど怒らすと怖い」
「用心しよう。ところで“おいらの酒場”と言ったな。君が酒場の持ち主か? そんな歳には見えないが」
「いや、ごめん。父ちゃんがやってる酒場だよ。おいらはそこの息子なんだ。いつも手伝ってる」
少年の話によると酒場は、街の反対側にあった。「案内するよ」と言うのでセダンの後席に招き入れる。
彼は嬉しそうに乗り込むと、珍しそうに車内を見回した。
「凄い車だ。こんなの見たことがない。兄ちゃん金持ちだね。おいらの名前はレオン・グスマン。レオでいいよ」
「風瀬 勇だ。それにしても、良く見つけられたな?」
「めずらしい車だし、目つきの悪い――じゃなかった目つきの鋭い兄ちゃんが乗ってたんで、すぐ分かったよ。でも思ってたより、兄ちゃんずっと格好いいね。エンケさん、めちゃくちゃ怖い男とか言って、おいらを脅すんだ。おいら、かつがれたみたい」
格好いい? 俺は咳き込んだ。クリフが少年を睨む
「お前は目がおかしい。病院に行くべきだ」
「兄ちゃんも格好良いよ。おいらの好みからすると、すこし甘すぎる顔だけど」
クリフはフンッと横を向く。いい気味だ。
少ないながら俺のファンもいるってことだ。
「カザセの兄ちゃん、あの姉ちゃんの彼氏なんでしょ? あんなもの凄い美人を良くモノにしたね。おいら、まじまじと見ちゃったよ。あんな綺麗な人、初めて見た」
確かにあいつの美は人間の水準を超えている。そりゃ邪神だしな。
クリフが俺を睨み付ける。
「まさかお前……その女と遊ぶ為に俺をここまで付き合わせたんじゃないだろうな? もしそうなら覚悟しろ。こちらにも考えがある」
「いい加減にしてくれ。レオの前だ」
「ふーん。何か訳ありなんだね。でもおいら、あの姉ちゃんのこと大好きだ。綺麗なだけじゃなくて優しいし。おいらの事、褒めてくれた。あの人のこと悲しませちゃ絶対駄目だよ」
悪いが、それは向こうの出方次第だ。
「おいらには分かる。エンケ姉ちゃん、兄ちゃんの事が大好きだよ。あんなもの凄い美人に惚れられるなんて羨ましいや。あんなに嬉しそうに、カザセ兄ちゃんの事を話すもの」
違うなレオ。奴の俺に対する好意は愛情では無い。それだけは確かだ。
◆
俺の運転する旧型セダンは、レオの親父さんがやっている酒場に近づく。中心部からは少し離れた場所だ。日はとうに暮れ周囲は暗い。酒場だけが明るく浮き上がっている。
看板には“気のいいレオの親父亭”とあった。なるほど、レオが自分の酒場と呼ぶ筈だ。
庶民的な店構えだ。楽しそうな男達の声がここまで聞こえてくる。
「いい酒場だ」
「ちょっとしたもんでしょ? ここらでは人気あるんだ」 嬉しそうに言う。
レオは車のドアを開けようとしたが、やり方が分からないようだ。
「ボタンを押しながらレバーを倒すんだ」
「えっと。こう?」
俺が教えてやるとドアが開く。顔が輝いた。「なんだ。簡単だね」
レオは、そのまま酒場に向かおうとしたが振り返る。
「どうした?」
「後でもう少し、この車に乗せてくれない? 自動車が大好きなんだ。でもなかなかチャンスが無くて……」
「……分かった。構わない」
「約束したよっ!」 と言って酒場の中に飛び込んで行く。「姉ちゃん、連れて来たよ!」と叫びながら
その時、脳内に囁く甘い声。
(お久しぶり。ずいぶん遅い到着ね。女を待たせるのが趣味なのかしら)
前に会ったのは、奴の相棒“脊髄”にレガリアを攻められた時か。確かに久しぶりだ。
(悪かった)
(素直ね。言い訳しないの?)
