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誘惑


検問を通り抜け、俺の運転する旧型のセダンは街の大通りに入った。


通りには馬車も走っている。と言うより自動車はまばらで馬車の方が多い。道の両脇りょうわきには古風な洋館が並んでいる。

五月雨さみだれ”は中世ヨーロッパ風の街だ。それもそのはずで、以前のここはハーヴイー王国の一部だったのだ。現在でも住人の七割は王国の出身者だとクリフは言う。


俺の乗った車は二頭立ての馬車を追い越した。すぐ横を通り抜けても馬は平然としている。

馬車と自動車が共存している街か。日本も大正時代はそんな感じだったらしいが。


「どうした? この街の風景がそんなに珍しいのか?」助手席のクリフが不審ふしんげに俺を見た。


「いや、何でも無い。気にするな」


俺としたことが景色に眺め入っていたようだ。クリフの前で……不覚ふかくだ。

久しぶりに見た西洋風の街は、俺にユリオプス王国の街を思い出させていた……なんて事は絶対に言いたくない。ホームシックだの何だの、からかわれるのがオチだ。


「らしくないぜ。故郷の事でも思い出したのか? お前の日本とは全く違った景色だろうに。毛ほども似てない」


「何でも無いと言ったんだ。しつこい男は嫌われるぜ」


「お前に嫌われるなら大歓迎だ。ふむ。図星を突かれて慌ててるのか? 急に機嫌きげんが悪くなったな」


「機嫌なら、お前と会ってからずっと悪い」


「ほう。俺もだ。俺達は気が合うな……ところで情報提供者とは、どこで接触するんだ?」


やはり、ついて来る気らしい。無粋ぶすいな奴だ。

そろそろこれから会う相手の正体を打ち明けるべきだと思うが、直前にした方がいいだろう。早めに教えれば止めるに決まっている。邪魔はされたくない。


俺は車の速度を落とした

商店らしき建物が少なくなり民家が増えてきている。もうすぐ大通りが終わる。

これ以上行ったら街外れに出てしまう。あの女は盛り場を好むだろう。なんせデートの初回だからな。


(妖精、何か情報は?)


(報告するような事は何も。エリスさんからも連絡は有りません)

エリスの奴さぼってるのか。それとも、あちらもデートなのか? 到着したと知らせておいたのだが。

さてどうする……か。エンケパロスとどこで会ったらいいのか、俺も知らないのだ。

街に入れば向こうからコンタクトをとってくると思っていたが、まだ連絡が無い。


(飯でも食いながら時間を潰すか)


そう言えば、妖精は出てこようとしない。邪神に会うのが嫌なようだ。しかし、クリフと二人だけの食事はなかなか辛い。食事の時くらい彼女にも付き合ってもらうか。


その時、俺はバックミラーに写った人影に気がついた。

少年がこちらに向かって大きく手を振っている。何か叫んでいる。

物売りか、とも思ったが必死過ぎてそうは見えない。俺は車をわきに止めた。クリフも少年に気がつき、そして言う。


「あの子の姉さんに手でも出したのか? えらい勢いで走ってくる」


「……お前、頭おかしいぞ。今度医者に診て貰え」


俺はウインドウを開く。「やっと……捕まえた」車に追いついた少年の声が聞こえてきた。

呼吸が苦しいのか、しゃがみ込みゼイゼイとのどを鳴らす。俺は彼が息を整えるのを待った。


「何の用だ?」


「もの凄く……綺麗きれいねえちゃん……に頼まれた。迎えに来たんだ」


クリフの視線を背後に感じる。“綺麗きれいねえちゃん”のところに反応してるんだと思うが、その想像は多分間違っている。


「わざわざ、すまない。その“姉ちゃん”の名は?」


「エンケって言ってた。変わった名前だよね。兄ちゃんの彼女だろ?」


邪神エンケパロス。やはりお前か。

それにしても子供を使って呼び出すとは、おかしな奴だ。邪神らしく脳内に呼びかければいいものを。同じ街に居るんだから可能な筈だ。


(あの存在からすれば、ここは敵地です。魔力の使用をおさえているんでしょう。魔術師に気がつかれたら、いろいろ面倒ですし)妖精がコメントする。


(そう言うもんか)


(そう言うもんです)


(やたら魔法に詳しくなったな)


(勉強してますので)


