夜の訪問者
◆
俺達の乗ったヘリ、SH-60シーホークは戦艦金剛の艦尾に着艦する。
「カザセ殿。儂はもう大丈夫です。手を貸して頂く必要はありません。ご心配おかけしました」
老騎士姿のレイクは言う。シルバームーンの治癒魔法で体調は持ち直しているが、顔色はまだ悪い。
いくら正体がブロンズ・ドラゴンと言っても、戦闘で受けたダメージが大きすぎた。元に戻るにはしばらく時間がかかるだろう。
しかしいつまでも病人扱いするのは、彼にとってかえって屈辱だ。竜族はそれでなくてもプライドが高い。俺はレイクの好きにさせることにした。
パイロットに礼を言ってからヘリから降りる。そこには、ゆきが待っていた。
着物姿で前掛けを羽織っている。着こなしは流石に本物で、テレビの女優とは風格が違う。
俺の視線に気がつくと、にっこりと微笑みを返した。
「風瀬様、大霧様、ご無事で何よりです。そして竜族の皆様、お疲れ様でした。お風呂の準備が出来ております」
気の利く子だ。俺達の顔色を見て、少なくとも負け戦では無かった事が分かったようだ。だが旧式の軍艦で、風呂を使うのはかなりの贅沢の筈だった。
「ありがとう。俺は順番は最後でいい。身体が泥まみれだ。湯を汚してしまう」
大霧が笑った。
「遠慮するな。らしくもない。一番風呂は嫌いか?」
大霧の使う召喚機構“鬼切”の疑似人格、クリフがつまらなそうに言う。
「こいつが遠慮する訳が無いだろう。ただのポーズにすぎん」
この男の憎まれ口は、俺も大分慣れてはきた。だがしかし。
「お前とは、今度ゆっくり話す必要があるな。なんなら一緒に風呂に入ってみるか?」
「風呂? 構わないぜ。自信喪失してもいいならな」
「笑わしてくれる。お前みたいな優男に負ける訳が無いだろう」
ゆきが困った顔で目を泳がせる。
……いや。そう意味じゃない。君の想像は多分間違っている。体格と筋肉の話だ。
「ゆきさん、本当に風呂は最後でいいんだ。それより出来たら旨い珈琲が飲みたい」
「かしこまりました」
「ほら。分かっただろう。こいつは遠慮なんかしない」
何故か嬉しそうなシルバームーンが、会話に割り込む。
「ねえ、風呂って沐浴のことよね? じゃあ私が最初に入る。身体を洗いたくてたまらないの。本当は綺麗な泉がいいんだけど、少しぐらい水が汚くても我慢してあげるわ」
ドラゴンも水浴びはするのかも知れないが、入浴なんぞしなくても魔法で何とか出来るだろう……とは思ったが口には出さなかった。俺にも一応、学習機能は備わっている。面倒ごとは極力避ける主義だ。
大霧は、シルバームーンの言葉に幾分ムッとしたようだ。
「水が汚いなんて事があるか。しかし竜が風呂?」
「何よ。入ったらまずい訳?」
「いや……そんなことは。失礼した。お先にどうぞ」
「ありがと。でも女同士なんだから一緒に入らない? 人間の風呂ってどう使うのか良く分からないし」
「使い方なぞ入って見れば分かる。一緒は止めておこう。どうぞ一人でごゆっくり」
「あら。年だからって、気後れする必要は無いわよ。人間なんだから、いろいろ衰えるのはしょうがない。私の身体と比べるのがそもそも間違い。ねえ、気にしないで入りましょうよ?」
「年?……だと」大霧の低い声。
まずい。
嵐の予感。当方がとばっちりを受ける可能性あり。
「ええ、年よ。年齢のことね。大霧さん30超えてたっけ? 人間なら衰えてもしょうが無い年じゃない」 シルバームーンは明るく言う。失礼な事を言っている自覚が全く無いようだ。
「私は20代……だ」 大霧の声はさらに低まる。
もう猶予は無い。即時の行動を要す。だが俺には援軍が必要だ。
慌てて周囲を見回す。
最年長のレイク……援護は期待できない。まだ病み上がりだ。
トライデント・システム……作動不能。妖精はこの状況を完全に無視している。忘れていた。こいつはこういう奴だった。
鬼切の疑似人格クリフ……論外。
