赤い敵
◆
『待ってる女の中には、私も入れておいてくれ。……来るぞ』
10機の零戦は、降下を開始した。
敵の周りでボンボン砲弾が破裂し、小さな白雲の群れを残す。重巡高雄からの援護射撃だ。
爆発に巻き込まれ、一機の零戦が落ちていく。いいぞ大霧。頼りにしてるぜ。
残り9機。
空対空ミサイル・スティンガーは使い果たした。チェーンガンも弾はほとんど残っていない。
使っていいなら、もう叩き落としている。
零戦の射程は、実際のところ200m程度だ。アパッチの方がはるかに長い。
だがそれは、それなりの対空兵装で戦った時の話だ。
今、使えそうなのは無誘導のロケット弾――ハイドラ70FFAR――こいつでどこまで戦えるだろう?
基本は地上蹂躙用の兵器だ。レシプロとは言え戦闘機相手に通用するのか。
(妖精、この機体のハイドラは何型だ? 何を装備した?)
(M429です。どうです? 褒めていいですよ?)
(良くやった。悪くない)
ハイドラ70には、目的別に多くの種類がある。妖精は召喚の時にM429を選んでいた。
近接信管内蔵タイプだ。直撃しなくても、近くをかすれば爆発する。
いけるかもしれない。
(惚れちゃいそうですか? でもエトレーナさんに悪いですわ)
そこまで言って無い。
妖精を無視して、俺はトリガーに指をかける。HUD上に表示されている白い円周。ハイドラの照準だ。
距離500……450。
はやる気持ちを抑えつけ、大きくなる敵編隊を凝視する。
神経が研ぎ澄まされ、待ち受ける時間がやたら長く感じられる。
我慢しろ。もっと引きつけるんだ。
……あれは何だ?
光の加減なのか、今まで気がつかなかった。一機だけ他と色が違っている。他が暗い灰色なのに、どす黒い血の色だ。まるで腐りかけた内蔵のような赤褐色。隊長機か何かだろうか?
また1機が落ちていく。高雄の高角砲だ。愛してるぜ大霧。
赤の機体を含めて、敵は残り8機。
急に2機が左に旋回して編隊から離れた。回り込むつもりだ。
『大霧っ! 今の2機を頼む』
距離300。
さらに2機が今度は右に出ようとした。
限界だ。
……トリガーを引く。ハイドラ70発射。
左右二つのポッドからの同時発射。ロケット弾が次々と吐き出されていく。
ぼすん、ぼすんと言う連続した発射音がコクピットに轟いた。
零戦は逃げようとするがもう遅い。
合計10発のロケット弾が次々と編隊に突っ込んでいく。
直撃はしなかった。だが近接信管が作動。5機が爆発に呑みこまれる。
そして高雄の高角砲が、新たに2機を仕留めていた。
残りは1機だけだ。
そう残り1機の筈。
俺は冷たい手で、心臓をわしづかみにされた気がした。
……見えないっ! どこだっ?
最後の1機を見失ってしまった!
あの赤い奴だ。間違いない。
必死で空を見回す。今にも零戦の20ミリ砲弾が飛んでくる!
空中戦で相手を見失った時……それは死ぬときだ。
『』
その時、女の声が聞こえたような気がした――そうかっ!
『太陽だっ!』俺は叫んだ。敵は太陽に自分の姿を重ねている。
だがロケットは前にしか飛ばせない! 機体を向ける時間は無い!
『チェーンガン!』
パイロットは俺の意図を理解した。アパッチが急に右に傾く。
機体下部に取り付けられたチェーンガンの射線が太陽に通った。俺は砲身を急回転させる。
砕けろっ! トリガーを引く。
一瞬の砲撃音。わずかな残弾を全て吐き出す。
“AMMO EMPTY”の文字が視界の隅で点滅した。これで完全に弾はゼロだ。
『来るぞっ!』
叫び声と共に衝撃が来た。炸裂音がコクピットに響く。
敵の20ミリがアパッチの装甲を抉ったのだ。
『左ウィングに着弾!』パイロットが叫ぶ。
左のスタブ・ウィング――兵器取り付け用の翼――を丸ごと失った。接続されていたロケット兵器ごと消えている。
『メインローター破損。あまり保たない。着艦を推奨』
アパッチの頑丈さに感謝だ。とりあえずまだ飛んでいる。
だがドッグファイトに持ち込まれれば、勝ち目は無い。
後方を見ると、赤い機体が飛び去って行く姿が見えた。
……胴体から黒い煙を吐きながら。
『敵も被弾している』
相打ちだった……のか。
こちらの弾も当たっていた。零戦は姿勢をうまく保てず、直進するのが精一杯のようだった。
感謝するぜ、エトレーナ。太陽から来るって教えてくれたのは君の声だった。
おかげで生きて帰れそうだ。
『風瀬さん、大丈夫か?』大霧の心配そうな声が聞こえる。
『問題無い……と言いたいところだが、こっちも被弾している。その赤い奴を頼めるか?』
『しょうがねえ野郎だ。俺様がトドメを刺してやる』とクリフ。
『お前には頼んでない』
『俺は仕事熱心でな。隙あらば、女のケツを追い回しているような誰かさんとは違う』
珍しく同意見だ。俺もそんな奴は大嫌いだ。
下を見ると87式機関砲部隊と金剛の対空砲が、敵の攻撃を退けたところだった。
もう全部合わせても数機が残っているだけだ。
……対空戦は俺達の勝ちだ。
87式から通信が入る。
『これよりアルファ1の援護を行う。目標 赤い零戦』
大霧の声も聞こえる。
『金剛、高雄に伝達。全高角砲開け。目標 赤の零戦』
零戦は、黒い煙を吐きながら艦隊から、ふらふら飛びながら距離を取ろうとしていた。
だが、もはや逃げ場は無い。
『おっと。殺されてはたまりません。今回は、退散させていただきます。あなたの存在は計算外でした。戦う前にもっと分析が必要です』初めて聞く男の声。
『誰だっ?』
『そこの赤い“ひこーき”のパイロットですよ。ですがそれは世を忍ぶ仮の姿。正体は創造主様の忠実なる下僕、優秀な贈脳を備えた美しき部下。信じられないほどの美貌と、あまりの神々しさに全ての生き物は私にひれ伏します。多分、あなたもね。……あらためて挨拶申し上げます。私はスプランクナの“脳”と言います。以後、お見知りおきを』
邪神スプランクナ。しかし、俺の知っている“脳”は女だ。男じゃ無い。
あの女とは別の“脳”が存在すると言う事……なのか?