少年は車の中をのぞき込もうとする。機械類に興味があるらしい。

「その邪……いやエンケは今どこに居る?」


「おいらの酒場で待ってる。遅すぎるって怒ってた。兄ちゃん、気をつけた方がいいよ。おいらの経験によると美人ほど怒らすと怖い」


「用心しよう。ところで“おいらの酒場”と言ったな。君が酒場の持ち主か? そんな歳には見えないが」


「いや、ごめん。父ちゃんがやってる酒場だよ。おいらはそこの息子なんだ。いつも手伝ってる」


少年の話によると酒場は、街の反対側にあった。「案内するよ」と言うのでセダンの後席に招き入れる。

彼は嬉しそうに乗り込むと、珍しそうに車内を見回した。


「凄い車だ。こんなの見たことがない。兄ちゃん金持ちだね。おいらの名前はレオン・グスマン。レオでいいよ」


「風瀬 勇だ。それにしても、良く見つけられたな?」


「めずらしい車だし、目つきの悪い――じゃなかった目つきの鋭い兄ちゃんが乗ってたんで、すぐ分かったよ。でも思ってたより、兄ちゃんずっと格好いいね。エンケさん、めちゃくちゃ怖い男とか言って、おいらを脅すんだ。おいら、かつがれたみたい」


格好いい? 俺はき込んだ。クリフが少年をにら


「お前は目がおかしい。病院に行くべきだ」


「兄ちゃんも格好良いよ。おいらの好みからすると、すこし甘すぎる顔だけど」


クリフはフンッと横を向く。いい気味だ。

少ないながら俺のファンもいるってことだ。


「カザセの兄ちゃん、あの姉ちゃんの彼氏なんでしょ? あんなもの凄い美人を良くモノにしたね。おいら、まじまじと見ちゃったよ。あんな綺麗きれいな人、初めて見た」


確かにあいつの美は人間の水準を超えている。そりゃ邪神だしな。


クリフが俺をにらみ付ける。

「まさかお前……その女と遊ぶ為に俺をここまで付き合わせたんじゃないだろうな? もしそうなら覚悟しろ。こちらにも考えがある」


「いい加減にしてくれ。レオの前だ」


「ふーん。何か訳ありなんだね。でもおいら、あの姉ちゃんのこと大好きだ。綺麗なだけじゃなくて優しいし。おいらの事、褒めてくれた。あの人のこと悲しませちゃ絶対駄目だよ」


悪いが、それは向こうの出方次第だ。


「おいらには分かる。エンケ姉ちゃん、兄ちゃんの事が大好きだよ。あんなもの凄い美人にれられるなんて羨ましいや。あんなに嬉しそうに、カザセ兄ちゃんの事を話すもの」


違うなレオ。奴の俺に対する好意は愛情では無い。それだけは確かだ。



俺の運転する旧型セダンは、レオの親父さんがやっている酒場に近づく。中心部からは少し離れた場所だ。日はとうに暮れ周囲は暗い。酒場だけが明るく浮き上がっている。

看板には“気のいいレオの親父亭”とあった。なるほど、レオが自分の酒場と呼ぶ筈だ。

庶民的な店構えだ。楽しそうな男達の声がここまで聞こえてくる。


「いい酒場だ」


「ちょっとしたもんでしょ? ここらでは人気あるんだ」 嬉しそうに言う。

レオは車のドアを開けようとしたが、やり方が分からないようだ。


「ボタンを押しながらレバーを倒すんだ」


「えっと。こう?」

俺が教えてやるとドアが開く。顔が輝いた。「なんだ。簡単だね」

レオは、そのまま酒場に向かおうとしたが振り返る。


「どうした?」


「後でもう少し、この車に乗せてくれない? 自動車が大好きなんだ。でもなかなかチャンスが無くて……」


「……分かった。構わない」


「約束したよっ!」 と言って酒場の中に飛び込んで行く。「姉ちゃん、連れて来たよ!」と叫びながら


その時、脳内にささやく甘い声。


(お久しぶり。ずいぶん遅い到着ね。女を待たせるのが趣味なのかしら)

前に会ったのは、奴の相棒“脊髄せきずい”にレガリアを攻められた時か。確かに久しぶりだ。


(悪かった)


(素直ね。言い訳しないの?)


(女に言い訳はしない。立場が余計に悪くなる)


(いい心がけよ。めてあげたいけど……その隣の男は何者? 二対一のデートは私の趣味では無いのだけど)


困った事になった。邪神に会う前にクリフに説明しようと思っていたのだが、この状況では遅すぎる。止められるのが嫌で、ギリギリまで説明を引き延ばしていた俺のミスだが……まずいな。

もっとも俺が説明したからと言って、クリフが言う事を聞いてくれるとは限らないが。


(ちょっとした手違いだ)


(それを言い訳と言うの。もしかして……二人がかりで私を狩りに来たのかしら。ずいぶんな仕打ちね)


(考えすぎだ。そんな気は無い)