ゆき……巻き込むのは可哀想。
……俺がやるしかない。
「あのな……シルバームーン」気の強い竜族のお姫様をたしなめる。すると「何よ。人間の肩ばかりもって」と言いプイと横を向かれた。
一応、俺も人類の一員だ。シルバームーンよ、たまに思い出してもらえると嬉しい。
その後の話は、俺の名誉の為に飛ばす。誤解しないで欲しいが、平和維持に関して一定の成功をみた。対女性スキルに関してもかなりの経験を得た……とだけは言っておく。いろんな意味で無傷では済まなかったが。
なんとか落ち着いた頃に、ゆきが言う。
「そうそう、皆様のお風呂が終わる頃合いに、お食事をお持ちしますわ。とっておきの食材を使います。竜族の皆様にも気に入ってもらえるといいのですけど」
「……君の出す食事は旨いからな。期待している」
「腕によりをかけますわ。愉しみにしていてください」
「お肉がいい。それならつきあってあげる」シルバームーンがまだ少し、不機嫌そうに付け加えた。
妖精の声が脳内に響く。
(マスター、お手柄です。あの二人、喧嘩しなくてよかったですね。さあここで質問です。シルバームーンさんは何で、マスターにすねて見せたのでしょう? 回答は30秒以内で!)
(……薄情者は黙っていてくれ)
◆
珈琲を飲みながら風呂の順番を待つ。ほっとしたせいか急に疲れを感じる。戦闘の疲れが出たのだろう。
珈琲のカフェインも効果は無く、俺は少し、うとうとした。
はっとして目を覚ますと、替えの服をゆきが用意してくれていた。入浴を終え、いい気分で士官用食堂に出向く。ゆきの出してくれる食事はいつも美味しい。楽しみだ。
しかしどういう訳か、クリフもテーブルに居る。いつもならさっさと消えている筈だ。
「お前が?」
「悪いか?」
「いや、別に」
妖精も実体化して隣の席につく。胸元が大きく開いたドレスを着ていた。場違いな服だな、と思いながら目をやるとウインクを返された。
全員が揃うと、ゆきがルビー色の液体を皆のグラスに注ぐ。
口をつけた――少し渋みは強いがワインだ。どうやって入手しているのだろう?
珈琲といい、ワインといい、新日本国は食べ物に凝った国のようだ。日本酒もありそうだな。
「気に入ったか?」大霧が満足そうに俺を見る。
「ああ、旨いワインだ。それにしても良く手には入ったな」
「それはワインに似ているが、ワインそのものでは無いぞ。ぶどうはこの世界には無いからな。旧ハーヴィー王国の地酒さ。日本酒も欲しいが米と水の入手が難しい」
「そうなのか。珈琲は本物だと思ったが?」
「あれは本物のキリマンジャロだ。呉孟風を知っているだろう? あの中国人の会社から少量仕入れている。だが珈琲は貴重品でな。毎回かなりふっかけられているんだ。酒まで贅沢する余裕は私には無い。この酒は、私の領地で造ったものだ」
呉は兵器商人だと思っていたが、珈琲まで取り扱っているらしい。
それにしても、大霧は領地持ちなのか? 口の利き方を改めなきゃならん。
「そう。これでも私は領主様なんだ。猫の額ほどの土地だがな」
もしかしたら、彼女には爵位もあるのかも知れない。地球の中世でも騎士は貴族の一員だった。
まあ、大霧は日本出身なのだから貴族と言うより武士階級の方か。
酒を愉しんでいると食事の用意が出来た。ステーキだ。
デミグラス・ソースに似た茶色の液体がかかっている。大日本帝国時代の洋食風だ。つけあわせはポテトに似た野菜の取り合わせ。
ステーキならドラゴンの好みにも合う。肉が本物の牛かどうかはこの際、気にしないことにする。
……旨い。シルバームーンも気に入ったようだ。
食事のせいで会話がはずむ。話題はお互いの国のことだ。
景色や祭り、名産品や特色ある食事。そして話題は罪の無い自国の自慢大会となる。シルバームーンやレイクはレガリアの威光について語り、大霧は新日本国の現在の地位と役割を語った。彼女達が現代日本の話を聞きたがったので、俺も参加した。
