夢魔
◆
俺はにやけた笑いを浮かべるその男に、銃口を向ける。
「そろそろ名乗ったらどうだ? 邪神スプランクナ」
「邪神……ですか? ずいぶんな言われようですね。こちらからすれば、あなたこそ邪悪な戦士なんですが。まあ、その辺は立場の違いという事ですね。卑怯者だってのは認めてもいいですよ。仲間からもそう言われてますし……ところでまだ、私が誰だか、分かりませんか?」
「知らんな。卑怯者を自ら名乗る馬鹿に心当たりは無い」
男は端正な顔を歪ませた。傷ついたフリだ。
「あなたの態度は嫌いじゃ無い。でもやりすぎは良くないです。弱い犬ほど良く吠えるって言いますし。いえいえ、あなたが弱いって言うつもりは無いんです。格を落とすというか、何と言うか。そんな感じです。無駄な強がりはやめておいた方が無難かと。そうそう。私を知らないとは言わせません。あんなに熱い空中戦を繰り広げた仲じゃありませんか?」
俺は、聞いてもいないことを長々と喋りだすこの男にイラついた。しかし思い出した。確かに声に聞き覚えがある。
こいつは金剛を襲った戦闘機隊に居た奴だ。“赤い零戦”のパイロットだ。
そう言えば、会うのを楽しみにしていると最後に言っていた。
「“赤い零戦”に乗っていたな? 思い出したぜ。忘れていて正解だ」
「怒らせようとしても無駄ですよ? 思い出してくれて嬉しいです。あの“ひこーき”はいいですね。私は新しいものが好きなんで暇なときに、あれで遊んでいます。あなたがたの文明も、なかなかあなどれません。ああ、そうそう。自己紹介をまだやってませんでしたね。私としたことが」
男は手を左右に広げ、姿勢を低くした。おおげさに貴族式の挨拶をする。
「我こそは創造主様に従う“スプランクナ”の一柱。アストロサイトと申します。役割は“脳”。以後お見知りおきを。お目にかかれて光栄です。なかなかチャーミングな目をしていますね?」
(何をしている? 早くこいつを滅しろ。俺を使え)脳内に囁く声。
30式対魔銃の声だ。新日本国のテクノロジーと魔法が生み出した魔導銃。魔法剣と同じように意思を持っているらしい。
(奴の話を聞くな。術中に嵌まるぞ) 銃は警告する。しかし俺には確認しなければいけない事があった。
邪神は話を続ける。
「そうそう。カザセさん。あなたは冷たい人ですね? 私が精魂込めてエトレーナさんのコピー品を造り上げたのに、壊れても涙も流さない。少しぐらい泣いてもバチは当たりませんよ あなた本当に……」
「一つ教えろ」
「……まだ話の途中ですよ?」
「エトレーナの事をどこで知った? お前の造った偽物をシルバームーンは本物と誤解した。そんな精巧なものをどうして造れた?」
邪神は微笑んだ。
「そんなに気になりますか? 同僚のエンケパロスから、あなたの恋人――エトレーナさんの話は聞きました。エンケパロスの事は知っていますね? “脳”をやってる女の同僚ですよ。どうやらあれは、カザセさんに気があるようですね。あなたの恋人が嫌いらしくいろいろ教えてくれました。いつもなら、私に協力なんてしてくれないんですけど。女の嫉妬ってやつですかね? どう思います?」
エンケパロス。不本意だが知っている。レガリアを“隕石落とし”で破壊しようとした“脊髄”とペアを組んでいる女の邪神だ。
俺とデートしたいとか言い出した、とんでもない奴だ。
あの女が情報を流したのか。デートの件は無期延期で確定だ。
「それだけじゃないですよ。私も、自分でいろいろ調べました。エトレーナさんの事はなんでも知っています。彼女の右脚のふとももには、大きなほくろがあります。左の乳房にも星形のほくろがありますね。スタイルも抜群です。一見、清楚に見えますが、性的魅力に富んだ肉体がなんとも言えません。お相手をしたいと思った人間の男は多かった事でしょう。いやあ、カザセさん、あなた幸運ですよ。彼女を自分のものに出来たのですから」
俺はむかついてきた。こいつ変質者か? エトレーナが汚されたような気がした。
ほくろの位置は……気にしたら負けだ。俺を怒らせようとしているんだろう。たいした意味は無い……はずだ。相手は邪神だ。それくらいの事は調べられる。
しかし……やはり気になる。なぜエトレーナの偽物だけが、あんなに精巧だったのか?