車の外に出ていたクリフが、俺を振り返る。

「誰と話をしている?」


「……すまない。気が変わった。俺一人で会わせて欲しい」


「いまさら何だ? ……まあいいだろう。俺はしばらくしてから酒場に入る。それなら文句はあるまい」


監視かんしか」


「お互い信用してないんだ。それぐらいはあきらめろ」


その時、ばたんと酒場の扉が開く。レオが再び出てきたのだ。そして隣に居るのは……美しき邪神エンケパロス。その役割は“脳”。割り当てられた戦区のリーダー的存在だ。


「姉ちゃん、早く! 早く!」


レオに手を引かれながら、邪神は俺を見つめた。


「ようやく会えたわね」


彼女の微笑ほほえむ姿はやはり美しい。

銀髪に切れ長の目。誘うようなまなざし。男の理性を失わせる性的で魅力的な身体。そして、脳をとろかすような甘い声。しかし以前見たときよりは人間ぽく見えた。自分の美しさを抑えているのだろう。街に溶け込み人間の中に紛れ込むために。


だがクリフはそれに騙されなかった。

「お前……どういうことだ。あれは化け物。邪神じゃないか……」


泥人形どろにんぎょうさん。口のきき方には気をつけた方が良くてよ?」


「敵じゃ無い。少なくとも今はな」


エンケパロスは艶然えんぜんと微笑むと、びっくりしているレオに向き直る。

「レオン。ここまででいいわ。この人たちとお話があるの。先に酒場に戻ってて」


「……大丈夫だよね?」


「もちろん大丈夫。すぐに戻るわ」


「でも……」 レオが心配そうにクリフを指さした。「あの人、姉ちゃんの事を化け物って」


エンケパロスのひとみが金色に輝く。見つめられるレオの目が、とろんとしてきた。

「聞き分けが悪い子は嫌いよ。本当に大丈夫だから」


「でも……でも……あれ? おいら何してたっけ?」


「酒場に戻って私を待つの。良い子だから」


「うん。分かった」レオは素直に酒場の中に入っていった。

エンケパロスは満足そうに見送ると、再びこちらに向き直ろうとした


「待てっ!」俺は叫んだ。


クリフが発砲。手には見慣れない銀色の銃。

エンケパロスが崩れ落ちた。地面に転がり苦しげに呻く。

何てことだ。


「しぶといな」クリフはトドメを刺そうと銃を邪神に向けた。エンケパロスの頭を狙う。「あばよ。化け物」


俺はクリフの前に立ちふさがった。身体で射線をふさぐ。


「何故かばう? そこをどけ……お前、まさか」

奴は銃をゆっくりと俺の顔に向けた。銃口が俺をにらむ。


(!)


突然、クリフの顔が苦しげにゆがむ。銃を持つ手がぶるぶる震え始めた。

すぐに痙攣けいれんは全身に広がる。「……お前なのか? トライデント……システム」

それだけ言うと地面にくずれ落ちた。


妖精の声が脳内に響く。

(疑似人格“クリフ”の活動を強制停止。鬼切のコントロールを奪いました。現在、彼は私の制御下にあります)


(第二世代型の実力と言う訳か。だが少しやり過ぎだ。そいつには、俺を撃つ気は無かったぜ)


(クリフはマスターに銃を向けました。理由はそれだけで十分です。それに……失神させただけです)


「許せ」俺はクリフにそう呟くと、エンケパロスの側に行く。


銃弾はエンケパロスの腹部を貫通している。

白い服が赤く染まり、地面には血だまりが出来ていた。


「エンケパロス、しっかりしろ!」


「カザセ。……ずいぶんな歓迎ね。こんな形で消えたくは無かったわ」

彼女のまつげが震えた。その目がうるんでいるように見える。

くそっ。魔法が使えたなら。今の俺に治療が可能なんだろうか? 


彼女は震える手で俺の腕をつかむ。

「無駄よ。人間に治す事は出来ない。それより最後にお願いがあるの」


「何だ?」


「……キスして」


「お前……何を言い出すんだ」


「ねえお願いよ。私は……知ってるの。あなたが私を抱きたい……と思ったこと」


(警告。邪神がマスターの心を侵食しています。心理防壁しんりぼうへきを展開して対抗します。でも注意してください! 気をつけないと心をまれますよ)


俺の心を乗っ取ろうとしているだと?

(彼女は瀕死ひんしなんだ。何でそんなマネをする余裕がある?)


(……確かに。変ですよね)


俺はため息をついた。

エンケパロスは目を閉じ、俺の口づけを待っている。つややかなくちびるが俺を誘う。

ええと。まあなんだ。ぜんわぬは男の恥だと俺のじいさんが言ってたな……


(警告。警告。警告っ!! ねえマスター聞いてますか? マスターってば!)


(そんなに怒ると血圧が上がる。美容にも悪い)


誤魔化ごまかさないでください。本当にキスしようとしたでしょう?)


俺は再びため息をついた。

「エンケパロス、それぐらいにしておけ。お前は邪神の中でも優れた“脳”タイプだろう。その程度でくたばるなら、俺は苦労してない」


「……意地悪いじわる」そしてすねたように言う。「痛かったのは本当なんだから」

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