本当はユリオプス王国の話をしたかったのだが、俺が話せるのは王国が直面している危機のことだけだ。今の話題にはなじまない。
ユリオプス王国にも自慢の種は沢山ある。だが、俺には説明するだけの知識が無い。現代日本の話を真剣に聞いてくれる彼女達の事は嬉しかったが、王国の自慢話が出来なくて残念な気分の方が強かった。俺はもうこの世界の住人に成りかけているようだ。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎた。
一つだけ気に食わないのは、時折感じるクリフの視線。
何かを悩んでいる様にも見えた。まあ気のせいだろう。悩みなんてあいつには似合わない。
◆
食事を終え自室に戻る。もう寝ちまいたいが、“左腕”のエリスから報告書が届いたと妖精が囁く。
目を通す事にした。我ながら仕事熱心だ。
送られてきた報告書は二通だ。一通目は暗号化されていて中身は分からない。二通目は、ああ……邪神“エンケパロス”とのデートについてのお知らせだ。エリスは俺の求めに応じて邪神との接触を開始したらしい。
強敵アストロサイトの弱点を探るためのデートだが、いろいろと気が重い。
自分で頼んでおいてなんだが、二通目は後回しにする。
ベッドに寝転がりながら、一通目の投影を妖精に命じる。報告書は最高強度で暗号化されていて、トライデント・システムでも解読に10秒はかかった。
(復号完了。視覚に直接投影します)
視覚内で文字が点滅する。
“グアルディの杖に関する調査報告書 作成者カール・ホーリス 機密区分SS”と読めた。カールと言う名は初めて見るが、エリスの部下だろう。
この報告書は、エリス達“左腕”が持っている“グアルディの杖”に関する情報をまとめたものだ。
俺は新日本国に行って、グアルディの杖を手に入れるつもりだ。その為に情報を送らせた。
もともとここに来たのは、杖の入手が目的なのだ。
杖を手に入れなければエトレーナは死ぬ。少なくとも呉孟風はそう言っていた。
奴の言う事を鵜呑みには出来ないが無視は出来ない。
杖さえ手に入れれば妖精――トライデント・システムは本当の性能を取り戻す。トライデント・システムは本来、戦略レベルの兵器なのだ。数百もの兵器を同時に呼び出し敵を圧倒する。
だがニューワールドでは性能が制限され、数機の航空機を呼ぶ程度で精一杯だ。“グアルディの杖”さえあれば、杖は障害を取り除き、全ての物をあるべき姿にもどせる。杖さえあれば妖精の本当の力が復活するのだ。
強敵の邪神“アストロサイト”の出現もあって、俺には早く戦力を整える必要もあった。
杖のありかは呉孟風が教えてくれる筈だった。しかし、あいつは現在行方不明だ。
エリスに頼んで、呉の居場所を探させてはいるが、手がかりは無い。
大霧も杖の入手を手伝ってくれるだろう。彼女には貸しがある。貸しは返してくれる筈だ。しかし彼女の望みは最終的に杖の破壊だ。俺の目的と一致するかどうかは分からない。
この報告書で何かヒントが見つかればいいのだが。良い結果を導くためのヒントが欲しい。
だが読み進めようとした俺は、妖精の言葉に遮られる。
(マスター、疑似人格が部屋に接近中。クリフです)
クリフ?
まさか、俺と酒を飲み直しに来た訳ではあるまい。目的は何だ?
そう言えば、あいつはさっきから様子が変だった。
(警告。襲撃の可能性あり。クリフのコントロールを奪います。許可をください)
(止めておけ。あいつが今更、何かするとは思えん。俺を殺す気ならチャンスはいくらでもあった)
(お言葉ですが先手必勝です……ドアの前で停止しました。こちらの様子を伺っているようです。彼は一体、何がしたいんでしょう?)
(悩んでいるのさ。多分)
俺はドア越しに声をかけた。
「何の用だ?」
「カザセ……話がある」