「おや? 気分を害されたのですか? ほめたんですから喜んでくださいよ? あ、そうそう。あなたに謝らなければいけません。実はエトレーナさんの夢の中に忍び込んでみたんです。無断でやったのは謝りますが、調査は厳密にやる主義でしてね。まあ強敵の恋人なんですし、それぐらいはね。私の立場としては、やるべきだと思ったんですよ。あなたもそう思いますよね? 思いませんか?」
「黙れ」
俺の本能が激しく警告する。ゲス野郎の話をこれ以上聞くわけにはいかない。やはり30式の忠告を聞いておくべきだったのだ。
トリガーにかけた指に力をかける。
だが……指が動かない! くそっ。これは……
「……カザセ、ドジを踏んだようだ。一杯食わされたぜ」
「なによ。この力。身体が動かない」 「カザセさん、これは……」
見守っていた仲間達が口々に異常を訴える。
邪神は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「油断しましたね。私も一応は、神族のはしくれでしてね。精神支配が得意なのは不思議じゃ無いでしょ? それぐらい想定しておいてくださいよ。卑怯者だってちゃんと言ったじゃないですか? 人間って奴は、おだてるとすぐ強気になって自分が優位だと錯覚する。ちょろいもんです」
邪神はゆっくりと歩いてきた。手を伸ばし、俺の身体に触れようとする。俺は避けようとした……だが、くそっ、身体が言う事を聞かない。
「……その顔、いいですね。生意気な男の悔しそうな表情を見るのは実にたまらない愉悦です」
「貴様、エトレーナに何をしたっ?!」
「話の続きをしましょうか……ここからがいいところです。あなたの姿を借りてエトレーナさんの夢の中に忍び込んでみた。何が起こったか分かります? 分かりますよね? いきなり抱きしめられましたよ。あなたに会いたくてたまらなかったんでしょう。ええ。もちろん強く抱き返しました。だって可哀想じゃないですか?
……彼女は実に素晴らしい。素晴らしいですよ、カザセさん。あの身体は男に抱かれる為に造られたとしか思えません。手に吸い付くような柔らかくて形の良い乳房。なめらかで艶やかな腰。たまりません。そして彼女のキスは実に情熱的です。ねっとりとして温かで。おかげであやうく調査なのを忘れるところでした。
ええ、もちろん分かっていますよ。彼女の素晴らしさはキスだけじゃありせん。キスを済ましたその後もね、まあたっぷりと。
当然でしょ? キスだけで止めたら可哀想です。夢の中だと女性も大胆になりますしね。そうそう、聞いてくださいよ。エトレーナさん、私の為に自分から腰を使うんですよ。想像出来ます? 清純そうな人がやると破壊力ありますよね? 彼女、嬉しそうでしたよ。いい声で何度も鳴いていましたし。まあ、私もそれなりに協力した訳ですけど。
いえいえ、礼には及びません。エトレーナさんに喜んでもらえれば、私はそれだけで満足です。人間だった頃を思い出せて楽しかったですよ。ご存じですよね。スプランクナって、もとは人間だったんです。
だから、私も人間の欲望と無関係って訳じゃないんです。
それが彼女を殺さなかった理由です。だってもったいないじゃないですか? 使い道はあるわけだし。あなた、死んでも彼女の事を心配する必要は無いですよ。私が引き取りますから。他の仲間からも守ってあげます」
邪神は嬉しそうに微笑んだ。
「仕上げに取りかかる前に、彼女は全てを見せてくれました。ええ、全てですよ。淫乱だって責めちゃいけません。それは可哀想ってもんです。ちょっとだけ私が精神に干渉したせいですから。でも、少しだけです。やりすぎるとつまらないので。最小限の恥じらいは残しておきたいですし。まあでも、あんな姿、あなたでも見てないでしょう? 私は堪能させてもらいました。満足しました。羨ましいですか?」
こいつは……エトレーナを汚した。夢の中であっても……許さない。
怒りのために視界が狭まった。
「そうそう、その目です。それが見たかった。わざわざ出向いた甲斐があったと言うものです」
一瞬、何が起こったか分からなかった。気がついたとき俺は地面に転がっていた。
腹が焼けるように痛い。拳でえぐられたらしい。胃液が口の中にせり上がって来る。
仲間の叫び声が聞こえた。
「すぐには殺しません。さあ、もっとエトレーナさんの話をしましょう。冥土のみやげにするといい。馬鹿なあなたに教えてあげますが、夢であっても私に抱かれた者は肉体に直接的な影響を受けます。現実と、さほどの差はないのです。なんせ、私はあなたの言うところの“邪神”ですからね。そうそう。つまり私は彼女に“祝福”を与えた訳です。少なくとも私の立場ではそうなります。“陵辱”? そんな下品な言葉を使わないでください。怒りますよ?」
怒りで視界が赤く染まった。
許せない。こいつだけは……絶対に許せない。
銃はそばに落ちていた。俺は震える手をのばす。だがどうしても……届かない。
くそっ。こいつだけは……絶対殺してやる。
「いい表情です。ほら頑張って手を伸ばしなさい。銃でここを狙うんですよ」邪神は自分の頭を指さす。
こいつだけは……こいつだけは……
妖精が何かを叫んだ。しかし、そんな事は、もうどうでもいい。もう少しで銃に手が……届く。
(思考制限……されてい……マスター)うるさいっ! 妖精! 俺の邪魔をするなっ!