(女に言い訳はしない。立場が余計に悪くなる)
(いい心がけよ。褒めてあげたいけど……その隣の男は何者? 二対一のデートは私の趣味では無いのだけど)
困った事になった。邪神に会う前にクリフに説明しようと思っていたのだが、この状況では遅すぎる。止められるのが嫌で、ギリギリまで説明を引き延ばしていた俺のミスだが……まずいな。
もっとも俺が説明したからと言って、クリフが言う事を聞いてくれるとは限らないが。
(ちょっとした手違いだ)
(それを言い訳と言うの。もしかして……二人がかりで私を狩りに来たのかしら。ずいぶんな仕打ちね)
(考えすぎだ。そんな気は無い)
車の外に出ていたクリフが、俺を振り返る。
「誰と話をしている?」
「……すまない。気が変わった。俺一人で会わせて欲しい」
「いまさら何だ? ……まあいいだろう。俺はしばらくしてから酒場に入る。それなら文句はあるまい」
「監視か」
「お互い信用してないんだ。それぐらいはあきらめろ」
その時、ばたんと酒場の扉が開く。レオが再び出てきたのだ。そして隣に居るのは……美しき邪神エンケパロス。その役割は“脳”。割り当てられた戦区のリーダー的存在だ。
「姉ちゃん、早く! 早く!」
レオに手を引かれながら、邪神は俺を見つめた。
「ようやく会えたわね」
彼女の微笑む姿はやはり美しい。
銀髪に切れ長の目。誘うようなまなざし。男の理性を失わせる性的で魅力的な身体。そして、脳をとろかすような甘い声。しかし以前見たときよりは人間ぽく見えた。自分の美しさを抑えているのだろう。街に溶け込み人間の中に紛れ込むために。
だがクリフはそれに騙されなかった。
「お前……どういうことだ。あれは化け物。邪神じゃないか……」
「泥人形さん。口のきき方には気をつけた方が良くてよ?」
「敵じゃ無い。少なくとも今はな」
エンケパロスは艶然と微笑むと、びっくりしているレオに向き直る。
「レオン。ここまででいいわ。この人たちとお話があるの。先に酒場に戻ってて」
「……大丈夫だよね?」
「もちろん大丈夫。すぐに戻るわ」
「でも……」 レオが心配そうにクリフを指さした。「あの人、姉ちゃんの事を化け物って」
エンケパロスの瞳が金色に輝く。見つめられるレオの目が、とろんとしてきた。
「聞き分けが悪い子は嫌いよ。本当に大丈夫だから」
「でも……でも……あれ? おいら何してたっけ?」
「酒場に戻って私を待つの。良い子だから」
「うん。分かった」レオは素直に酒場の中に入っていった。
エンケパロスは満足そうに見送ると、再びこちらに向き直ろうとした
「待てっ!」俺は叫んだ。
クリフが発砲。手には見慣れない銀色の銃。
エンケパロスが崩れ落ちた。地面に転がり苦しげに呻く。
何てことだ。
「しぶといな」クリフはトドメを刺そうと銃を邪神に向けた。エンケパロスの頭を狙う。「あばよ。化け物」
俺はクリフの前に立ち塞がった。身体で射線を塞ぐ。
「何故かばう? そこをどけ……お前、まさか」
奴は銃をゆっくりと俺の顔に向けた。銃口が俺を睨む。
(!)
突然、クリフの顔が苦しげにゆがむ。銃を持つ手がぶるぶる震え始めた。
すぐに痙攣は全身に広がる。「……お前なのか? トライデント……システム」
それだけ言うと地面に崩れ落ちた。
妖精の声が脳内に響く。
(疑似人格“クリフ”の活動を強制停止。鬼切のコントロールを奪いました。現在、彼は私の制御下にあります)
(第二世代型の実力と言う訳か。だが少しやり過ぎだ。そいつには、俺を撃つ気は無かったぜ)
(クリフはマスターに銃を向けました。理由はそれだけで十分です。それに……失神させただけです)
「許せ」俺はクリフにそう呟くと、エンケパロスの側に行く。
銃弾はエンケパロスの腹部を貫通している。
白い服が赤く染まり、地面には血だまりが出来ていた。
「エンケパロス、しっかりしろ!」
「カザセ。……ずいぶんな歓迎ね。こんな形で消えたくは無かったわ」
彼女のまつげが震えた。その目が潤んでいるように見える。
くそっ。魔法が使えたなら。今の俺に治療が可能なんだろうか?
彼女は震える手で俺の腕をつかむ。
「無駄よ。人間に治す事は出来ない。それより最後にお願いがあるの」
「何だ?」
「……キスして」
「お前……何を言い出すんだ」
「ねえお願いよ。私は……知ってるの。あなたが私を抱きたい……と思ったこと」
(警告。邪神がマスターの心を侵食しています。心理防壁を展開して対抗します。でも注意してください! 気をつけないと心を呑まれますよ)
俺の心を乗っ取ろうとしているだと?
(彼女は瀕死なんだ。何でそんなマネをする余裕がある?)
(……確かに。変ですよね)
俺はため息をついた。
エンケパロスは目を閉じ、俺の口づけを待っている。つややかな唇が俺を誘う。
ええと。まあなんだ。据え膳食わぬは男の恥だと俺の爺さんが言ってたな……
(警告。警告。警告っ!! ねえマスター聞いてますか? マスターってば!)
(そんなに怒ると血圧が上がる。美容にも悪い)
(誤魔化さないでください。本当にキスしようとしたでしょう?)
俺は再びため息をついた。
「エンケパロス、それぐらいにしておけ。お前は邪神の中でも優れた“脳”タイプだろう。その程度でくたばるなら、俺は苦労してない」
「……意地悪」そしてすねたように言う。「痛かったのは本当なんだから」