だがいくら美しかろうが、男は願い下げだ。
『いえいえ。まあそう言わずに。あなたにとって、新たな扉が開くかもしれませんよ。直にお会いするのが今から楽しみです』
『射撃開始』
『全門斉射っ!』
87式とクリフの声が同時に聞こえ、よたよた飛んでいる零戦の周りが爆発で包まれた。
撃墜したっ!
戦闘機は、ばらばらになり海面に落ちていく。
だが。
『ではでは。黒き天使の下僕さん、私はこれにて失礼いたします。……おっとそうだ、最後に言っておきましょう。私は勝つために手段を選びません。仲間は私を褒め称えます。ニューワールド1の卑怯者と。……さて、あなたの弱点はなんでしょうか?』
撃墜した筈なのに、まだ男の声が聞こえた。そして気配は消え去る。
『逃げられた』俺は呟く。
『化け物が』クリフが悔しそうに呻く。
『大和はどうなった?』
『撤退している。何で襲って来ないのか訳が分からん』
『確実に勝つ自信を無くしたんだろう。あの男は石橋を叩いて渡らないタイプだ』俺は言った。
奴は俺の存在を、計算外だと言っていた。弱点をじっくり調べて出直すつもりらしい。
だが、そうはさせない。こっちは最後の切り札をまだ使っていないのだ。
『石橋を叩いて渡らないか……あんたとは正反対の性格だな』
『褒め言葉と受け取っておこう……妖精。ストライク・イーグル召喚。装備はバンカーバスター。大和を追撃させる』
呼び出すのはF-15E ストライク・イーグル。
制空戦闘機である自衛隊のF-15Jとは違って、対地攻撃可能なマルチロール仕様だ。
そいつに地中貫通爆弾GBU-28“バンカーバスター”を装備させ、攻撃させるのが俺のプランだ。
バンカーバスターは地面なら30メートルを貫通する。いくら大和でも水平装甲なら貫けるかも知れない。
本来ならアパッチで攻撃を援護するつもりだった。だが被弾した今、それは不可能だ。
F-15E単機でどこまでやれるか分からないが、諦める手は無い。
『マスター了解です。なお、これが最後の召喚になります。トライデント・システムはクールタイムに突入。再召喚には5時間以上を必要とします』
『分かっている。やってくれ』
雷鳴に似た召喚音が轟き、アパッチの上空にストライク・イーグルが現れた。旋回を始める。
『当機のコールサインは以後アルファ2とする。これより大和型戦艦、二隻を追撃する。許可を』
『許可する。よろしく頼む』
『風瀬さん、我が艦隊はどうする?』
『しばらく待機だ。後で援護を頼む』
『待機か。あいつらには借りがある。あまり待たんぞ。……そう言えば、早く降りてきたらどうだ? 機体がふらついている』
『ああそうしよう。パイロット、戦艦金剛に着艦してくれ』
『アルファ1、了解』
とりあえずの危機は去ったようだ。安心したら急に腹が減ってきた。
首尾良く大和を葬れば、戦艦金剛の出すうまい朝食にありつけるかも知れない。
だが、着艦しようと操作を始めたアパッチのパイロットが慌てて声を上げた。
『レーダーに反応。東北東より二機の航空機が接近中。種別不明。大きい。爆撃機の可能性あり』
『何だと?』
くそっ! 撤退したと見せかけて不意打ちしてきたのだろうか?
……だが俺は次の瞬間ため息をついた。
『カザセ~ 元気にしてた? 様子見に来ちゃった♡』
『隊長。レガリア王の命を受け、お迎えにあがりました』
ドラゴン達だ。シルバームーンに、元近衛兵のブロンズレイクだ。
賑やかな朝食になりそうだ。ドラゴンも和食はいけるのだろうか?