ようやく手が届く。……この銃で……こいつを。
「おっと。そうはさせません」
俺は叫び声をあげた。邪神が靴の底で、俺の手を踏み抜いたからだ。
「おや。指が折れましたか? すみません、痛かったですか?」
まだ……左手が……ある。右手を潰されたくらい……なんだ。
その時、何者かが……突然現れる。体当たりされて邪神がよろめいた。現れたのは――妖精だ。
「マスターしっかりしてくださいっ! エリス・ラプティスから緊急通信ですっ!! 内容は一言だけ。“私の事を信用できないんですか?”と」
エリス・ラプティス。誰だ? そんな名前は――いや待てよ。聞いた事がある――そうだ。何言ってるんだ? 会った事もあるじゃないか。そうさ。会ったことも……
俺は愕然とした。馬鹿なっ! なんでエリスの事を忘れている?
俺の思考が抑えられていたと言うことなのか。怒りを煽られ奴の術に嵌まったのだ。
エリス・ラプティス。
俺達“右腕”インフィニット・アーマリー社と並び、黒天使を支える“左腕”の司教エリス・ラプティス。
俺が“右腕”でエリスが“左腕”。
“創造主”や邪神どもに抗う“右腕”と“左腕”。
右腕を潰されても……左腕は動いている。
そうか。そうだった。
俺は可笑しくなって笑いだした。
彼女は言った。“私の事を信用できないんですか?”と。
つまり左腕は、ちゃんと仕事をしたって事だ。
俺が頼んでいたとおり、エトレーナを守ると言う仕事を。
俺達、右腕“インフィニット・アーマリー社”の力は、魔法に依存しない物理的破壊能力。
対してエリスの組織“左腕”の力は、黒天使由来の神聖魔法だ。
エリスが夢魔の勝手を許す訳はないのだ。
◆
「おや、気でも狂いましたか。やりすぎましたかね?」邪神は言う。
「そうじゃない。俺はこれ以上無いほど正常だ。お前は大嘘つき野郎だ。エトレーナは陵辱などされていない」
「可哀想に。真実に向き合えないとは。男ってのは悲しいですね」
「妄想の垂れ流しは止めろ。吐き気がする。それより心配することがあるはずだ」
「さて、何でしょう?」
「自分の運命……だ」
俺は左腕で銃をつかみ、立ち上がる。
精神支配は完全に解けている。エリスにひとつ借りができた。
こいつの術は、俺の怒りを利用して思考能力を奪う。嘘に気がついた俺に、もはや効果はない。
邪神の顔が悔しそうに歪む。
「無駄な事を。でも一つ教えてくださいよ」
「何だ?」
「どうして動けるんですか?」
「精神支配が解けたからだ」
「そうじゃなくて……どうやって解いたんですか?」
「悪いな。その質問は……二つ目だ。答えるつもりも義務も無い」
俺は右手の薬指でトリガーを引く。邪神に踏まれたせいでその指しか動かない。30式の命中補正が発動し弾丸が敵を直撃した。
膨れ上がる光の球。
奴の身体はまだ崩壊しない。だが苦しそうだ。
「どうして……どうして」
「これはエトレーナを侮辱した礼だ」
2発目。トリガーを引く。
新たに生み出された光の球が、1発目と重なり邪神を覆う。
邪神は耐えきれず、しゃがみこんだ。
「この程度……笑止……です」
「そしてこれが……大嘘への礼だ」
3発目。
全ての光の球が重なり合い、急速に光度を増す。
崩壊が始まった。邪神の身体が徐々に塵となって分解されていく。
「風瀬さん! 加勢する」
自由を取り戻した仲間達が攻撃を始めた。銃弾が魔法が邪神に降り注ぐ。
邪神の存在が、塵と成って消え失せる。
「やったか?」
「いや……まだだ」
(撤退します。と言うよりそれは私のコピーです。本体はそこにはありませんよ。……でも、おめでとう。第2ラウンドもあなたの勝ちです。認めますよ。確かに私はエトレーナさんの夢には入れなかった。レガリア王の防御は突破できたんですけどね。もう一つの正体不明の結界に阻まれた。やはりあれは、あなたのせいでしたか。それともあなたに味方する何者か? まあ、でも、こっちも収穫が無かった訳じゃ無い。あなたの弱点はやはりエトレーナさんだ)
(クソが)
(忠告したでしょう? 下品な言葉は嫌いです。さあ次は本気でいきますよ? そうですね。新日本国の首都“妙高”で7日後にお待ちしています。心配しなくても大丈夫。今度は本体で出ます。スプランクナの名誉にかけて誓いましょう。準備がありますので少し時間をください。何と言っても最終決戦なんですから)
(つきあう義務は無い)
(あなたは来ます。来なかったら新日本国に何があっても知りませんよ? そうそう、私がエトレーナさんを大好きなのは本当です。彼女を自由にしたいのも本音です。あの人に、相応しいのはあなたでは無い。私です。だから、あなたに話した内容は妄想ではありません。実現されるべき“予知”です。私が存在する限りエトレーナさんは永遠に狙われる。あなた耐えられますか?)
吐き気が……する。
(そうそう。これは言わないつもりでしたが、気が変わりました。教えてさしあげましょう。何でエトレーナさんがあなたより私に相応しいのか? 理由があるんです)
悪寒がする。奴の言葉を……聞いてはいけない。止めるんだ。止めろおお!
(彼女、本当に人間ですか? 私にはそうは思えない)




